秋津洲魔術学院

御座敷たたみ

//Prologue

“屋根裏部屋の運命”


 その日は、星の綺麗な夜だった。



✴︎



 真夜中、ふと目が醒めた。自分で言うのもなんだけどオレは寝つきがいいほうで、普段ならこんなこと滅多にない。寝直そうとしてもうまく眠れなくて、オレ以外に誰も居ない家の中をなんとなくうろついてしまっている。幼い頃にもこんなことをしたことがあるような気がした。

 両親は仕事の都合で長期間家を空けている。もうしばらく会っていないものの、メッセージアプリで写真や近況報告は頻繁に送られてくる。二人とも特に病気も怪我もすることなく元気そうで、よかった、と思う。

 そうやって両親はこまめに連絡をくれるし、オレ自身友達も居てよく遊びに来てもらったりなんかもするから、寂しいと思うことはそんなになかった。両親も、学校行事のときは仕事を休んで参加してくれたし、帰ってきたときはめいっぱいオレのことをかわいがってくれたから、寂しいどころかわりと満足しているかもしれない。……なんてのは、強がりになるのかなあ。


 午前二時。ぼんやりとあれやこれやを考えながら家の中を歩いていると、ふと、屋根裏部屋へと続く階段が目に留まった。……そういえば、この部屋には入ったことがない気がする。小さい時はそもそも屋根裏部屋の存在を知らなくて、あるということに気がつかないまま過ごしていた。ここの存在をようやく知ったのはつい一昨年のことだった。

 ──この先、何があったっけ。母さんたちは物置みたいな使い方してたような気がするんだけど。

 薄暗い階段を上る。長らく使われていなかったせいか、かなり埃っぽい。


 階段を上った先。屋根裏部屋の風景。月明かりの射し込む大きな窓がひとつ。所狭しと置かれた棚には埃をかぶったたくさんの書物や、何に使うのかわからない棒、施錠された綺麗な箱みたいなものがいっぱいあった。

 ところどころに埃が積もっているのもあって、ちょっと空気が悪い。少し身を乗り出すように手をかけて窓を開ける。少しして、開け放たれた窓の外から流れ込んでくる風が薄いカーテンを揺らした。

 窓の下に置かれた机の上には、分厚い本が置かれている。鍵付きの日記……にしては辞書くらいの厚みがあって、よくわからない。鍵のようなものがついているわりに、鍵穴なんかも見当たらない。この中身には何が書いてあるんだろう……と気になって、高価そうなハードカバーみたいな装丁のそれを手に取った。

 ──瞬間。ひゅう、とひときわ強い風が吹いて、


「ごきげんよう、美しい夜ね。──アナタが、私を呼んだの?」


 ……ひとりの女の子の姿がそこにあった。嘘だ。さっきまで、この屋根裏部屋にはオレ以外は誰も居なかったのに。

 月明かりを背に、彼女は薄く笑っている。足を組んで机に腰掛けながら、驚いて腰をぬかしてしまったオレのことを見下ろしていた。海みたいな蒼色の瞳が、じいっとこっちを見据えている。不思議とその瞳に吸い込まれそうというか、飲み込まれそうになる。


「わっ……い、いや、呼んだわけじゃ……」


 驚きで上擦った声でそう返しながら、ふと、あれ……さっきの本は、と思って自分のまわりや彼女の背後に目を向けたものの、それはどこにもなくて、綺麗さっぱりなくなっていた。まるでそんなものはじめから無かったみたいに。


「あらそう。意図的な召喚じゃないにしても、どのみち私を解放したのはアナタだわ」

「ま……待って待って、召喚とか解放とか、なに?」

「…………ちょっと。アナタなんにも知らないの?」


 彼女はきょとんとしたような、呆れたような顔をした。なんの理解もできていないオレの顔を見て、深いため息がこぼれている。少しして、やれやれと言いたげに首を振った。

 そのは軽やかに机から降りると、長い水色の髪を揺らしながらオレの元へ歩み寄ってきた。


「まさか魔法使いの子どもなのに、なにも聞かされていないなんてね」

「……魔法使い? まだ理解が追いついてないんだけど……えっと、君はオレの親のこと知ってるの?」


 疑問符を浮かべたままのオレが問うと、彼女はおかしそうに笑った。未だ立ち上がれていないオレの前にしゃがみ込むと顔を近づけて、内緒話をするみたいに囁いてくる。


「ええ。なんでも知ってる。……だって私、アナタのママの使い魔だったもの」


 その言葉を聞いた瞬間、頭がまっしろになった。ショックとか、そういうのとはちょっと違って、一度に受け入れられる情報の許容限界を超えた……みたいな、そんな感じだった。


「つ、つかいま」

「さっきから復唱ばっかりね。大丈夫?」

「全然大丈夫じゃない……」

「そう。じゃあ深呼吸なさい。落ち着くまで色々話すのは待ってあげる。私、優しいから」


 目の前の女の子は目を細めてやさしく微笑んだ。月明かりに薄く照らされたその顔が、すごく綺麗で──呼吸すら忘れるくらいに、見惚れてしまう。

 このが母さんの使い魔だとかいうのはまだうまく飲み込めない。けど、この娘が使い魔……ファンタジー系の小説とか映画なんかで見るようなそれだというのは、ちょっと納得できるかもしれない。普通のひととはハッキリと違う、人間とは異なる美しさがある、と思った。一体この娘は、なんなんだろう。


「どうかしら。そろそろ落ち着いた?」

「……うん、……なんとか。とりあえず、いろいろ聞いてもいい?」

「どうぞ。久々の現世で機嫌がいいから、ひとつだけ答えてあげる」

「じゃあ──君、名前はなんて言うの?」


 オレの質問を受けて、彼女は目を丸くした。そんなこと聞くんだ……みたいな顔をしたあとにまたおかしそうに笑ったかと思えば、今度は立ち上がってオレに手を差し伸べてくる。


「──私はマリア。アナタのママがくれた名前よ。それじゃ、アナタの名前も教えてもらおうかしら!」


 彼女の手を取る。触れた手は思いの外冷たくて、一瞬、真冬の海に肌を浸したみたいな感覚がした。そのまま女の子とは思えないような強い力で引っ張られて、オレはようやく立ち上がることができた。そこでひとつだけまたわかったことがある。マリアは、オレよりちょっと背が低い。それなのにどうしてか、オレよりも威圧感みたいなものがある。それはこの娘がおそらく人ではないからなんだろうか。


「……オレは櫂士かいと冬海ふゆみ櫂士って言うんだ」

「櫂士。ねえ──私、アナタのこと気に入っちゃったかも!」


 オレの手を掴んでいたマリアが、指を絡めて手を繋いでくる。繋いだ手にはきゅっと少し強く力がこめられた。ちょっと戸惑いながら彼女を見たら、鮮やかな蒼と視線が合った。……そういえば、女の子とこんな距離で話したの、初めてかもしれない。

 どこかその蒼に魅せられるみたいにぼーっとしていると、マリアはにっこりと笑った。


「──アナタの使い魔になってあげる!」

「えっ…………ええええ!?!?」

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