17.Unfulfilled Wish

 「皆さん、お集まり頂きありがとうございます。私はこの火星移住プロジェクトの代表です。不確定な放送であったこと誠に申し訳ございませんでした。」

 なんだ、普通の人じゃねぇか。そう思ったのはその女性が言葉と一緒に深い礼をしてからだった。あの時の人を試すような様子は見られない。

「きっとここに集まってくださったのは我々と共に火星に行く決断をしてくださったからだと思います。

我々はいずれこのような事態、つまり地球が使えなくなるような事態に備えてずっと前から準備を進めてきました。今や感染症で覆い尽くされているこの地球はおそらく時間の問題で荒廃してしまいます。

ここに集まってくださった皆さんだけでも助かるように私たちの水面下の努力を今形にしたいと思います。」

 大衆は拍手喝采を送った。それに合わせて女性はまた深い礼をする。しかし、俺は未だに疑問を解決することができないでいた。

どう考えてもあのロケット一機に30人も入るわけがない。入ったとしても火星につくまでに餓死してしまうか、ロケットもろとも墜落してしまうだろう。向こうには何か画期的な策があるのかもしれないが冷静に考えればもっと懐疑的な人が現れてもおかしくないはずだ。

それなのに、…皆あまりの非常事態に判断力を失っているのか。

そして次の女性の声で俺は自分の抱く疑いに確信を持つと同時にこの場から離れなければいけないと気付くことになる。


「ロケットの発射時刻は21時00分。定員は一機10名、定員が埋まり次第ロケットは発射されます。」

人々の声が大きくなってくる。一瞬の戸惑いの後、事態を理解した人々がさらに騒ぎ始める。

「海斗…」

美咲が心配そうに名前を呼ぶ。

「少し離れておいた方がいいかもしれない。」

俺は正直に伝えた。

「なんで?」

「この後どうなるか想像してみて」

「ロケットに乗れる枠の争いが始まる…?」

「その通り」

「じゃあどうすればいいのかな…」

「だから、ここよりもうちょっと離れたところで様子を見守っていよう。」

「わかった…」


 俺の想像は大方その通りに現実になった。事態を正確に理解した人達は300mほど離れたところにあるロケット発射台に向かって走り始めたのだ。しかしそれを見た他の人達も触発され、皆、我先にと他を退けながら30枠を争った。

その争いは徐々に熱を帯びていき、服を引っ張ったり、腕や足を掴んだりする人も現れた。1度そうなってしまえば、もう歯止めは効かない。30人しか生存できないという事実に思考がおかしくなってしまった人達の争いは醜さ以外の何でもなかった。

「あんなことしてたら死んじゃうじゃん…」

美咲の言葉は最もだった。生存のための争いで命を落とすくらいならその争いに意味はあるのだろうか。

「あっ……!」

美咲が指さした先には血を流して倒れる1人の女性。女性に目を向けるものは誰一人としていない。中には邪魔になるからと踏みつける人もいた。

「完全にモラルを失ってしまったんだな…」

「ね…」

こんな惨状を美咲に見せていいのだろうか。衝撃を受けすぎていないだろうか。

「美咲、気分は悪くないか」

「ちょっときついかも…」

「なら反対を向いてた方がいい。ずっと見てたら心が持たない」

「うん…」


「だけどさ、」美咲が続けて口を開く。

「ん?」

「私も地球で暮らしてた1人の人間としてこの状況に向き合わなきゃいけないのかな」

「どうして、そう思うんだ?」

「私たち人間って自分の生存のためなら犠牲を厭わないよね。それって人間がこの地球を自分勝手に使い果たしてきた行動の根源にある気持ちな気がするの。どうせこんなこと言ったって今じゃ海斗にしか伝えられない綺麗事に過ぎないんだけどさ、もっと思いやりがあって温かい世界だったらこうはならなかったんじゃないかなって思う。

このウイルスが出始めた時もどこかで他人事だと捉えてた自分がいた。ここに集まった人もきっとそういう考えがあったと思う。けど、いざ自分がそのウイルスに向き合えば、助けを必死に求める。それってどうなのかなって。」

「そうだな…」

 俺は今何故か自分のことを指摘されているような気がした。美咲と2人が残ればそれでいいと思ったこの自分を。

「美咲、ごめん。」

「何?」

「俺はどこまでもわがままだ……」

美咲は少し心配そうな顔をしている。

「美咲の言ったことには心から共感する。だけど…それを聞いた後でもやっぱり美咲と2人でここに残れれば他の人なんてどうでもいいって思ってしまう自分がいるんだ……」


ここまで来て嘘をつく必要はないと思った。美咲が受け入れてくれなかったらそれは仕方ないとも思った。


「…………」

沈黙が続く。しかし、一方で俺の視界には先程にも増して残酷な風景が広がっている。喧騒でうるさかった人々の声も小さくなってきていた。ざっと見て3.40人はもう息を吹き返さないところまで来てしまったようだ。

俺は思わず深いため息をついた。そして目を瞑る。

 俺はここまで来ても何もできずに終わるんだ…。美咲を喜ばせることも、かっこいい姿を見せることもできなかった……。



「馬鹿…」

その美咲の言葉で俺は軽く目を開けた。

「え、…」

「馬鹿…!」

「俺はどこまでもカッコ悪くて、馬鹿で、頼りなくて…。 ごめんな、美咲。」

 これ以上何も言うことは無かった。

「だから、それが馬鹿だって言ってるの!

カッコ悪い?どこがだよ!私にとっては海斗が1番かっこいいに決まってるじゃん!

頼りないって?じゃあ私がここまで生きてこれたのは海斗以外の誰のおかげだって言うの!?何も分かってない、ほんとに馬鹿…」

「美咲………」

「いや、そんなに言わなくてもいいだろ笑」

「ごめん、気持ちが入りすぎた笑」


「…ありがとう美咲」

「私の方こそありがとう、海斗」


 そうして抱き合った。もうこの星から人間がいなくなるまでそう時間は残されていないのだと気づいて、抱きしめる腕に自然と力が入る。

「…ちょっと痛いって海斗 笑」

「ちょっとなら我慢して…」


ロケット発射時刻が刻一刻と近づいていた。

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