54.

「しかしですよ、姫宮様。私達よりも御月堂様とお散歩しに行く時の方が、楽しい気持ちが出ているのですよ」


途端に思い出すのは、はっきりとした表情らしい表情を出したことがない彼のこと。


「前よりも御月堂様と話されているようで、同時に姫宮様自身も緊張が解けたのでしょう。そのポジティブな感情が後に、御月堂様のお子さんにもいい影響が受けますでしょう」


安野の慈愛満ちた目線の先、姫宮の大きくなった腹部を一緒になって見つめ、そっと撫でた。

こないだの検診の時、いつ産まれてもおかしくない週に入ったと言われた。

だから、より一層注意しなさないとも。

ここまで何事もなく、順調に育ってきたお腹の子がやはり愛おしい。

産まれるまでしっかり守るからね、と心の中で言い、もうひと撫でをしたのであった。



その後、自室に戻り、お腹の子に「寒くなってきたね」と話しかけたり、前に御月堂と散歩した時に見かけた本屋で買った絵本を読み聞かせたり、歌を聞かせたりして、過ごしていた。

何曲目の時だろうか。玄関先で何やら揉めているような声が聞こえたのだ。

その時点で、御月堂が散歩をしに誘いに来たのではないと内心残念に思い、次に、誰が来たのだろうかと思っていた。

どちらにせよ、自分には関係ないのだろうと、止めていた動画を流し、歌い始めた直後、ドアがノックされる。

どくん、と心臓が高鳴った。

歌と動画を止め、腹部に手を添えつつ、ゆっくりと腰を上げ、扉へと歩み出す。

揉めている声を聞いたせいなのか、その扉を開いてはならないと警戒していた。

しかし、少し焦っている声を混ぜた安野の声が聞こえ、単純にどうしたのだろうと思い、恐る恐るドアノブを手に取った。


「お忙しいところ、失礼します」


出来るだけ表情に出さないようにしているのであろう、しかし、隠しきれない戸惑いを浮かべる安野が続けてこう言った。


「御月堂様の奥様、雅様が姫宮様に会いたいと仰られまして」


その時、安野の背後で立つ、鋭い目つきで睨めつける女性と目が合ってしまうのであった。

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