“入学案内”
──マリアからの唐突な申し出に驚いてしばらく固まっていると、彼女は追撃のように話をしてくる。その間繋いだ手を離すような素振りは見せないし、なんだか追い詰められつつあるような錯覚に陥りそうだ。蛇に睨まれた蛙っていうのはこういうののことを言うのかもしれない。
「拒否権はないわよ。どのみちアナタが私を解放したんだから、外に連れ出した責任くらい取りなさいよね」
「そ、そうは言ってもさ、使い魔になるなんて急に言われても……」
躊躇するオレに構うことなくマリアは身を寄せてくる。近い。近すぎる。ここまで女の子にぴったりくっつかれたことなんかこれまでの人生で一度もないから調子が狂うし、あとどこを見ていいかわからない。あ、なんか柔らかくていいにおいがする……。
この娘が母さんの使い魔だったとか、そういうのはまだかなり信じ難い。でも出会ったばかりの──それもちょっと気難しそうな女の子のマリアが──オレに対してこんなにぐいぐい来るのはたぶん、やっぱり、オレが母さんの子だからかもしれない。慣れ親しんだ人の子どもに対してフランクに接するっていうのはよく聞くし、実際どこにでもある話だと思うから。
「魔法使いには使い魔がいるものよ?」
「まだ魔法使いになるなんて言ってないよ!」
「いいじゃない。私と出会ってしまったんだもの、どのみち普通の子になんて戻れないんだから」
「……え? それってどういう意味……」
オレが唖然としていると、マリアが繋いでいた手をそっと静かに解く。彼女の蒼い瞳がオレから逸れる。その小さな海はオレの背後にある何もない空間を見据えていた。
「──すぐにわかるわ。
マリアがそう言った直後、背後からコツコツと靴音がした。「ほら来た」と言わんばかりの顔をして鼻を鳴らす彼女を見てから、恐る恐る振り返ると、そこには小柄な女の子の姿があった。オレやマリアよりも小さい女の子だ。……さっきまでここにはオレとマリアしか居なかったはずなのに、なんで?
また疑問符を浮かべたまま女の子を見ていると、彼女は緩慢な動作でお辞儀をした。ふわふわと波打つような銀色の髪が揺れる。それに倣うように少しぎこちないお辞儀を返すと、少女が顔を上げ口を開いた。
「こんばんは。そしてごきげんよう──冬海櫂士君」
その挨拶を聞いて、開いた口が塞がらなかった。……オレのことを知ってる? どこで知ったんだろう? そもそも、この子は誰で、何なんだ?
「ふむ。疑問の尽きない顔だね。致し方あるまい。では、まずは自己紹介をさせていただこう」
彼女は機械的な合成音声みたいに抑揚のない声で淡々と話を続ける。静かな語りかけなのに、オレよりずっと小さな女の子なのに、不思議と荘厳な空気を纏っていて──相対しているだけでもなぜか萎縮しそうになる。
「わたしはヘルメス・トリスメギストス。きみの御母堂の師のひとりであり、そこに居る
ヘルメスと名乗った少女が持っていた杖でマリアを指す。
「わたしと御母堂でかけた封印が解けた気配がした故に、すっ飛んで来たわけだが……ふむ、そうか。彼女がきみの使い魔になるのなら話が早い」
口元に手を添えて一考するような仕草を見せてから、彼女はオレの瞳をまっすぐに見つめた。その髪と同じ、きれいな銀色だった。
「冬海君。これから魔法使いとなるきみへ、我が
……なるほど! これが先ほどマリアが言っていた「お迎え」らしい。ずっと急展開が続いていてそろそろ脳が
呆然と突っ立っていると追い打ちのように声がかけられる。
「なに。入学案内はわたしが手配する。きみは何の心配も要らないし、何の準備もする必要がない。いいね?」
「は、はい…………もう好きにしてください……」
頭がこんがらがった結果、とうとう考えることをやめてしまった。もうなんでもいい、この際なるようになれ!
というか……これから高校受験を控えてたところだったはずなのに、思わぬところで入学先が決まってしまった。しかも響きからして、その、魔法学校とかそういうのだ。全然実感が湧きそうにない。だって、そんなのずっと前に見た映画の中の世界にしかないものだと思ってたから。
オレのそばに立っていたマリアが少女を見て薄く笑った。
「思ってたよりもずっと早いお迎えですこと。──お久しぶりね、理事長?」
「相変わらず元気そうで何よりだ、荒波の君。その様子では我々が懸念していた事態は起きそうにないようだね」
「ええ、どうもお陰様で。こうして半端な悪魔になっただけでおしまい、アナタ達が恐れてたようなコトにはならなかったわ」
「なるほど。進化キャンセルのためにBボタンを押した……いや、かわらずのいしを持たせておいた甲斐があったというものだ」
「……バカにしてる?」
「いやまったく。わたしは如何なるときも至極真面目だとも」
どうやらこの二人はただの知り合いではなさそうだ、と会話を聞いて思った。途中なんか妙な話というか、オレでもわかるような話をしていたような気はするけど深く突っ込まないでおこう。マリアが面白くなさそうな顔をしてるから、突っ込んだらきっと怒られる気がする。
ヘルメス……理事長と呼ばれた少女はオレに向き直った。
「失礼したね。ではこの案内状をきみに授けよう──これが入学許可証にもなっている。念のため中身はここで確認しておきなさい」
理事長から封筒を受け取った。校章らしき模様が刻印された赤い封蝋を外して、中身をあらためる。
入っていたのは船のチケットと、オレの名前が書かれた入学許可証。
「あの……この船のチケットは?」
「我が校へ行く船に乗るためのものだよ。船の出る港はここだ」
オレが尋ねると、理事長はどこからともなく地図を取り出して見せてきた。オレの住む街から行ける港にわかりやすく目印がつけられている。
マリアは理事長が見せた地図とオレの手元のチケットを交互に眺めて、「早く身支度した方がいいんじゃない」と言った。
「でもそんなに急いで準備しなくても……入学って言ったって来月とかになるんじゃ?」
「そんな猶予なさそうよ。その船、明日の朝には出るって書いてあるわ」
「………………えっ!?」
マリアの指摘にオレが驚くかたわらで理事長は頷いている。
「随分急な話ですまないが、旅行に行く程度の荷物で身支度をしたらいい。足りないものがあったとしても、秋津洲に着けば全て揃えられるからね」
理事長は「なんなら着の身着のまま家を飛び出して船に乗ったって大丈夫さ」と付け足しながらオレにさっきの地図を渡してきた。
「──と、いうわけで。よろしく頼むよ。わたしはこれで失礼するとしよう」
そう告げて一礼をした少女の姿が、部屋の暗がり、闇の中へと溶けて消えた。……すごいな、魔法って本当にあるんだ。この……秋津洲魔術学院……に入学したら、オレも使えるようになるんだろうか。
理事長が去ったことで、真夜中の静まり返る部屋に残ったのは二人だけになった。
「荷造り、しなくていいの?」
「……ごめん、ちょっとぼーっとしてたかも。そんな大荷物にする必要もないみたいだし……早く済ませちゃおう」
屋根裏部屋の扉を開き、階段を降りて居間へと戻っていく。
階段を上るときはひとつだった足音が、降りる時はふたつになっているのが不思議な感覚になる。背後から、微かに海の匂いがした。
明日の朝にはこの家を出て、新しい場所へ行く。――秋津洲魔術学院。理事長の口ぶりからしておそらく、母さんが通っていたであろう場所。
まだ実感はない。この世界に魔法が本当にあることも、母さんが魔法使いだったらしいことも、オレのそばに居る女の子が悪魔だっていうことも、その子がオレの使い魔になったっていうことも、何もかも。でも同時に、その全部の非日常感にわくわくして、どこか期待を寄せている自分も居るのがわかった。
新天地はどんなところなんだろう。考えながら自分の部屋から取ってきた荷物を一番大きな
秋津洲魔術学院 御座敷たたみ @gozashikitatami
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