第3話 ま、まけちゃう……
――時を戻して、戦いの少し後。
俺はリリムの私室に連れ込まれていた。もちろん二人きりではない。メイドのアイカが部屋の隅で幽霊みたいに息を殺している。
そこは少女らしい部屋だった。ピンク色のもの、ふりふりしたもの、カラフルな人形。そういうものが所狭しと詰め込まれている。
リリムは棚を開き、中のものを引っぱり出しては投げ引っぱり出しては投げ、床をむちゃくちゃに散らかしながら何かを探す。積みあがるがらくたの山が高くなるたびにアイカの顔が険しくなる。彼女はきっとこれを片付けるのだろう。ご愁傷様だ。
「あった!」
そう言ってリリムが取り出したのは――オセロだ。
「これでゲームをしましょう。負けた方はなんでも一つ言うことを聞く。おじさんに拒否権はないから」
オセロ。
俺は……頬が緩むのを止められなかった。
このメスガキは奴隷のことを何にも知らないらしい。何も持たない奴隷でも楽しめる数少ない娯楽がオセロなのだ。なぜなら小石を集めるだけで遊べて、文字を読めなくても学が無くても平等だから。
俺ももちろん嗜んでいる。というか暇なときはだいたいオセロをやっている。大会で優勝し、豪勢な肉料理を手に入れたこともある。まあ貴族にとっては犬の餌と大差ないだろうが……
「おじさんルールわかるぅ? 小学校も行ってないから分かんないかなあ。ざこざこすぎて一方的になっちゃうかも?」
「ほざいてないでかかってこいよ」
俺は戦闘センスだけで生き抜いてきたわけではない。それほどイージーな人生ではなかった。このよく働く頭があってこそここまで長生きしているのだ。
「俺はめちゃくちゃ強いからな。子供は大人にどんなことでも勝てないってことを教えてやる」
▽▲▽
真っ白に染まった盤面。俺の頭の中も真っ白だ。
「ざっこ。想像以上によわよわだったんですけどお。リリム、こんな勝ち方はじめてしちゃった♡ もしかして負けたかったの? リリムに屈服して命令されたかったの? そうなんでしょ? きっも~ ドエムのロリコン変態おじさんじゃ~ん」
今まで俺が築いてきた戦術、勝ってきた戦術は泡のようにはじけて消えた。常に三手先を読まれ、欲望を見透かされ、そして最後にすべてをひっくり返された。
「くやしい? ねー、くやしいー? こんな小さい子に負けちゃって悔しい? 『俺はめちゃくちゃ強い』とか言ってたけど、完膚なきまでに叩き潰されてどんな気持ち? 『子どもは大人に勝てない』とか言ってたけど、ぼっこぼこにされてどんな気持ち? リリムに教えて~ リリムこんな負け方したらもう生きてけないかも」
圧倒的敗北。
今までのオセロ人生は無学な奴隷たちの低級な戦いでしかなかったのだ。俺は今まで倒してきた戦友たちに詫びた。すまない、みな、みなで研いできた刃は届かなかった……
「何を命令しよっかなあ~ ねえ、何を命令されたいの?」
床に跪いてうなだれる俺の前で、リリムは屈みこむようにして煽ってくる。
「まずは謝ろっか。かわいいリリム様ごめんなさい、僕の負けです許してくださいって」
俺は……敗者だ。惨めにすべてを奪われた敗者。
割れそうになるほど奥歯を噛みしめながら声を絞り出す。
「かわいいリリム様…… ごめんなさい、僕の負けです……許してください。二度とオセロで勝とうなんて思いません…… 調子に乗っていました……」
「ぷぷぷ~。命令してないことまで言っちゃってかわいい~ おつむだけじゃなくて心までざこざこになっちゃったんだね。かんぜんくっぷくって感じ。それじゃあ――お馬さんになってもらおうかな」
▽▲▽
もはや俺の無垢なる肌を隠すのは頼りない布切れ一つのみ……
パンツ一枚であることは別に恥ずかしくはない。むしろ奴隷の標準装備といえよう。
「パカラ、パカラ。ざこざこ変態おじさん馬、パカラ、パカラ」
だがこれは許しがたい。なぜこのような屈辱的な扱いを受けなければならないのか。
「おら、おら、すすめ、すすめ」
リリムは小さいくせに尻の肉だけはやたらともちっとしていて、俺の背中の上でまりのように弾むのだ。
だがそれはそれ、これはこれ。跳ねる尻肉の感覚から必死に意識を逸らし、心の中の怒りに集中する。この炎だけが俺の正気をつなぎとめる楔だ。
「おらおらペースが落ちてきてるぞ。リリム許してないんですけどぉ。もしかしてもう限界きちゃった? よわすぎ〜 オセロも弱いくせにお馬さんもできないとか、何だったらできるわけ?」
俺は戦闘奴隷だ。一握りの人材しかなることができない、選ばれしもの。こんなことのために買われたのではない。
職場環境の改善を要求するッ!
「ちょっと! 勝手に止まらないで! 前足をあげないで! 落ちちゃう! 負け犬のくせに!」
負け犬。その言葉で心の中の炎は消化された。そう、俺は負け犬なのだ。なんでもいうことをきくと約束し、負けた雑魚。
立ち上がり二足歩行に戻りかけていた俺は、再び四足歩行となって歩き出す。
「そうよ。えらいえらい。よくできました♡ きゃはっ」
小さな手が俺の頭を撫でる。頭を撫でられるなんていつぶりだろう。こんなにも心地いいものだったのか……
長い廊下を進んでいく。この廊下はいったいどこまで続くんだ? 俺はいったいいつからこんなことを…… そしていつまで? だめだおかしくなりゅ。
「また止まった! 止まるなって言ってんの。このポンコツ! 動け! おら! おら!」
リリムはこともあろうに俺の乳首をバチンと叩いた。バチン、バチン。そのたびに軽い痺れが走る。
高くてねちっこいこの声が耳元で響くと、体が火照ってしまうのだ。細胞は学習を始めてしまっている。声と快感とを結びつけ、犬のような条件反射を染み込ませつつあった。
このままではいけない。
「俺はロリコンではない俺はロリコンではない俺はロリコンではない俺はロリコン俺はロリコンではない俺はロリコンではない……」
まて。今ひとつ「俺はロリコン」が混じってしまったような……
「なにブツブツいってるのぉ? きっも〜い。ええ? ロリコンじゃない? プププ。必死も自分に言い聞かせてるんだ〜。かっこわる〜」
唐突にリリムは抱きついてきた。俺の足は止まった。まるで愛しい恋人にするかのように腕を回してきて、その柔らかい双丘が潰れて形を変えるのが分かる。
そして耳にかじりつくようにして囁いてくるのだ。
「なら、ロリコン検査しまーす。クスッ。興奮したらおじさんの負けでーす。拒否権はありませーん」
「興奮なんてするわけないだろ?」
「はい検査けってーい。リリム、おじさんが嘘つくのはゆるしません」
「興奮なんてするわけないだろ? 興奮なんてするわけないだろ? 興奮なんてするわけないだろ? 興奮なんてするわけないだろ? 興奮なんてするわけないだろ? 興奮なんてするわけないだろ?」
「また言い聞かせてる〜 敗北確定演出きちゃ〜 それ興奮してるひとのセリフなのだが?」
俺はロリコンじゃないんだが? 興奮なんてするわけないんだが? 額を汗が伝っていく。これは戦いだ。俺という男の精神的命を賭けた負けられない戦い。
「じゃあ今から恋人わからせごっこするね♡ ――おじさんすーき♡ すき♡ もうがまんできない♡ ぎゅーってして?♡ 分からせて?♡」
「グハッ」
俺は血を吐いた。体の中で得体のしれない何かが蠢いているようだ。骨の内側から作り替えられてしまっている。
「ほーら、お尻ふりふり♡ おっぱいすりすり♡ メスガキが必死にアピールしてまーす。つよつよおじさんすきっ、すきって頬赤くして甘えてきてまーす」
「降参だ」
これ以上はだめだと思った。まだ戦えるとも思っていた。だが、俺の魂に反して俺の脳みそは敗北を宣言していた。
リリムの声色が変わる。
「はああああ? 雑魚すぎなんですけどぉ。面白くないっ! ゲームにならないっ! リリムを本物の恋人だと勘違いしちゃったんですかあ? あれだけいきがってたくせに興奮しちゃったんですかあ? ざっこぉ〜」
「――クソがッ!」
「突然吠えてこわーい。リリムこわい♡ 分からせられちゃう♡ 生意気言ってごめんなさい♡ もうしません♡ 許してください♡」
「だまれッ! それ以上喋るんじゃない!」
「こわいこわい♡ ごめんなさい♡ そこはダメ♡ よわよわなメスだってバレちゃう♡ 好きなのバレちゃう♡ すき♡ すき♡ むちゅー♡」
「アァあああああああ――――」
耳を塞ぐ。絶叫する。リリムを振り払い、子どものようにうずくまる。
「まじでザコじゃん。クスッ、よわよわすぎ。どんだけ興奮してるわけ? 怖いんですけど」
喉が裂けると思えるまで叫んでも、リリムの甘ったるい声は全てを貫通して体の一番深いところに針を突き立ててくるのだ。
「やめろっ! もう、やめてくれ……」
どれくらいの時間が経ったのだろう。
気付いたらリリムはいなくなっていて、俺は一人きりだった。いったい何があったんだ?
記憶がぼんやりとしている。直近のことを何も思い出せない。俺はリリムにオセロで負けて、お馬さんをやらされ、そして……どうだったっけか。
何も思い出せないが、ただじんわりとした敗北感が胸を責め立てた。オセロファイターとしての誇り高い俺は死んだのだ。
それからもう一つ。義務感にも似た燃えるような闘志。これこそお前が創られた意味であると神に教えられたような、全てに優先される天命。
俺はあのガキを――
分からせてやるッ!
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