第10話 日常②

 人類はなぜ金を欲するのか?

 それに対する万全な回答を用意することはできない。

 ただ漠然と、おおよその範疇で模範的な答えをするならば、ずばり幸福を満たす為と言えるのかもしれなかった。


 幸福と一言で言っても様々なイメージがあるが、つまり自らの心が満たされる為と置き換えることもできる。

 それはまるで血液のように。

 自分の心を埋めるため、様々な要素を心に運んでもらう。それは食事なのかもしれないし、娯楽なのかもしれない。愛する人の為に大枚をはたく人も多くいる。


 お金とは、尺度の違うそれぞれが生きるための、平等に敷かれた最後の防衛線のようなもの。

 圓富 櫛奈≪えんとみ くしな≫という女子高生はお金に対しての認識をそう持っていた。


 回りくどいことを抜きにすれば。

 つまり全てはお金で解決する、と。その思考こそが櫛奈の本質で、これまで生きてきて彼女が辿り着けた人間社会の真理なのだった。

 と言ってもたかだか十七年ものの真理ではあったわけだが。


「櫛奈。大丈夫? なんかさっきの授業中とか珍しく起きてたみたいだけど……。でも、なんか上の空じゃなかった?」

「ん、ああ羽美か。大丈夫やで。ちょっとぼーっとしてもうてたかもなあ。って、珍しく起きてたは余計や!」


 車力羽美≪しゃりき うみ≫。クラスメイトであり、櫛奈のことをいつも気に掛けてくれる親友だ。

 明るい色の前髪から覗くぱっちりとした瞳を覗かせて、今日もいつもみたいに話し掛けてくれる。


「あはは、ごめんごめん。でもやっぱりバイトもしてるし無理してるんでしょ。ちょっとは休んだら?」

「いやいや、全然無理なんてしてへんって」

「……本当かな。あ、そうだ。今日前から言ってたカフェ行かない? コーヒー代出すし! 息抜きも大事だしさ!」


 眼をキラキラとさせながらそう提案してくれる羽美だが、櫛奈はそれにゆるゆると首を振って応える。


「えっと……、今日は無理やねん、ごめん」

「今日もバイトなの?」

「うん、そうやねん。ごめんな、羽美」

「ううん。別に帰り道にどこか寄ろうかなって思ってただけだから。……ねえ、櫛奈。バイトもいいけど、カラダ壊さないようにね」


 彼女の悲しそうな顔に胸が痛くなる。自分がとんでもなく最低な人間であることは自覚しているが、それでもやるべきことが櫛奈にはある。


 本日最後の授業が終わり、一気に騒がしくなる教室内。

 祭りか何かが始まる前日のような喚き立ちに混じって届く、同級生の不安げな声を耳に入れる。


「大丈夫やって。心配し過ぎなんやから」


 そう笑って返してみるも、それでは同級生である羽美の懸念が払拭されるわけではなかったようで、さらに距離を詰めてくる。

 やけに近い。


「心配にしすぎってことはないんだよ? 授業中いつも寝てるんだから、そりゃ心配だってするでしょ! そもそも、心配させてるのは誰? ねえ?」

「うっ……」


 それを言われると反論に困る。静かながらも気迫漂わせるクラスメイトに、たじろぎながら反応してみせる。


「心配してくれるんは、その、ありがとう……。素直に嬉しいわ。でも、やらなあかんねんな。少しでもお金稼がんと、いざという時に困るし」


 世の中お金が全てだ。それは少し寂しいことだとは思う。もっと感情的で、人情的な方が個人的にも好みだ。

 でもそれだと何も解決しない。それだけだと、お腹は膨れない。


 本来無数にあるはずの選択肢を、狭めることになってしまう。そうして社会の強者と弱者は形成されている。

 お金があれば、それを免れる可能性が上がる。あくまでもその確率を上げる為だけに、櫛奈は日々バイトをしている。


「……そう、だよね。櫛奈が大変なのは分かってるよ」

「いっつも気に掛けてくれて、ありがとうな。……じゃあ、行くわ」


 彼女の悲しそうな顔に胸が痛くなる。自分がとんでもなく最低な人間であることは自覚しているが、それでもやるべきことが櫛奈にはある。

 教室から去り際、空いた窓から吹き抜ける風と共に、羽美のか細い声が流れていく。


「……ねえ、私に手伝えることって、ないのかな?」


 その風は柔らかく弱々しく、すぐ掻き消えてしまった。

 彼女は、どちらかと言えばはっきりとモノを言うタイプだし、根は正直者で明るい。


 だからそんな羽美が消え入りそうな声を出したことに、そんな思い詰めたような表情をしていることに、櫛奈は驚いて。

 それへの応答もまた、重々しい雰囲気になってしまった。


「……ごめん。気持ちだけ、受け取らせてもらうわ」


 彼女の反応を最後まで見ずに立ち去るなど、卑怯だとは思う。けれど、足は自然と彼女に背を向けるように、歩き出してしまっていた。


『協力を申し出てくれているのに、拒否をするんですか?』

「……うっさい」

『勿体ない。せっかくなら協力してもらえば良いじゃないですか。それが、彼女の為にも、貴方の為にもなる』

「そんなん、ウチも分かってんねん」


 相変わらず空気も読めない悪魔に、これ以上話すこともない。櫛奈はそれから黙ったままバイト先へと向かう。


 本当は、櫛奈だって分かっていた。

 好意を無碍にするべきではないことも。

 羽美が本当に自分の為に提案してくれていることも。


 でも、それを頼ってしまう自分になりたくなかった。

 それからお金が絡む関係になるのが、何よりもイヤだった。せっかく親友とも呼べる関係なのに、そこに金銭の事情を挟みたくはなかった。


 故に櫛奈は彼女の思いを拒絶する。彼女の想いを汲み取れていないフリをする。

 ズルい人間だ。子どもっぽいやせ我慢だとも、思える。


 そしてそれすらに気付かないように、深く考えず今日もまた夕方からバイトに明け暮れる。

 それから、疲れ切った身体を休ませるべく、何も考えずに早めに床に就いたのだった。

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