第9話 日常

「ミコト~。おかわりならご飯、自分でよそいや~」


 料理の後片付けをしながら、背中越しに弟へ向けてそう促す。

 櫛奈には弟が一人、妹が一人いる。妹は今、この家にはいないが弟は育ち盛りの中学生で、それに加えて受験生でもある。毎朝早くに登校しては、受験勉強に精を出していた。

 これが終わったら櫛奈も登校の準備をしなければならない。ご飯を作って、お昼の弁当を作って、それが終わったら後片付けをしてと、彼女の朝は忙しい。


「いや、おかわりはいいや。その代わりって言っちゃなんだけど、後片付けは俺がするよ」

「へ? ええって、そんな気ぃ使わんでも。弟は黙ってお姉ちゃんの言うこと聞いとけばいいねんって」

「……いいから。たまには俺を、頼ってよ。それに、櫛姉も疲れてるんでしょ? 昨日なんて、ソファで寝ちゃってたし」


 みことが非難するような瞳をこちらに向けて、櫛奈は逃れるように顔を背ける。


「あ、ああ~、ついウトウトしてもうてな。ゴメンな、重かったやろ?」

「……いや、思ったより軽かった」

「お、嬉しいこと言ってくれるやん。知らんうちに女慣れしたんか~?」

「――うるさいな。ほら、櫛姉は休んでて。後は俺がやるからさ」


 からかわれて少し赤面する尊が立ち上がり、櫛奈の隣に立つ。櫛奈の身長を優に超える背丈。男らしくガタイもいい。

 子ども扱いしてしまっていたのかもしれない。弟は姉の見ていないところで、成長しているものなのだな。

 それをなんとなく感じ取った櫛奈は彼の肩を叩き、大人しく任せることにした。


「ありがとな、ミコト。助かるわ」


 たまには好意に甘えるのもいいだろう。櫛奈は登校の支度をしつつ、リビングで流れる朝のニュースに目を通す。

 テレビは相変わらずどうでもいいニュースばかり流していて、やれ政治家が不祥事をしただの、やれ芸能人の不倫が発覚しただの、新興宗教の施設が大規模な火災に見舞われたとか。そんなそこら辺りにいる女子高生には関係のない話題ばかり。


 でも、そんな頭に入ってこない話だからこそ、物思いに耽ることができる。

 結局、昨夜のアレは夢だったのだろうか。

 ――夢ちゃうかったら、ただ借金背負って帰ってきただけやけどな。

 夢の証拠も無いし、朝のルーティンはいつも通りこなせたが、どうも夢にしてはリアリティがあった。

 まあ、気にしなくてもいいだろう。そう思って立ち上がって――


『おや、やはり夢だとお考えですか?』

「うにゃッッ!?」


 突如頭に響く声に、驚いて変な声を上げてしまう。その声を聞きつけた尊が、慌てた様子で部屋に入ってきた。


「櫛姉!? 何かあった?」

「あ、ああっと、別に何ともないで。ちょっとコケそうになっただけやから」

「……そう。やっぱり、疲れてるんだって。今日休めば?」

「アホ。その気持ちは嬉しいけどな、こんなんで休めんわ。ほら、後片付けしな遅刻すんで」


 心配そうな表情を隠そうともしない尊を追いやり、櫛奈は突如話し掛けてきた声の主に半ギレで問い詰める。


『なにいきなり話し掛けて来てんねん!? ていうか何でおるん!?』

『これはこれは随分荒い歓迎ですね』


 やたら余裕のある声。無性に腹立つこの声の主、フェイレスが心底楽しそうに答えてくる。


『まあ、真面目に解答するのであれば、先の出来事は全て夢では無かった、ということですね。異世界に行ったのも、アーラに出会ったことも、そしてワタシと取引をしたのも全部、貴方の身に起きたことです』

『え、借金も?』

『もちろんです。あ、ちなみにこちらのセカイでもご購入いただいた能力は使用できますよ? 使ってみては?』

『アホか。使用料取るんやろ? もう使わんでアレは』

『もったいない……、せっかく良い能力なのに。あ、手から炎を出すやつも使えますよ。こちらは買い切り型なので使いたい放題です』

『それこそ使って何があんねん……。もう今のご時世、ライターで火も点けれるんやで』


 まるで魔法のような技術が現実世界には山ほどある。なのに、お金を使って能力を買うなんて、櫛奈からすれば無駄遣いだ。ただでさえお金が無いというのもあるが。


『はあ……、まあ、夢ちゃうってのは分かった。それで、なんでアンタはおるん?』


 今度は意味ではなく、意図を問う。お金の支払う気もない客の近くにいる意味なんて、ただの時間の無駄だろうに。


『ずばりヒマです』

『知らんがな』


 あまりに悪魔らしくない言葉に、櫛奈は溜め息を吐く。対してフェイレスは楽しそうに笑う。


『いやあ、こうして貴方と会話していると気分も晴れましてね。たまに家に来る親戚の伯父さんぐらいの間隔で接して貰えれば』

『接せるか。イヤやわ、脳内に直接語りかけてくるオジサンとか。その具体的過ぎる例えもなんなん? ホンマに悪魔? 庶民的過ぎへん?』

『ワガママですね』

『やかましいわ! 暇で話し掛けて来るヤツに言われたないわ』

『まあまあ、クシナさんはいつも通りの日常を過ごしてください』

『……なんでやろなあ。なんかムカつくねんなあ』


 暇な悪魔の相手もほどほどに、櫛奈は制服を着て、準備を整える。


「お、櫛姉。こっちは終わったよ。……って何かあった? なんか疲れてる気が――」

「……いやホンマに気にせんで」


 悪魔と会話していたとか知られたら本気で心配されてしまう。頭の。

 櫛奈は言葉を濁し、弟からの追及から逃れる為に背伸びをして、頭を撫でる。


「ありがとうな。後片付けしてくれて」

「なっ……! 別に、当たり前のことやっただけだから……!」


 彼は猫のように飛びのいて、すぐにそっぽを向いた。


「先、行くから!」

「はいはい、いってらっしゃい」


 尊はあらかじめ用意していた鞄を引っ手繰って、慌てて家を出ていった。

 家は静かになり、ただテレビの音だけが、虚しく流れているだけ。


『なかなか賑やかな弟さんですね』


 と思ったら、コイツがいた。


『アンタの方が賑やかやから。さ、ウチらも行くで』


 テレビを消して、櫛奈も学校へと向かうのだった。

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