微笑


笑わせたくなる人間というのはいるもんだ、と、初めて逢ってしみじみ思った。

この奥さん、にこりともしない。

絵を描いてくれと頼まれて通された広間には、枯れ葉のような服を着た女。

そして、僕。

で、

さらに、その女の夫。


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微笑

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1.


「美しい女なんだがね」

旦那もまた嬉しそうな顔を見せずにしゃべる男だった。

「笑わん、喋らん、気がきかん。女としてどこかが欠けているとしか思えんのだ。

 で、他人が見たらどう思うのか、確かめてみたかった、というわけだ。」

「それで、何故僕なのですか?」

「画家は人の内面までを見とおす目を持っていると聞いたことがある。

 天才と言われている君ならば、その目は確かに違いない。

 きっとこの女の正体をみすえることが出来るだろう。」


金持ちの考えることは、正直よく解らない。

まぁ、しかしこれで新しい研究の金が入るのならば、いうことなしだ。


「解りました。引受けましょう。奥様には、明日から毎日午後の一時間を頂きます。」


2.


正直なことを、言おう。僕は人間に興味が無い。

自分でも好奇心が強いほうだと思っているし、

実際、様々なことをやってお金をもらってもいるのだが

人間だけは、専門外だ。


人間は、複雑すぎる。


だから、今回の仕事を僕に依頼したのは、本当は大きな間違いだと言わざるを得ない。

宝石に興味の無い人間がダイヤモンドを見てどう思う?ただのシャンデリアだ。


そうは言っても仕事は仕事だろう?


僕は翌日から毎日1時間をその家で過ごすようになった。

画材を持って。笑わない女を目の前にしながら。


「……奥さん。その姿勢辛くないですか?」

「……。」

「そんなに怒ったような表情だと、絵にもそのまま映りますよ。」

「……。」

「……。」

「……。」

「……ふぅ。すみませんでした。続けます。」


「すみませんが、目許の力をもう少しだけ抜いていただけますか。

 前と表情が変わってしまいますので。」

「……。」

「ありがとうございます。それで結構です。」


「奥さんは、話すのがお嫌いなのですか。」

「……。」

「僕は、何となく話すのが好きです。話さないと伝わらないことが多いですしね。」

「……。」

「……。」

「……。」

「……ふぅ、すみませんでした。続けましょう。」

 

気の乗らない仕事だからだろうか、

何かが間違っているからだろうか。

デッサンは実に2週間完成していない。

普通ならば2日間であらがきを完成させて、

あとはいつもの工房にこもって誰にも邪魔されずに

じっくり色を重ねるのだけど、なかなかその段階に入ることが出来ない。


正直、いらいらする。


毎日5枚くらい描いたものをすべて持ちかえり、

さまざまに組み合わせ、分析してみるのだが、どう見てもひどいもんだ。

大体、顔が浅黒い女が枯葉色の服を着て座っている時点で、間違っている。

どこまでが顔でどこからが服かさっぱり判らないじゃないか。

配色の基本がなってない。


いっそのこと着せ換え人形にでもしてやろうか。


そのプランは、妙に魅力的に思えた。

おかげでその夜はよく眠れたもんだ。


3.


「服を着替えさせたい、というのかね。」

「ええ、奥様の表情を際立たせるためには、

 ぜひとも明るい色彩の服などをご用意頂けると、たすかるのですが。」


思いついたことはとりあえず、やってみる。

さっそく翌日スポンサーにきいてみた。

しかし、反応が悪い。


「無駄だよ。」

「何かあるのですか?」

「あれは、あの服以外は身につけたがらないんだ。」

「何か思い出の服ですとか……。」

「さあね、家にくる前から持っていた服だ。

 おかげでパーティに連れていくことも出来ん。

 まったく気に入らない女だよ。」


まぁ、あの女が着替えるといえば、好きにさせればいいさ、

というお言葉までは頂戴した。

とりあえず、やるだけはやってみよう。これも何かの足しにはなるだろう。


「……!!」

「いや、そうはいいますけどね。これなんか最近流行りのデザインですよ?」

「……!」

「じゃあ、これなんかどうです?女性らしさを際立たせたデザインで、

 胸元のカットは、英国女王のお好みのデザインだとか。」

「……!!」


全然だめだ。知りあいの服屋に頼み込んで、若い女が喜びそうな

服を一通り借りてきたのだが、目をくれようともしない。

色だって思いつく限りは揃えてあるのだが・・・。

仕方無いな。


「わかりました奥さん、あきらめます。いや、単なる思いつきだったので。

 ご迷惑をおかけしました。」

「……。」


前よりも事態を悪化させたような気もする。

まあ、また次の手を考えるさ、と僕は借り物の服

実に15着をぐっと手に抱える。

さすがに画材をともに持つと持ちにくい。

と、1着がばさっと落ちた。まるで喪服のような黒。

地肌が浅黒いから、周りを黒にしたらかえって

白く見えるんじゃないかと思って、ついでに持ってきたやつだ。

あんまり、意味無かったな。


「あ……!」


その時。

僕は初めて彼女の声をきいた。

思わず、すごい勢いで振返った。

あれだけ無表情で、何を言っても無関心だった

女が手を伸ばして立ち上がりかけていた。


「この服が、どうかしましたか?」

「……。」

「なにか気になることでも?」


彼女は実に複雑な顔をしていた。

唇を噛み、目を寄せ、必死で言葉を選んでいるように見えた。

悩みに悩んで選んだ言葉が、すごく直接的だというのは、

良くあることだと思う。この場合もそうだった。

彼女は、思いあまったかのように、僕の顔を突然じっと見据えて、


「その服を、着ます。」


と言った。


4.


あえて、僕は事情は聞かなかった。ただ、彼女の意思は尊重して

その服を渡してやった。スポンサーは、前より暗くなったじゃないかとか

何とか言っていたけど、表情が映えるということで納得してもらった。


有色人種の肌の色は深い。

人間と判りやすく区別するために神が配慮されたのだ、と

言うものもいるが、単なる生活環境の違いが理由だなんて事は

少しルーツを調べてみれば判る話だ。

その黄土色に近い肌の色を持つ彼女は、黒い服に包まれて、

白さを増し、何かを一身に考えているように見える。

むしろ祈っているかのように。


「奥さんは、黒が好きなのですか?」

「……。」


あまり状況は変わっていないように見えるが、

気にはしなかった。これだけ何かに集中していると

終わる瞬間が必ず来る。

デッサンはあまり進まなかったが、僕はそれを待っていた。


そして、実に1週間彼女は祈りつづけた。

1週間目にして、何が起こったか?

彼女は、泣き出したのだ。


5.


泣いている彼女に対して出来ることもなく、

僕はただデッサンを続けていた。

最近はこれが日課だった。相手がどうであろうと

デッサンを続けることで多面的に相手の要素を

とらえ、この事態が好転しなくとも、彼女の部品から

彼女をキャンバスに捉えることは出来るようにするはずだった。


不思議だった。結局僕は、スポンサーの言葉に乗せられているのだろうか。


人間は複雑だ。複雑な人間を正しく表現するためには、

その人の眼で、その人の頭脳で、世界を見なければならない。

誰にそれが出来る?少なくとも僕には無理だ。

理解不能なことを解くにはそれなりの準備と根気と時間が必要だ。

なのに、僕は何故準備も無く、ただ集中力とすべての時間を、

この笑いもしない一人の人間に費やそうとしているのか。


そして、それが何故心地よいのだろうか。


泣き声と言うのは、いくらおし殺したものだとしても、心の揺れを素直に伝える。

泣き始めて15分、彼女の雨はやみ始めていることを伝えている。

僕はその止み始めている雨を描き続けている。


ふいに彼女が顔をあげた。

何故かその瞳が僕をにらんでいることに気づく。

「泣いている人間を前にして、ただ画を描いているなんて、あなたの心は冷血かしら?」


僕は、何も考えなかった。

ただ、そのままの姿勢で彼女を描きつづけている。


「何とか言ったらどうなのよ!」

「動かないで。」


くっと彼女の喉がなる。視線はさらに厳しくなった。


「瞳の力を緩めて。もっと右肩を下げてください。」

「私は、あなたに命令される言われは無いわ。」


僕は筆を置いた。じっと相手を見る。

「では、好きな格好をして頂いていいんです。画を描かせてください。」


彼女も僕を見ている。

僕も彼女を見ている。

子供のように相手だけを見て必死ににらみつけている。

彼女の、はあっというなんとも言えない空気の音が聞こえた。


「わからない。もう、どうしていいんだか……。」

「好きなようにしたらいいんだと思いますよ?」


うつむいた彼女の瞳が見えない場所で

見開かれたような気がした。


「自分のしたいように、したらいいじゃないですか?」

「したいことって?」

「それはあなたが考えるんですよ。」

「本当に好きなようにしてもいいのかしら。」

「いいと思いますよ。」

「もう一度言って。」


ん?と見上げた僕に、彼女はじっと見つめる

瞳で応える。

「わからない。っていうから、もう一度だけ、答えを教えて。」


何となくわかる。これが最後になるだろう。


「……わからないの。」

「好きにしたらいいんだと、思いますよ?」


6.


結果だけを言うと彼女はモデルとしては最高だった。

自由に動き、表情をくるくる動かし、その全てが、

残しておきたい光に満ちていた。


僕は、彼女の自由な動きの中で、

明るくなる表情を捉えることに夢中だった。


彼女は、画を描く僕に向かって、よく話し掛けるようになった。

「アリサ」という名前もその時に知った。

スポンサーが知らなかったことにはとても驚いたが、

そんなものなのかもしれない。


彼女は、前の夫を亡くしていた。

優しい夫だったが貧乏で喪服が買えなかったほどなんだそうだ。

その直後から、今に至る。

少なくとも彼女が黒い服を選んだ理由がよく判った。


とにかく、画は完成に近づき、彼女の顔には笑顔が浮かぶようになった。

一度泣き、怒り、という手順を踏むことによって、彼女の笑顔は

その姿を見せるようになった。


もちろん、僕も徹底的に協力した。

あるときは楽団を呼んだ。あるときは大道芸人を連れてきてみた。

もちろん、そのどれも大成功だった。


自由に動き回る彼女を描いた作品は、

実に3日で出来あがった。

少なくとも明るくなった妻を見て、スポンサーは喜んでくれたし、

報酬も当初の2倍を約束してくれた。


そして、彼女のはしゃぐ姿を描いた画は、

無事、スポンサーの応接間に飾られた。


なのに僕は。


未だに喪服代わりの黒い服を着て、

薄く微笑むのがやっとの彼女を一人で描いている。

画の中の彼女は立ってさえいない。

ゆったりと腰かけて、そして僕を見つめるのだ。


完成したとき、この画に名前をつけよう。

「MONALISA(モナ・リザ)」と。

誰か、「MonAlisa(僕のアリサ)」だと気づく人はいるだろうか。

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