第5話 まけてなどいない!


 俺が買われてきてから数日が経った。初日以外リリムとはたいして絡んでいない。


 奴は伯爵家の令嬢であり、学校に社交に習い事と忙しいのだ。すれ違うたびにバカにしてくるが、その程度でムキになるほどガキじゃない。


 戦闘がない日の戦闘奴隷はかなり暇だ。まあ主人にもよるが、どうやらこの屋敷では力仕事や雑役を強制させられることはなさそう。それ専門の奴隷が十分いるからな。


 何をしてるかといえば、害虫を退治してメイドさんに恩を売ったり、衛兵たちと訓練したり、奴隷仲間とオセロをしたり。これまでの人生でも指折りの穏やかで充実した日々である。


 昔のダチに「生まれ変わるなら貴族の猫になりたい」なんて言うやつがいて、その時は猫なんてありえねえと笑ったが、今なら少し気持ちがわかる。貴族の屋敷っていうのは奴隷にまで行き届くほど豊かさが満ちているのだ。使用人たちには平民も多くて奴隷に優しいし、リリム以外のお貴族様はまだ見ていない。


 ここ数日で積み重ねた信頼のおかげで、俺は鎖も枷も監視もなしに敷地内をうろつくことを黙認されている。


 そういうわけで。


 俺は裏庭にある木陰でうたた寝をしている。昼飯をよく食って眠気がきたのだ。木漏れ日がチラチラと眩しいので腕で目を塞ぐ。


 初日はどうなることかと思ったが、この職場は悪くないぜ。ぶら下がれるだけぶら下がることにしよう。


 のんきにあくびなどしていると、平穏を貫いて切り裂くあの声が聞こえた。


「あ、おじ♡ おじみっけー。なんで昼寝してんの? なんでなんで? リリムは昼寝の許可とかしてないのだが?」


 目を開ければ両手を腰に当てて不満げなリリムがいる。その後ろにはアイカが変わらずの無表情で控えていた。


「リリムだってせっせと働いてるのに、なんでおじはぐうたらしてるんだろう。おかしくなーい? あ、分かった♪ 仕事ないんでしょ。やりがいのある仕事も生きる意味も彼女もなくてナイナイ尽くしの人生なんでしょ。ざっこぉ〜」


「のっけからよく回る口だな。それで何の用だ?」


「今日はリリムがおじを躾にきました。にゃはっ♡」


 斜め後ろのアイカがぼそり「戦いの稽古ですよ」と呟く。


「そっちもしますぅ。――でもまずはこのだらけてるだめだめ奴隷に、リリムがご主人様なんだって理解させないと」


「俺はお前のことを主人なんて思ってないが。これまでもこれからもな」


 リリムの目の端が鋭く吊り上がる。


「許せないんですけど! くっぷくけってーい。屈服の刑けっていね。リリム怒ったから。おじが降参するまで虐めるのをやめませーん」


 リリムは俺にまたがった。黒いストッキングと赤いスカート、その狭間にある肌色。一切の傷も穢れもない冒されざる柔肌。それが息がかかるほどすぐそこにある。


 青い瞳のなかに映る俺は、何日も食事にありつけていない野犬みたいな顔をしていた。リリムはにたりと笑う。


「みすぎみすぎ。太ももみすぎ~」


「見てないが」


「ええ? おじ、よわよわなうえに嘘までつくの~? あ! いいゲーム考えた! "いやらしい目で見てるか"ゲームしよっ。いやらしい目で見たらおじの負け。そうじゃないならおじの勝ち。簡単でしょ? 理解できた?」


 いやらしい目で見てるかゲーム。俺はすぐに必勝法を思い付いた。今日の俺は冴えてるぜ。


「いいじゃねえか…… やってやるよ。俺は戦士だ。売られた喧嘩からそうやすやすと逃げるわけにはいかない」


「ぷぷぷ~。かっこつけてるくせに太ももガン見やめないんですけど~」


「見てないって…… ぼんやり全体を把握してるだけだ。間接視野ってやつ。素人にはわかんねえだろうな。――それで"いやらしい目"かは俺が自己申告するでいいんだよな?」


「いいわけないでしょ? リリムが判断します」


「それはおかしいだろ。ゲームとして成立しない」


「はあああ? 奴隷のくせにうるさいなあ。なら――アイカ、あなたがやってくれる?」


 アイカは表情を変えないまま頷いた。


「主君であるアーモンド伯爵閣下に誓って、厳正に審判をくだします」


 その声に曇りはない。敵方に有利な条件ではあるが……まあいいだろう。


 リリムはぱちんと手を鳴らした。


「スタート!」


 そしてスカートをほんの爪の先くらいだけ持ち上げる。


「ほれほれ〜見ていいぞ〜。おじにしか見せないここ、特別に許してあげる。だーれも相手がいないおじがかわいそうだから、リリムの太もも見せたげる〜。きゃはっ♡ 鼻息荒いんですけど。豚さんみた〜い」


 落ち着け。俺はロリコンではない。こんな鶏ガラみたいな太ももを近づけられたって興奮しない。


 俺の中のもう一人の俺が言った。「兄弟、よく見てみろよ。あのストッキングのむちっとしたとことか。意外と肉もついてるんだぜ」。


 リリムの黒いストッキングは少し透けていて、つやつやとした光沢感を持って肌を彩っている。そう、確かに肉付きが悪いわけではないのだ。むしろ身長の割には柔らかそうな体をしているというか……


 待て。俺は何を考えている? 落ち着くんだ。


「あははっ♡ おじわかりやすい。リリムの太もも好きなんだね〜。かわいい。おじが一番好きなのはパンツだろうけど〜見せませ〜ん。パンツは好きな人にしかみせませ〜ん。おじは一生みれませ〜ん。でも、太ももはぎりぎりまで見せてあげる♡」


 リリムの細い指がスカートを捲り上げていく。パンツが見えるか見えないか、ちょうどその境界線上を往復した。


 おっ、今見えたんじゃないか? いや違うか。もう少しで見えるぞ! おい下げるな!


 待て待て。落ち着けって。深呼吸だ。戦いの中でこそ冷静さを保て。俺は向かい合う戦士を観察するように太ももを見つめた。この戦士の足捌き、重心の移動を読み解くのだ。


「アイカ、これいやらしい目でしょ? どうみてもいやらしいんですけど。リリム分からせ寸前で怖いんですけどぉ」


「……いやらしい目とはいえません」


「あんた分かってるじゃねえか。こんなのはいやらしいうちには入らない。初心なガキは勘違いするかもな」


「童貞おじのくせに強気じゃん。きも〜い。ならこっちはどうだ? おら? おら? リリムの谷間みてみろ?」


 四つん這いになり、腕で胸を寄せて無理やりに作られた谷間。決して大きくはないが、これからの成長を期待させる膨らみだ。数年もすればさぞいい女になるだろう。俺はその過程を見守り――


「きゃははっ♡ 絶対頭の中でいやらしいこと考えてるでしょ〜 おっぱい揉みたいって思ってる顔だあ。ざーこざこ。リリムのこと好きなんでしょ? 視線から好き好きオーラ溢れてるが? オラオラ? どうなってんだオラ?」


「好きじゃないが? 微塵も好きじゃないが?」


 耐えられなくなって、俺はついに目を閉じた。これが必勝法。暗闇の中で世界と我とを思う。明鏡止水、泰然自若、虚心坦懐。


「おいおじっ! ズルするなっ! 目瞑るのは反則だぞっ!」


「そんなルール聞いてないが。戦いはなんでもありなんだよ」


「はああ? そんなズルおじには……こうしてやる!」


 むぎゅり。柔らかくて生温かい何かが俺の顔に押し当てられた。むにゅむにゅと形を変え、鼻を押しつぶすように顔全面を撫でまわしていく。


 この弾きかえすような弾力、熱を帯びた肌触り、そして柔らかさ。


 俺はそれをむんずと掴んだ。


「あんっ。いたいっ♡ おじさんやめて♡ 力つよすぎっ♡ 分からせられるっ」


 間違いなく――生乳だ!


 俺はゲームのことなど忘れて目をかっぴらいた。目の前にあったのは……


「二の腕じゃねえかッ!」


 アイカがぴしりと手を上げる。


「いやらしい目でした」


「クソがっ!」


「おじの負け〜 ズルしたのに負け〜 リリムのおっぱいみたすぎ罪で逮捕〜 有罪確定即死刑〜 クスッ。やっぱりリリムのこと好きなんじゃん。てか、二の腕とおっぱい間違えるとかあり得なくない? 童貞確定演出きちゃ〜」


 俺は倒れ伏せた。もう立っていられない。なぜ目を開いてしまったのか……


「屈服完了♡ おじさんは一生リリムの奴隷です。逆らうことは許しません。しっかり胸に刻んどけ? 敗北者だってこと忘れるな?」


 まだ負けてなどいない。


 このメスガキ――


 分からせてやるッ!!!

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