羽田:あの日のできごと

 あのグループチャットに参加する前、偶然病院で峯田さんに会ったんだ。当時は本当にただの偶然だと思っていた。でも、今振り返ってみると、あれは単なる偶然じゃなかったのかもしれない。


 正直言うと、俺は峯田さんのこと、ほとんど覚えていなかった。顔も名前も、完全に忘れてた。でも、彼女の方から声をかけてきたんだ。


「羽田壱さんですよね? 林間学校のFチームで一緒だった峯田紗希です」


 その一言で、ようやく記憶の奥底から彼女の名前がぼんやり浮かんできた。でも、その存在感はどこか霞んでいて、はっきりとは掴めなかった。目の前に立っていたのは、白地に花柄のワンピースを着た細身の美しい女性。だけど、あの林間学校でどんな関わりがあったかまでは思い出せなかった。曖昧な笑顔を浮かべて、なんとか応えたんだ。


「ああ、峯田さんか。覚えてるよ! 久しぶりだね」


 彼女は微笑んで返してきたけど、その笑顔にはどこか違和感があった。


「久しぶり。羽田くん、元気だった? 体調悪いの?」


 その質問には一瞬、戸惑った。正直、「元気」とは言えなかった。病院に来ていた理由は、慢性的な偏頭痛と緊張型頭痛。薬が手放せない生活をしていたんだ。


「いや、ちょっと頭痛がひどくてね」


 そう答えた瞬間、彼女が妙に近づいてきたんだ。俺をじっと見つめる視線は、まるで俺の内面を探っているかのようだった。彼女は笑っていたけど、その目は全然笑ってなかった。


「そっか、頭痛つらそうだね。今は落ち着いてる?」


「まあ、薬のおかげで何とかね」


 彼女は心配そうに俺を見つめてきた。久しぶりに女性とこんな近くで目を合わせたから、俺は照れて視線を逸らしてしまった。おそらく、耳まで赤くなっていたと思う。


「峯田さんは?通院でもしてるの?」


 何気なく聞いたその質問に対して、彼女は気にした様子もなく、「そうなの、わりと重い病気で」と微笑んだ。


 その言葉に俺は言葉を失った。こんな時にどう返せばいいのかなんて、考えたこともなかった。


 でも、彼女は気にすることなく話を続けた。


「そういえば羽田くん、林間学校のこと覚えてる? あの時のグループチャット、まだ残ってるんだよ。参加してみない?」


 その言葉に驚いたよ。あんな昔のグループチャットがまだ残ってるなんて。当時、俺はガラケーで、みんなのスマホを羨ましそうに見てただけだったからさ。


「そんな昔のチャットが、今も動いてるの?」


「今は動いてないけど、羽田くんが入ったらまた動き出すかもよ」


 彼女は静かに、でもどこか意味深な感じでそう言ったんだ。そして、少し真剣な顔をしてこう付け加えた。


「きっと、羽田くんにとって良い出会いがあると思うんだ」


 その言葉を聞いた時、俺はなんとなく彼女の笑顔を眺めていた。「本当にこんな人、Fチームにいたっけ?」と思ったけど、特に疑問を抱かずに頷いてしまった。


 正直、グループチャットに参加することには少し興味があったんだ。システムエンジニアの仕事に追われる日々と、慢性的な頭痛の生活。新しい刺激が欲しかった。それに、目の前にいる峯田紗希がどこか魅力的に見えたのも事実だ。


「ちなみになんだけど、峯田さんも出会いとか探してるの?」


 冗談半分に聞いたつもりだった。でも、彼女は一瞬表情を曇らせた後、すぐにまた笑顔を浮かべてこう言った。


「うん。3年ほど前に彼と別れてね。素晴らしい出会いに期待してるの」


 その言葉を聞いた時、俺はなんとなく「このグループチャットに参加すれば、何か変わるかもしれない」と直感的に思ったんだ。


 でも、実際には、待っていたのは不気味な話ばかりだった。深山が死んだ、加藤が死んだ、布方のじいさんまで……。俺が期待していた「出会い」なんて、どこにもなかった。


 峯田さんの言動がますますおかしく思えてきたんだ。まるで最初から何かを隠していたような、そんな気がしてならなかった。全部、彼女が俺たちを誘導していたんじゃないか……そんなふうに思えるんだ。


 筧がグループチャットを抜けた日、俺はふと思い出して、グループチャットのアルバム機能を見てみたんだ。そこには10年以上前の写真がいくつも残っていた。


 みんなが映ってたけど、そこに写っている峯田さんは今の彼女とは全然違ってた。深山の後ろで控えめに顔を出していた昔の彼女は、痩せこけていて、今の活発で自信に満ちた彼女とは全く重ならなかった。


 その時、ようやく気づいたんだ。そうか、峯田さんは「憑座(よりまし)」だったんだ――って。

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