海月
はぁっと、ため息ともなんともつかない歓声が、聞こえたので、改めて夜空を見上げてみた。
さっきまでこうこうと夜の海を照らしだしていた月が、周囲のリングを残して、もう陰ってしまっている。
変な風習だよね、と何となく思った。
大体みんな明るいのが好きだ。
だから、花火とか、レーザーショーとか、
夜空を彩るイベントなら解る。
星空を見上げる気分も何となく解る。
だけど、
月蝕って、暗くなることを何で楽しんでるんだろ。
「なにいってんだよ、お前。
月蝕を見たいから海に連れてってくれって言ったのは、お前だろ?変なやつ。」
あなたには、多分、わかんないよ。
そう思って、あえて隣には視線をむけない。
夜の海の上に秋だ。多分人なんて一人もいないんだろうな、と思っていたら、物好きは多いもので、暗い砂地にはそこここにカップルや家族連れの影が見える。
みんな、何を期待して、ここに来ているんだろう?
大昔の人みたいに、月が消えるということに対して、泣きわめくことも出来ず、恐怖を覚えることも出来ず、ただ、不思議なこと、と思えれば、幸せなほうだと思う。
……多分、そんなふうに考える私のほうが
変わってるんだろうな、なんてのは、重々承知の上で。
それでも、久しぶりに逢えた大切な人を隣にしながら、私は、まだ夜空を見上げている。
「なぁ?」
「……うん?」
「お前、辛くない?」
「なにが?」
「遠距離。」
「……なんで?」
「……何でって言われても困るけどさ。」
辛いとか、そういうのは、とりあえず1ヶ月くらいだったろうか。
毎週末をこの人と共に過ごした日々から、
自分の時間を過ごす余裕のある休日のある毎日へ。
最初は、自分がなんて冷たい女なんだろう、なんて思ったけど。
でも、あなたが来てくれる日が楽しみなのは変わらずに。
だけど、なかなか予定も合ったり合わなかったりしながら。
そして、1年目の現在に至る。
「あなたは、辛いの?」
「……正直なトコ、な。」
「そうでないと、私が哀しいよ。」
多分、この人が言いたいのは、そんな事じゃないのかも知れないけど。
「……ねぇ、知ってる?」
「うん?」
「クラゲって、<海月>って書くんだよ。」
「……へぇ。」
「話があってね。
……お月様は、熱く輝く太陽に恋をしていました。だけど、お月様は夜に、太陽は昼に輝きます。お月様は、大好きな大好きな太陽に出逢うことが出来ず、とても悲しい思いをしていました。
夜、空に浮かびながら、お月様は、太陽のことを想います。そして、逢えない淋しさに涙を流すのでした。
お月様が流した涙は、海へと一粒一粒落ちていき、そして、海に落ちたお月様の涙は「海月」となったのでした。」
「……ふーん。あのクラゲがねぇ。」
最初にこの話を聴いたときは、なんて哀しい話だろうと思った。
結局お月様は、引き離されたまま、泣くことしか出来なかったのだ。
「なんか、今の俺たちみたいだな。」
ズキン、と走る。
多分、言うだろうな、と思ってたけど、そんな風に、簡単に私達に例えて欲しくなかった。
このままいけば予想される未来。
このままいけば予想される最後。
それを、何とかして変えたいと思ったから。
だから、私は今日ここにあなたを誘ったのだ。
だから、私は、すこし強い語調であなたを、初めて、見る。
「ちがうよ。」
あなたが驚いた顔を久しぶりに見たような気がした。
そう。よく考えたら、ふざけあったりはしたけれど、あなたに向かって強い言葉をむけたことなんて、今まで一度も無かったもんね。
だけど、今日は。
「だって、私なら、ここでこの話を終わりにはしないもの。」
あなたに言わなければいけないから。
「私は、こう思うんだ。
お月様は、泣いてばかりいたわけじゃなかったはずだって。少しでも、太陽に伝えることが出来ないかって考えてたはずだって。」
一緒にいたいから。
「だから、涙から海月が生まれたんだよ。
自分が逢えなくても、自分の分身を海に残して、太陽が海を見下ろしたときに、自分のことを思いだしてくれるように。」
私が私達を支えられるように。
「だから、そんな悲しい話じゃないと思うんだよ。……太陽さえ気がついてくれれば。
お月様が、太陽のことを本当に好きなんだって。」
言った。
ため息が聞こえて、急に私は熱が冷め。
そして、見えないあなたの気持ちに怯える私に戻る。
「……あなたは、どう思う?」
波の音が続く。
「……太陽も迷惑だろうな。」
音が消えた。
少しでも音を立てて、壊してみたいけど。
何も言えない。
何も言えない。
何も言えない。
「俺なら、分身なんかと逢うのは嫌だ。」
「えっ!?」
言えた。声が出た。
「太陽も月のことが好きだとしたら、好きになったのは、夜に光を浴びて輝く月じゃなくって、昼間に、素顔のままで、傍にいてくれる、月だと思うんだよ。
もちろん、毎日は逢えないさ。
だけど、15日ごとに、逢えないのに我慢できなくなった月が、太陽のところに素顔のままで来てくれる。
その気持ちが一番嬉しいんだと思うんだ。」
どうすればいいのか。
「本当に、逢いたかったら、逢いたいって言ってみればいいじゃん。で、素顔のままでもいいから、逢ってくれるほうが、絶対に俺は嬉しいよ。」
……その後のことは、正直よく覚えていない。ただ、抱き寄せられて、すこし温かくて。
そうだね。逢いたかったら、逢いたいって言えばいいんだよね。
別に約束した日じゃなくっても、逢いたくなったら、逢いに行っていいんだよね。
こんな簡単なことに、遠慮していた自分が、すこし悔しかった。
そうだよね。だって私達は恋人同士なんだから。
「……じゃあ、月蝕は、お月様が我慢できなくなって太陽に数分だけでも逢いに行ってる、ってことなのかな。」
「そうかもしれないな。」
「そっか。」
「……変なやつ。」
もう一度、夜空を見上げてみた。
きらきら光る星達が、涙に反射して万華鏡のように。
そして、満月はその月蝕を、すでに終えていた。
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