第8話 闘争
暗闇の中。
ほんの小さな足音とくぐもった呻きが俺の鼓膜を震わせた。
立ち上がる。剣を引き抜き、鞘を投げ捨てれば鈍い音が静寂を破った。良く研がれた刃が煌めく。
「よう。こんな夜更けにどこいくんだ」
物陰から突如現れた俺に、その人物は驚き足を止めて目を見開く。体格からして女だろうか。そいつはズダ袋を片手に持っていて、そのズダ袋は生き物みたいに動いていた。大きさはちょうど――あの少女くらい。
「俺がいたのが運のツキだな、女」
差し込む月明りが女の顔を照らし出し、――今度は俺が目を見開く番だった。
「アイカ…… なぜおまえが……?」
彼女の驚きはすぐに引っ込んで、冷たい無表情の仮面が貼り付けられている。リリムに仕える第一の下僕であるはずのアイカが俺の前に立っていた。
「仕事だからです」
何を考えているのか分からない表情。
「事情はしらんが……とにかくリリムを解放してもらうぜ」
ことここに至って迷いは不要だ。構えのない姿勢から倒れこむように体を伏せ、床を蹴り飛ばす。爆発的な加速。
アイカは後ろにステップを踏むが間に合うはずもなく、剣先はその胸元を掠めて、ズダ袋を引き裂く。
生まれた穴からバッとリリムが頭を出した。表情は恐怖で染まっている。口の中には布が詰められていたが、幻聴だろうか、「おじ!」と俺を呼ぶ甲高い叫びが聞こえた。
アイカは苦々し気に眉を歪めて懐からナイフを取り出す。それと同時に、俺を囲むように複数の気配が現れた。
一人、二人……
そして三人目。
どれもかなりの腕だ。佇まいに隙が無い。
「アイカ…… どういうつもりだ?」
「奴隷に話すことはありません。大人しく剣をおろし、部屋に戻りなさい。お前が関わっていい領分ではない。わきまえよ」
リリムは芋虫のように動いてズダ袋からの脱出を試みるが、手足を縛られているようでうまくいっていない。
アイカが構えたナイフがリリムの喉元に迫り――俺の剣が弾き落とす。手首を強かに打たれたアイカは後退りをした。
リリムの首根っこを掴んで袋から引っ張り出し、手足を縛る紐を切って、口の中の布を引き抜く。すぐに「おじ!」と叫んで立ち上がり、抱きついてくる。
そしてひゃっと飛び退く。リリムの目線は俺の股間へ。
「な、なんでココ、大きくなってるワケ……?」
「だから戦闘中はこうなるんだって言ってるだろ。生死の狭間にあって男は輝くんだ」
「き、きも…… おじきもい…… どんな状況でも性欲第一のおじきもい……」
「とにかく離れるな」
リリムは頷いておずおずと俺の腰にしがみついた。そして叫ぶ。
「衛兵さーん! 助けてー! リリム攫われちゃう! 助けてー!」
それは屋敷中に響き渡った。あちこちでバタバタとした物音が聞こえ始める。
アイカが口を開いた。「すぐに終わらせなければ」。三人の刺客が目で肯定する。
リリムを助け出したはいいが、問題なのは、守るべき存在があるというのはすごく戦いづらいこと。しかも廊下は狭く、逃げ場がなく、囲まれている。
これはまずいかもな…… どうにか時間を稼ぐしかない。
「避けることだけ考えろよ」
しかしリリムは首を横に振った。その瞳が宿すのは闘志。指を鳴らして、
「おいでモプップ!」
七色に輝く空間の裂け目から、モプップが飛び出してくる。聡い犬っころはすぐに主人の危機を察し、リリムを庇うように刺客を威嚇した。
三方向から襲う刃。一つを俺が弾き、もう一つも俺が蹴り落とし、もう一つを――
「モプップ!」
ワンと吠えて飛びかかり、腕に牙を突き立てる。低等級とはいえ精霊の咬合力は骨まで砕くだろう。刺客は血の流れる腕を押さえて闇へ消えていく。
さらに、リリムは剣の鞘――俺が投げ捨てたもの――をいつのまにか握りしめていた。
「ウインドブラストッ!」
命令に応じてモプップが異界の超常を現世に招き寄せる。風が弾丸のように収束していき――
「アイカ、お前は解雇よ!」
リリムが鞘をえいやっと放り投げた。アイカは難なく避ける。同時にモプップも風の弾丸を放つ。これも難なく避けられる。
リリムは頬を膨らませた。
「おい! おじ! 当たらないのだが? 言った通りにしたのに当たらないのだが?」
思わず笑いがこぼれてしまう。
「次は当たるさ」
「ふんっ!」
アイカが口を開く。
「お嬢様を引き渡しなさい。金をあげましょう。お前では一生稼げないほどの金と、それから平民の身分もあげましょう」
「けっ。そんなもんいるかよ」
俺は戦士だ。奴隷であろうと平民であろうと貴族であろうと関係ない。戦士ってのは身分ではなく、生き方なのだ。
「リリムは俺の主人だ。裏切るのは戦士の誇りを傷つける」
俺の服を握る小さな手にぎゅっと力がこもった。
「ウインドブラスト!」
風の弾丸が明後日の方向へ飛んでいき、――壁に穴を開ける。そこから現れたのは剣を抜いた衛兵たち。
リリムが叫んだ。
「賊を捕えなさい! アイカが密偵よ!」
アイカは短く舌打ちを残して闇の中へ駆けていく。衛兵たちはそれを追った。
屋敷の中に灯りがともっていき、だんだんと闇が晴れていく。
使用人たちは何事かと部屋から顔を出し、アリの巣をひっくり返したような騒ぎが隅から隅まで伝播した。
「とりあえずはしのいだな……」
だがこれで終わりとは限らない。また隙をみて襲ってくるかもしれないし、メイドの中に裏切り者が紛れ込んでいるかも。
それはともかく、俺はリリムの頭を撫でた。
「よく戦ったな」
「うん」
あどけない子どもみたいに、別人のような素直さで頷く。
「こわかったよ……」
「もう大丈夫だ」
「おじがいなかったら、リリムさらわれちゃうところだった。アイカ、信頼してたのに……」
「…………まあそんなこともある。人生いろいろあるもんだ。出会いもあれば別れもあるさ」
「なにそれ? 慰め? まったく慰められてないんですけど。女の子の扱い下手すぎ。ざーこざーこ」
唐突にいつもの調子を取り戻し、リリムはニタリと笑った。その急変に俺はついていけず、目を白黒させて言葉を受け取ることしかできない。
「おい、こら、おじ。『リリムは俺の主人だ』って言ったけど、ついに認めちゃったね。心まで屈服しちゃってること。リリムのこと大好きな変態さんだってばれたね。おいこら、ざこおじめ。かわいいとこあるじゃん」
「は、はぁ?」
「ぷぷぷ~。ぜんぜんかっこよくなかったぞ♡ リリムに尻尾振るワンちゃんみたいでかわいい~って感じ。おじは一生リリムの奴隷だから。覚悟しとけ? 死ぬまで奉仕する覚悟しとけ?」
リリムは俺の手を引いて歩き出した。心配そうな使用人たちをしっしと追い払い、彼女の私室へ。
部屋へ入る前、リリムは外に向かって叫んだ。「奴隷おじに守ってもらうから、部屋には入らないように!」。
そして想像以上の力で腕を掴まれ、俺は引きずり込まれるように部屋の中へ。
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