第16話 見えないからこそ ①
「おはよう。」
僕はパンツを洗いながら、洗面所の横の廊下を通っていく妹に声をかけた。
妹は僕の姿を見て、一瞬驚いた表情を見せたが、僕がパンツを履いていることに、ほっとした後で、汚いものを見るような目つきをしてリビングのドアを静かに閉めた。
妹の態度に困惑したが、大丈夫だ。
昨日すでに妹への対応は済ましている。
今日は、クラスメートを虜にする新しいシャンプーのチャレンジの日だ。
僕はシャンプーの封を切ってからシャワーに入った。
昨日の夜は、滴るほどに汗をかいていたので、シャワーによってベタついた汗がさっぱりと流れていくのが心地よかった。
新しいシャンプーを数回プッシュしたところで、中身がどこかで見たことのあるような形状で手のひらに勢いよく飛び出してきた。
誰も使っていないレアなシャンプーで女の子達ををクラクラさせるつもりであったが、薬品のような刺激臭が僕の鼻と目を襲った。
ツーンとくる刺激臭は明らかにイケメンやダンディの香りを超えて、加齢臭を別の香りで覆い隠すような消臭剤の匂いでしかなかった。
気持ち悪くなり、急いで洗い流しパッケージを凝視する。
◯◯。皮脂臭対策の秘密兵器
漢字は見たことがあるが、秘密兵器以外の読み方が分からない。
難しい言葉が並んでいる。
確実に失敗した感じが、もやもやと駆け巡った。
それでも汗を流して、スッキリとしながらリビングのドアを開くと、妹と母の女性二人が僕に白い目を向けていた。
昨日あんなに買ってやったのに、妹は間違いなく母になにかしゃべっているようであった。
そう直感した僕に、母が諭すように語りかけてきた。
「〇〇、 いくら妹でも少しはデリカシーを持って接しなさい。」
「 〇〇だって年頃の女の子なのよ。」
大事なことを優しく語りかける母の顔が、だんだんと歪んできた。
「あなた、今お風呂に入ったんじゃないの?」
「 すごく臭いわよ。 なんかおじいちゃんみたいな。」
「 もう一度入ってき方がいいんじゃないの?」
お小遣いをはたいたシャンプーは、我が家の女性たちへの受けも案の定であった。
「〇〇、おはよう!」
やんちゃな仲間と話をしながら、僕の横を通り過ぎた彼女たちが 方向を変えて、廊下に出ようとしていた。
「 今日は、 枯れたイチゴの匂いですね。」
「食べたら、おばあちゃんになっちゃうよ〜。」
「 ぎゃはははは〜 www」
悪口は言わずとも、それを聞いていた〇〇さんも一緒にゲラゲラと笑いだした。
教室を出ていった一軍の彼女達の言葉に凹んで肩を落とす僕に、〇〇さんが優しく慰めの言葉をかけてくれた。
「こんな日もあるよ。 前向きに頑張っていこうよ。」
昨日までと雰囲気が変わったような、どこかすっきりとしたような清々しさが感じられた。
彼女は床に落ちていたティッシュをスッと拾い上げると、教室の後ろのゴミ箱へとそれを捨てた。
僕はなんとなく今日の夢を思い出しながら、ゴミを捨てている〇〇さんの後ろ姿に、未来を重ねてときめいていた。
『あなた、おかえりなさい。』
『お風呂にする?ご飯にする?・・・それとも、わ・た・し♡』
どこかで聞いたことのあるような、将来の希望の言葉に鼻の下を伸ばす。
ぽやんとしながら見つめている彼女の手は、ティッシュを摘んだ指先までも白く、細く長かった。
僕は今日もしっかりと、リュックを股間に押し当てていた。
14歳という女性が花開く年齢がそうさせているのかもしれないが、なぜか最近は、女の子達の変化が著しい気がする。
私も一人の女性として輝いて生きたいのだ。
『私もこの機会に・・・!』
女性といえど、必ずしも優れた容姿を持って生まれてくる訳ではない。
『顔』『身体』『体型』・・・
自分の努力で変化を促すことに、限界を感じてしまうこともあるのだ。
周りのクラスメートは彼女を信頼し、彼女がコンプレックスを持っているなどとは思いもしない。
何も、極上の美女になりたいわけではなかった。
しかし、幼少期から自分に足りないこの造形だけが、どうしても心に深い影を落としていた。
『怖い。』
ただ恐怖だけがつきまとっていた。
彼女にあるのは、変化への憧れと同時に巻き起こる恐怖心だけであった。
「シャンプーを買ってきたから、今日からこれを使いなさい。」
家に帰ると、母が僕に向かって有り難い声をかけてきてくれた。
「今日はみんなに、『おじいちゃんみたい』とか言われちゃったでしょ?」
「お母さんはあなたの異性とのお付き合いは、分からないし手伝ってあげられないけど、 ずっと応援だけはしてあげるからね。」
「早く誰か、素敵な女の子が彼女になってくれるといいんだけどね。」
「お母さん・・・、中学生にもなってまだ彼女が出来ないあなたが・・・、」
「あなたが不憫でしょうがないのよ。」
母は涙ぐみながら同情をしてくれているが、まだクラスメイトの中で彼女ができたとは聞いたことがない。
もしかしたら、母は学生時代はモテていたのか?
確かに妹はモテそうな感じがする。
女性達はこのくらいの年齢になれば、ボーイフレンドも当然のようにいて、色々な体験を済ませているのであろうか。
クラスメイトの女の子が一人ずつ浮かび、それぞれの淫らな姿が頭の中に浮かび上がる。
相手の男が誰かまでは思い浮かばないが、僕の目覚め始めたばかりの若い力が、力強く股間を押し上げていた。
母は何も言わなかったが、ちらりと僕の呆けた顔とピンと張り出した下半身を見つめて、残念そうにため息をついた。
「大丈夫・・・、 お父さんだって。」
母は、自分の作品のデキの悪さを嘆くように、ポツリとつぶやいた。
僕は、夕食の前にお風呂に入った。
頭に染み付いた枯れたイチゴの香りを洗い流すのに必死だった。
母が買ってくれたシャンプーは、よく聞く名前のものであった。
さっぱりとしたシトラスの香りが、若々しい爽やかさを自分に与えてくれるようであった。
スッキリと生まれ変わった風で、母にお礼を言う。
「うん。いい男になった。」
「これもあげるから、女の子に会う時に使いなさい。」
「そんな顔でも、なにか変化をだせば、少しはましな男に見られるかもしれないから。」
その紙袋は、母親の息子に対しての僅かな期待が込められているようであった。
夜は日課になった宿題を済ませていく。
なんとなく分かってきたこともあってか、わからないなりにサクサクと進んでいく。
なぜだか、明日の授業での答え合わせが、楽しみになっている自分がいた。
『時間もまだ早いので、明日授業でやるところもやってみよう。』
ベッドに横になりながら、教科書の新しいページをめくる。
生まれて初めての予習を試みていた。
『うん、全然わからない。』
丸と三角の図形が折り重なり、ここが直角で・・・〜〜。
〜〜〜あぁ〜っ。
二重丸の円形の上部に3本の棒が伸びる。
この意味深なテレビ局のマークの、赤く塗られた中央の部分にも、きっと何か神秘の法則が隠されているに違いない。
僕は複雑な図形に揉まれながら、深い眠りに落ちていった。
〜〜〜〜
つづく
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