第3話 定年退職刑事の心残り

 ガブリエッラが初めて赴任して来た時、一番初めに組んだバディが、ミケーレだった。お互いに第一印象は悪かったが、いつの間にか本当の親娘のように仲が良くなっていた。

「仕事だって?おい、ガビー(ガブリエッラの愛称だが、そう呼ばれるのを嫌うガブリエッラも唯一ミケーレにだけはその愛称を許していた)、この齢で街に出て二重駐車の婆さんを《とっ捕まえて》切符切れってのか?よせよ、俺はもうこの街の誰にもそんな事はしたくないんだ。皆、善人ばかりさ。お前等若い刑事には大した犯罪一つないこんな街は退屈かもしれんが、な。俺はその善人たちの仲間入りしてのんびり暮らすんだ。せいせいするぜ、こんな――」

 そう言いながら腰のホルスターごと拳銃をデスクに置き、溜息を吐いた。

「こんな物騒なモノ手放せるんだ。ようやくな」

 拳銃を見つめるミケーレの横顔からガブリエッラは目を逸らした。ミケーレが銃を嫌っているのは有名な話で、ガブリエッラも先輩刑事から聞かされたことがあった。『その話』を思い出し、ガブリエッラは返事をしなかった。ミケーレは笑って顔を上げると、そんなミケーレをハグして言った。

「いいんだよ。お前は本当に優しい奴だな」

 ミケーレの髪から香るポマードの香りが、ガブリエッラは好きだった。早くに死んだ祖父の事を思い返させてくれるから。だがガブリエッラには奇妙に感じることがあった。――自分は何故これほどこの老刑事に愛着を感じるのか――。祖父を思い返す。それは確かにある。だがそれだけではない《なにか》が、心の奥底にあることを女刑事はいつも不思議に思うのだった。

 ガブリエッラは目を閉じてミケーレを抱き返すと言った。

「ミケーレが居なくなると寂しくなるわ」

 そのガブリエッラの背中を優しくポンポンと指先で叩き、ミケーレは顔を離して笑った。

「なんだよ?俺は天国へでも逝くのか?四十年近くやった刑事を辞めた後、ダンテ通りのクルマ屋にオンボロを修理に出したり、その向かいでピザ喰いながらワイン飲んで楽しむんだぜ。人生はこれからだ、小娘。老いてからどれだけ笑えるかで人生は決まるのさ。俺は笑いたいんだ。そこまで辿り着いたのさ。今度はお前等が〈そう出来るかの準備に入る〉番だ。だが、ワイン一杯ひっかけてハンドル握ったからって、それくらいで帰りの俺をしょっ引くのは勘弁してくれ?そこんとこは頼んだぜ?」

 ウインクをし、ミケーレは再び荷物の片づけを始めた。署長のエンツォからはゆっくりやればいいと言われていた身の回り品の整理だったが、根が几帳面なミケーレは今日明日にはそれを終えようと考えていた。何故か。ガブリエッラは知っていた。

「ね、ミケーレ、あの話だけどさ」

 ミケーレは鼻歌を唄いながら背中で返事をした。

「うん?」

「あれ、本当に確かめに行くの?あんな…」

 ミケーレは振り返り、腰を伸ばして天井を見た。どう言おうか考えているようにガブリエッラには見えた。口髭をモゾモゾと動かし、酸っぱいモノでも舐めたような顔でガブリエッラに言った。

「あぁ、まあな…」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る