瀬文:とどまりください

グループ音声通話が開始されました


……わかった、話すよ。少し長くなるけど、昔の話を始めよう。覚えてるか、あの日の林間学校のこと。


 あの日、キャンプ場は朝から晴れていたのに、どこか湿っぽくて、時折吹く風が肌寒さを感じさせた。


 クラスの垣根を越えて組まれたチームに分かれ、俺たちは互いにぎこちない挨拶を交わしながらテントの設営に取りかかった。


 ほとんどが初対面だったんだ。確か、深山と羽田だけが同じクラスで、それ以外は名前すら知らないような連中ばかりだったから、チーム内には変な緊張感が漂っていたのを覚えている。今では笑い話だがな。


「まずはキャンプをたてるか」と、筧が汗を拭いながら言った。「キャンプじゃなくてテントな」と内心突っ込んだが、俺は口には出さなかった。でも深山は、「筧くん、キャンプじゃなくてテント!テント!」と冗談めかして指摘し、一同が笑った。それがきっかけで、しばらくの共同作業を通じて、俺たちの間には自然と打ち解けた雰囲気が生まれていった。


 深山はその中で、いつもの明るい笑顔を絶やさず、率先してみんなに指示を出していたから、誰から見ても好印象だっただろう。


 昼食を作る時も、深山は手際よく野菜を刻み、火の加減を見ながらみんなに指示を飛ばしていた。彼の明るさが他のメンバーにも伝わり、みんなが自然と笑顔を見せるようになった。川辺でのカヌー体験でも、最初はぎこちなかったメンバーが次第に打ち解け、水を掛け合ってはしゃぐようになった。ある意味、深山のおかげでチームがうまくまとまっていた。


 他のチームでは取っ組み合いの喧嘩になってるところもあったらしいが、それに比べれば俺たちのチームは本当に平和だった。


 そして、メインイベントの肝試しが始まった。肝試しはチームごとに驚かせる側と驚かされる側に分かれる。俺たちのチームは、驚かされる側だった。


 キャンプ場のそばにある石畳の小道を一同がひっつき押し合いながら進む。道の脇には子供の背丈ほどのお地蔵さんが並んでいて、その無言の姿が一層の不気味さを醸し出していた。


「なんか、ここヤバくない?」松ヶ崎が小さな声で呟いた。その言葉が、緊張感を一層高めた。


「おい、怖がるなよ。ただの肝試しだろ」筧が強がりを見せながらも、その声には微かな震えが混じっていた。


「でも、ここ…なんか嫌な感じがするなぁ」と羽田が言った。俺も何か言いようのない違和感を感じていた。


 深山は平然とした顔で、「大丈夫だって、ほら、行こう」と俺たちを促した。そして、彼が先頭に立ち、小道を進んでいった。


 道中、驚かせる役の連中が大声を張り上げながら飛び出してきたが、その瞬間はむしろホッとするくらいだった。人気がある方がまだ安心できた。


 しばらく歩くと、お地蔵さんに添えられた蝋燭の灯りが見えてきた。それが肝試しのゴールだった。その灯りがぼんやりと揺れ、まるで手招きしているかのように見えた。


「ここで、手を合わせて『とどまりください』って唱えたら帰ってきていいんだとさ」と筧が静かに言った。


「なにそれ?」と深山は珍しく眉を顰めた。

「オカルトっていうか風習的なやつ」羽田が聞き齧ったことを言った。

「ま、とりあえず形だけでも」松ヶ崎のその言葉に、俺たちは自然と手を合わせ、唱えた。


「とどまりください…」


 その瞬間、周囲の空気が変わったように感じた。森が一瞬静まり返り、風の音すら消えたようだった。


 俺は気づいていた。隣の深山だけは憮然とした表情で何も呟いていなかったことに。


「もう、早く帰ろうよ」とかすかな声で誰かが言った。俺たちは、足早にその場を離れた。


 キャンプ場に戻った後も、どこか落ち着かない感覚が俺たちの間に残っていた。


 焚き火の始末をしていると、ふと深山が近づいてきた。彼の視線は何かを探すように虚空を彷徨い、その眉間には深いシワが刻まれていた。不安と恐怖が入り混じった表情は、普段の彼とはまるで別人のようだった。


「瀬文くん…」と、深山が低い声で俺を呼んだ。普段の彼からは考えられないほど沈んだ声だった。

 

「どうした?深山、肝試しの時から変だぞ」


「ねぇ瀬文くん、俺はどう見えてる?」


 俺は重苦しい空気に耐えかねて少しおどけてみた。「どうって、肝試しが怖すぎてナイーブになってる男子中学生に見えるかな」どうやら深山の耳には入ってないようだったが。

 

「何かが…俺を…」深山の声はかすれ、言葉が途切れ途切れになった。「俺さ、もしダメになったら、あいつに…捨てられる気がしてさ…」


「…あいつって誰だ?」俺はそう尋ねたが、深山は返答できず、再び口ごもった。彼は両手で頭を抱え込み、苦しそうにうめいた。


「こんな話、お前にするつもりじゃなかった。でも、言わなきゃいけない気がして…」彼の言葉は途切れ途切れに流れ、意味をなさない断片だけが空間に残った。


「深山、無理に話すことはない。でも、何か助けが必要なら俺を頼って…」


「いや、なんでもない。今のは気にしないで!」


 唐突に深山の表情が笑顔に変わった。声色は明瞭で、快活で、その爽やかさが逆に異常に感じられるほどだった。


「ありがとう!何かあったら瀬文くんを頼るね」俺はもう何もいえなかった。



ーーなんでこんな昔のこと、話したかって?あいつの自殺に関係があるからだよ。


 深山が会社の屋上から飛び降りて死んだ日、あいつ、朝から虚な表情でずっとこう呟いてたんだ。

 

「とどまりください」って



グループ通話が終了しました

 

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