1−1 毒杯の騎士

「このあたりかい?」

 その問いかけに魔術師は、ここまでの道や、あたりに漂う要素を丁寧に思い返した。

 夜の森の中は濃霧によって見通しが悪くなっており、しかし不思議と明るい。それは月光が地を這うように広がっているからで、彼は眉をひそめ警戒しながらも頷く。

「まあ、そうだな」

 答えをもらうやいなや、騎士服を着た男は、胸もとに並ぶ略綬のブローチに触れた。

 突如、豪奢なテーブルセットが現れる。どこか恐ろしい印象を抱かせる樹木の傍に配置されたそこへ、今度は別のブローチから取り出した酒瓶を上機嫌で並べる騎士服の男。魔術師はやれやれと首を振った。

 両耳で、降る星をそのまま結晶化したようなピアスが揺れる。

(この視界の悪さなら、多少明るいくらいのほうが油断させられるか)

 そのうちの片方を指で弾くような動作をすれば、魔術師の手にもいくつかの酒瓶が現れた。装飾品を利用した収納の魔術具は古くから人間が改良を重ねてきたもので、一つにつき大きな棚ほどの物量を詰め込むことができるのだ。


 触れあわない程度に、グラスは掲げられた。

「月夜に」

「とびきりの毒に」

 今宵の趣旨により、二人のグラスには別々の酒が注がれている。酒のあてはそこそこに、思案と、わずかな言葉だけが交わされていく。

 繊細な魔術が紡ぐのは、互いを削るための毒だ。

 騎士服の男は「毒杯の騎士」の通り名で知られ、特定の国や組織には属さず、そのときそのときで仕える相手を変える。先日、とある国で仕えていた王弟を毒殺したばかりの彼は、ちょうどその場に居合わせた魔術師の持つ珍しい毒を融通してもらうべく、交換条件として出されたこの宴に参加しているのである。

 密やかな探りあいの攻防は、しかし、とつぜんの可愛らしい声に破られた。

「むむ!」

 ひょこりと茶金の髪がテーブルの縁から覗き、見知らぬ少年がぬっと顔を出す。紫がかった暗色の瞳がきょろきょろ動くのは、所狭しと並べられた瓶が気になるからか。彼はそのうちのひとつを小さな手で指さした。

「これは毒だな、ん?」

 得意げな指摘に、男二人はいっしゅん視線を交わす。

 はは、と先に息を溢したのは毒杯の騎士だ。

「言うのはなしじゃないか?」

「いや、構わん。ルールを知らないようだからな」

 対して魔術師は淡く笑み、少年の無作法を認めた。

 が、聡い少年はその声色に嘲りが含まれていることに気づいたようだ。膨らませた頬は幼気に染まったが、妖しい色の瞳にはひたりと苛立ちが乗る。

「ルール? おいらにも教えてよ」

「君も勝負をしたいのかい?」

「勝負! うん、してあげてもいいよ」

「毒は持ってるんだろうな? なければ参加は認められないぞ」

「おいらをなんだと思ってるんだ!」

 ばちん、と小さな両手がテーブルを叩き、揺らされた酒瓶が音を立てる。

 次の瞬間、少年は姿を変えた。


(もうお出ましか、堪え性がない)

 それは竜だ。茶金の厚い皮が全身を覆い、尾の先端が細く分かれているのが特徴的だった。人間の大人よりは大きいが、竜としてはかなり小さめだろうか。それでも、煌々と輝く紫色の瞳が人ではない者らしい苛烈さで魔術師たちを見下ろした。

「宵星の竜か」

「ふん、おいらはいい毒を持ってるよ」

 星に連なる竜のほとんどは瞳が星そのものだ。宵時に地表近くを流れ飛ぶ宵星の竜の、その艶やかな瞳は夢へと誘う道標。また茶金の尾は空に長く残像を残し、見る者にその夢を「掴みたい」という気を起こさせる。

 揺らぐ時の資質を持つため個体によって性格が異なり、彼の場合は悪意の占める量が多いらしい。魔術師は、その悪意に困っている者を助けるというてい・・でこの森へやってきたのだ。

 そんな宵星の竜に、毒杯の騎士は丁寧にルールを説明してやった。

 相手に毒を飲ませる方法。かわしかた。仕草の意味。

 親切心からではない。魔術において、手順をしっかり踏むことは重要だ。それは確かな証跡となり、例外の生まれる可能性をぐっと減らす。相手が自分よりも力を持つ者であればなおさら、ルールで縛っておくことで効果を得やすい。

(実際に見せてもおくか)

 説明を実感させるというひと手間もまた、魔術を成就に近づける手段だ。魔術師は先ほど毒ではないかと言われた瓶から酒を注ぎ、ひと息に呷った。

「……っ」

 含まれているのは、手足に軽い痺れを起こす毒。すぐ気づけるよう、わざと粗悪品を用意したのだ。普段の魔術師であればこの程度で表情を変えることもないが、ここで彼はあえて眉をひそめてみせ、手の感触を確かめるように握ったり開いたりした。

 毒杯の騎士から説明を聞き、また魔術師のようすを見て、宵星の竜は大きな口をむずむずと擦りあわせる。

「勝負なら……勝ったら、なにかもらえるの?」

「勝者は生きられるのさ」

「……それだけ?」

「嫌ならおりればいい」

「ふ、ふんっ! おいらが勝つんだ。おまえらこそ、怖がってるんだろ!」


 かくして、宴という名の勝負は宵星の竜を混じえて再開された。

「ほら、この酒は竜でなきゃ買えないんだ。飲むといいよ」

「今は秋だからな……やはり雪床のグラスを用意しておくべきだったんじゃないか?」

「だな。それに、夏嵐の瓶詰めというのも風情がない」

「む、う……」

「廉価版だが、風樽のものならこっちにある。飲んでみるかい?」

「……もらっておこうか」

「おいらは要らない……」

 竜らしい身体の強さではあるが、最初の印象通り、はかりごとは苦手なようだ。会話や、わずかな仕草から編まれる魔術によって変化する毒を、ほとんど捉えられていない。

 また竜や魔女にありがちだが、細かな調整も不得手で、毒混じりの酒はすべて人間たちに見抜かれていた。

(あの尾を持ちながら、ここまで鈍いとはな。さすがに嗅覚は鋭いが……)

 それでも、魔術師が手を緩めることはない。

 魔術は、強大な力を扱う魔法に対抗するため、また届くようにと生みだされた技術なのだ。単純な力比べでは敵わない相手なら、その隙をつくまで。

「……うう、ふぇ……ひどいや」

 ところで、少年の姿に戻り両手でグラスを持つ宵星の竜が若干涙目なのは、毒を飲まされているからではなく、自分の毒を飲ませられないことが悔しいかららしい。

 潤んだ瞳を向けてくるのは、相手の心を揺さぶり、惑わすことを得意とする宵闇の竜の作戦なのだろう。だが見かたによっては、大人の男二人が寄って集って少年を虐めているようでもある。

「やりにくいなあ」

「は、勝負相手に情が移るようなやつだったか?」

「俺は一応騎士だからな、女子供には優しくすることになってるんだ」

「それなら負けてやればいい」

「ははは」

 だが狡猾さにおいて、人間が竜を上回ることはままある。

 煽ることをやめない魔術師たちに、竜はとうとう耐えられなくなったようだ。あるいはそれは、力で押し流すほうが楽だという傲慢さでもあるのかもしれなかった。

「おいらは子供じゃない!」

 彼はふたたびもとの竜の姿に戻ると、先の分かれた尾をすばやく二人に突きつける。鈍い茶金色の竜皮は、表面の光沢が妖しく毒めいていた。

 しかし。

「終わりだな」

「え?」

「ルールを理解できないんじゃあ、勝負にならん」

 魔術師はそう言うと、自分が持ってきた酒瓶やら小皿やらを片付け始めた。

「ああ、本当はもっといろんな毒を試してみたかったんだが……残念だ」

 毒杯の騎士もそれに続く。急な方向転換に戸惑う竜のことなど、気に留めるようすもない。

「え、あれ……」

 気づいてすらいないのだろうと、魔術師はそっと宵星の竜の表情を窺った。おろおろと視線を彷徨わせるばかりの――本来であれば人間二人など簡単に殺してしまえるはずのこの竜が、なぜ今のいっしゅんで行動にでられなかったのか。

「これは君のか?」

「お前のだろ」

「おっと、そうだったか。ああ――」

 そういえば、と、毒杯の騎士はふいに片付けの手をとめ、略綬のブローチから盃を取り出した。行動の意味を探るように、魔術師が片方の眉を持ち上げる。

「君の気に入りそうな酒が手に入ったから、勝負のあとで一杯やろうと思ってたんだが」

 魔術とは契約の積み重ねだ。

 さまざまな要素を相手に、条件を決め、対価を払い、望む結果を手に入れる。

「勝負はうやむやになってしまったし、どうだろう。締めの盃事といかないか?」

 毒杯の騎士の指から盃へと魔術が走った。

 その底から、湧くようにして酒が満ちる。

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2024年9月20日 19:00 毎日 19:00

月光は歪み咲う ナナシマイ @nanashimai

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