第26話 過去:gray and ……①
雪車引グレイ。私の人生最大の推し、一人のVTuberの名だ。
双角と赤鼻が特徴のトナカイモチーフのキャラクター。
彼女が活動していたのは今から10年以上前。
ネットアイドルを目指し、歌を中心に配信活動していた。
VTuberが世間から奇異な目で見られつつも浸透し始めた頃の先駆者。
走り始めの過疎コンテンツ、コアなファンしか居ない中でも私は特別異質だったと思う。
ライブ配信は毎回コメント、SNSには必ず反応など悪目立ちしていると気づきながらもファンレターを送り続けた。
推しに認識して貰えることが嬉しかったから。
私はそれだけ雪車引グレイを尊敬していた。
アンチに叩かれても、見てくれるファンが少なくても、彼女はずっと本気だった。
一生懸命生きている、そんな姿に私は魅せられた。
彼女が世間の批判に負けないくらい、大声でファンを名乗り続けた。
そして、私はついにファンとしての一線を超えた。
とある日のライブ配信、彼女はいつも以上に元気がなかった。
コメントで心配しても多くは語ってくれず「プライベートが大変で……」の一点張り。
なんだか消えゆきそうな彼女を見て、私は思わずDMを送ってしまった。
「悩みがあるなら言ってください。私にできることならなんでもします」と。
今思えばとんでもなく浅はかだった。
それでも私はこの選択をしなければ後悔していただろう。
私が何も言わなければ彼女はすぐにでもVTuberを辞めていたから。
彼女はこのとき私にこう返信した。
「直接会ってお話できますか?」と
◆
待ち合わせに指定されたのはとある病院だった。
教えられた部屋番号で受付の案内を受ける。
部屋に到着し、そこで待っていたのは……。
「雪車引グレイさん、ですか?」
「初めまして、も変か。いつもお世話になってます。ルナ子さん」
ルナ子はSNSなどに使いまわしているニックネーム。
その名を呼ばれ、改めて自分の目の前に推しがいると実感した。
「わぁ……本物のグレイ様……わぁ……」
「えぇと……ルナ子さん?」
「はっ。えと、グレイ様は……」
「……ぷっ。ごめんなさい、目の前で様付けされると……あはははっ!」
笑い声を聞いて安心した。
毎日欠かさず耳にした声、紛れもなく雪車引グレイのものだったから。
しかし笑っていたのも束の間、すぐに神妙な面持ちに戻った。
「アタシは生まれつき体が弱くてね。通院と入院を繰り返してるんだ。ここに君を呼んだのは……一番熱心に推してくれた君に、最後にアタシの今を知ってもらおうと思ったから」
「最後ってグレイ様……やっぱりVTuber辞めようと思ってる?」
「……今家族にね、反対されてるんだ。配信も家でしかできないし、続けていくのは厳しいだろうね」
最近の彼女の配信から察しはついていた。
個人的にはもちろん辞めてほしくないけど、他人の人生に口出しして良いはずがない。
だが何故だろう。
辞めると言っている割に、どうしても未練があるように見えてしまう。
「グレイ様は……続けたい?」
「……当然だよ。アタシだって、やっと見つけた居場所を失くしたくない」
そう悔しそうに呟く彼女を見て思い直す。
やはり雪車引グレイは辞めるべきじゃない。
ファンがそれを望んでいて、本人もそう望んでいる。
「それなら配信、私の家でやりません? 私が雪車引グレイのマネージャーになりますよ」
推しの望みを叶えてあげるのがファンの本懐というものだろう。
それを聞いたグレイは目を丸くして聞き返してくる。
「それは……正直嬉しい提案だけど、良いの?」
「もちろん。私にできることならなんでもって言ったじゃないですか」
「そっか……そうだね。じゃあ、よろしくお願いします」
そうして私は雪車引グレイのマネージャーになった。
配信環境の整備や生活スタイルのズレで最初は配信頻度も減ってしまった。
「瑠奈って本名だったんだ」
「あはは、完全に名前負けしてますよね……」
「そんなことないけど……じゃあこれからはルナって呼ぶよ。それに君も、マネージャーなら様付けは卒業しないとね。あと敬語も」
「うっ確かに……分かったよ。グレイ」
両者間でルールを設け、活動を続ける内に慣れていった。
二人で予定を合わせ、企画を考え、試行錯誤する時間は楽しかった。
「グレイはグレイの良さを全っ然分かってない!」
「えぇ……正当に自己評価したつもりなんだけど……」
「いいや最古参の私が言うんだから間違いないね! グレイはね? 普段はカッコいいけど見てると虐めたくなる可愛さがあるんだよ。小学生とか好きな子虐めちゃうってよく言うでしょ? それと一緒なの。グレ虐でしか得られない栄養素があるの」
「うーんあんま嬉しくないし厄介オタク面倒くさい」
分かり合えないこともあったけど、意見の異なる二人の考えをぶつけ合ったからこそ、配信は格段に良くなったように思う。
そうしてマネージャーを始めて1年が経過しようとしていた頃。
雪車引グレイの知名度は数倍に膨れ上がっていた。
この時代のVTuberはほとんどが個人勢で、中でも雪車引グレイはトップレベルと言っても過言ではなかった。
「ありがとう。ルナのおかげでここまで来れたよ」
「ううん。グレイにそれだけ魅力があったからだよ」
「でもアタシ一人じゃ絶対にここまで来れなかったから……」
推しからの感謝はこそばゆく、照れくさいけど嬉しかった。
グレイは言いにくそうにしながらも、胸の内を明かしてくれる。
「アタシはさ……ピエロになりたかったんだ」
「ピエロ?」
「そう。VTuberってさ、自分の素顔を覆い隠しパフォーマンスで観客を楽しませる。まるでピエロみたいじゃない?」
「うーん。ピエロって厳密には『愚かで悲しい道化師』らしいよ?」
「そうなの? じゃあ道化師、VTuberは現代版の道化だね。友達ができなかったアタシを見て、笑ってくれる人たちがいる。アタシは皆の幸せになりたいんだ」
グレイは病院通いしなければならないほど体が弱く、マネージャーとしてサポートすることも多かった。
そんな背景があったから、友達ができなかったという言葉に重みを感じた。
皆の幸せを幸せそうに願う、そんな彼女を見てるだけで私も幸せを感じた。
そんな幸せな日々が続いて欲しかった。
人気になると共に、彼女はより一層配信に力を入れるようになった。
「ケホッ……ん゛ん゛、ごめんごめん」
「ねえ、最近頑張りすぎじゃない? もっと休んだほうが……」
「何言ってるの? 毎日配信しないと忘れられちゃうよ」
今のグレイは乗りに乗っている。
だから頑張りたい気持ちも分かるし、応援したいとも思う。
けれど嫌な咳払いに加え、少しだけ彼女の声に違和感を覚えた。
「でも……喉痛いんでしょ? 水飲みづらそうにしてるし、無理しない方が……」
「……ルナも結局同じなんだね」
「グレイ?」
「無理しなきゃ生きられないんだよ……VTuberになったこともないルナに何が分かるの?」
「え……」
「……ごめん。今日はもう帰るよ」
その日、初めて推しから突き放された。
私はただグレイの体を心配しただけ、グレイに長く配信を続けて欲しいと思っただけ。
だからこそ、今日帰ってくれたのは良かったのかも知れない。
配信はいつも私の家でやるから、これで彼女は配信を休んでくれる。
……そう思っていた。
「あれ……カメラとマイクがない……」
それに気づいたのはグレイが去ってからしばらく経過した頃のこと。
パソコンに備え付けのマイクとカメラが取り外されていた。
とてつもなく嫌な予感がする。
それと同時に震える携帯端末、アプリの通知で鳴動したらしい。
恐る恐る画面を見ると、「雪車引グレイさんがライブ配信を始めました」という文字が目に入る。
「グレイ……なんで……!」
グレイは自分の家で配信を始めた。
親の反対も、私の反対も押しのけて。
急ぎ外に出て彼女の家に向かう。
道中メッセージを飛ばしても既読にすらならない。
肥大する胸騒ぎは走っているせいだと思いたかった。
………………………………。
「けほっ。ごめんごめん。続けるよ―」
雪車引グレイは普通に配信しているつもりだった。
《大丈夫? 無理してない?》
《お水飲んで》
それなのに皆が心配する。
「無理なんて全然してないよー。だからリクエストあったらどんどん言ってね―」
身体が心配だからと止めてくる。
《声変じゃない?》
《なんかイライラしてる?》
《休んだほうがいいって》
イライラしてるかって? しないわけがない。本当に煩わしい。
「いやだから……大丈夫だって……」
自分の言葉を、意思を無視され、行動を制限される。誰も信じてくれない。
《治るまで待ってるから》
それなのに……そんな人達の言葉を信じられるわけがない。
「待つ……本当に待ってくれるの?」
もう、我慢の限界だった。
「じゃあ1年休んでも待っててくれる? 他の配信者も見ないで? 無理だよね? 1年後に帰ってきても君たちにとってアタシは過去の遺物。『復帰? ああ、そんなやつもいたっけ。一時期ハマったなぁ。しゃーないまた見てやるか』って、その程度の存在に成り下がるんでしょ?」
視聴者に止められ、家族に止められ、自分の夢に協力してくれる友達にまで止められて。
自分の居場所がどんどん失くなっていく。
「人はさ……簡単に忘れるんだよ。特に娯楽コンテンツに関しては。流行りが終わって、またしばらくして流行り始めてもそれは違う自分なんだよ。アタシ達にとって忘れられることはさ……死ぬのと同じなんだよ。休んだら死ぬんだよアタシは!!」
自分は何も悪いことなんてしていない。
もちろん皆が悪いわけじゃないのも分かっている
悪いのは……己の生まれた肉体の弱さ。
「だからアダジは……けほっ。あ、れ……ゲホ、声、が……」
声の異常に気づき、喉を押さえていると勢いよく扉が開かれた。
汗だくになり怖い顔をしている友の姿。
雪車引グレイの記憶はそこで途絶えた。
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