BAR folklore -フォークロア-

「瀬文くん、今日は浮かない顔してるね」


 軽い調子で声をかけてきたのは、このバーの経営者兼バーテンダー、五十嵐義京いがらし ぎきょう。四十代半ばで、安物のサングラスに派手なアロハシャツ。場違いな格好をした男が、にやつきながらカウンター越しに俺を見つめていた。


「グラサンかけた怪しい顔に心配される筋合いはない」と、嫌味を言いたくなったが、それを飲み込んだ。五十嵐はこのバーのオーナーであり、唯一、俺が気を許している相手でもある。


「前に話してた『とどまりください』の件かい?」


「ああ、筧ってやつとその話になったんだが、俺の同僚だったやつ――昔は暗い性格だったらしい」


「深山くんね」


「よくそんなこと覚えてるな」


「なんたって、都市伝説バーのバーテンダーだからね。そんな面白い話、忘れるわけないじゃん」


 その言葉を聞き流し、俺は再びグラスを口に運んだ。アイラモルトのウイスキー特有のスモーキーな香りが鼻をくすぐり、ほろ苦い余韻が口の中に広がる。


 このバーの名は「フォークロア」といい、「都市伝説」をテーマにしたコンセプトバーだ。もちろんそんなところに来る客なんてほとんどいない。ヴァンパイアの蝋人形、河童の剥製、モスマンの等身大フィギュアが無造作に置かれ、倉庫じみた店内だ。


 五十嵐のサングラス越しでもわかる興味津々な視線に根負けして、俺はこれまでの経緯を話すことにした。話を一通り聞き終えた五十嵐は、またニヤリと笑って言った。


「加藤くんと深山くん、似てるのかもね。性格が変わった原因も同じだったのかもしれないね」


「布方のじいさんのせいか?」と、俺は少し閉口した。本当にこういう怪しい話が好きな男だ。


「それか、もっと不思議な何かがあるのかもね?」五十嵐はニヤリと笑って、片手をヒラヒラとさせた。俺は「なんだそのジェスチャーは」と言いかけたが、やめた。こういう時、こいつの釣り針にかかると数時間は都市伝説の話に付き合わされるからだ。


「奉納の道ってのも怪しい響きだよね。だいたい、奉納ってのは何かを鎮めるためにするもんだからさ」


「鎮める?」


「神様に捧げることもあるけど、災いを鎮めるために使われることが多いんだよ。今回もそのパターンじゃないか?」


「なんでそんなこと言い切れるんだ?」


「そのほうが面白いから!」五十嵐は屈託のない笑顔を浮かべた。


「……と言うのは冗談だけどね。奉納の道って言うわりに、受け取り手がわからない。神社仏閣みたいなものもないし、災いを鎮めるためと見るのが妥当だと思うよ」


「そうだとして……だからなんだって話だよ」俺は憮然としながら、再びグラスに口をつけた。


 五十嵐は冗談めかして歌いだした。無駄に美声を張り上げて歌うその姿に、俺はため息をついた。


 奉納の道――確かに不気味だ。もし災厄を鎮めるための道だとしたら……深山や加藤の死も、その災厄に飲み込まれた結果だというのか? それとも、別の何かが関わっているのか。そんな考えが頭を巡っていた。


 五十嵐は「都市伝説を聞かせてくれたお礼」と言って、ポッキーを差し出してきた。お礼ならもう少しいいものを出せよ、と思いながらも、俺は一本ずつ口に運んだ。意外にも、今はこの甘さが心地よかった。


「まだ何か起こりそうだね?」五十嵐はグラスを磨きながら軽く尋ねてきた。


「不気味なことが面白いぐらい続いてるな」


 苦笑いを浮かべる。


 五十嵐は「都市伝説バーに集まるやつらは、得てして妙なことに巻き込まれるもんさ」と軽口を叩いてきた。


「集まるってほど客いないだろ。俺以外に客なんているのか?」と聞くと、五十嵐は「道楽でやってるんで」とケラケラ笑った。


 時刻は24時を回った。まだまとめるべき記事が残っていることを思い出し、そろそろ帰ることにした。席を立とうとすると、五十嵐が「また来てね。瀬文くんのポッキー食べてる顔、結構面白いから」と俺のポッキーの食べ方を誇張して真似してみせた。


 どこまでもムカつくやつだ。そう思いながら、俺は料金を払って店を出た。背後で、五十嵐が店じまいをする音が聞こえてきた。

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