第5話 シェイド・レグナムへようこそ④
「だーかーらぁ、それはまかり通らねえって言ってんだろぉ?」
「でも、娘が無事に生きて帰ってきたんです! だから、契約を破棄してくれませんか」
「だからそれがダメだって話でしょうがぁ!」
なにやら怒号が飛んでいる。声の主は、アーラの父と、誰だろう。階段から見える景色からだと何も見えない。けど、何かしらで揉めているのは理解出来た。
「……アーラ、誰か知ってる?」
「いえ……、少なくとも聞いたこと無い人の声です」
後ろをついてきているアーラに訊くも、彼女は首を横に振る。
結構大きな物音もしたし、ここはお節介だろうが、首を突っ込んでおいたほうがいいのかもしれない。
櫛奈とアーラは、急ぎ足で階段を駆け下りた。
「あのぉ……、大丈夫ですか……?」
おずおずと、慎重に様子を伺い、櫛奈とアーラは現状を認める。
それほど広くはないリビングにあった椅子が手荒に投げ転がされていて、揉め事があったのだと瞬時に理解できる。
「アーラ、それにクシナさん……」
アーラの父と母が驚いたように二人を見やる。櫛奈はそれを受け、そして対面に座る来客へと視線を向けた。
「おやぁ。お前がこの家の娘か?」
下卑た笑みに荒々しい口調。
そこには強面の小柄な男が偉そうに大股開きで座っていた。その背後には、これまた厳つい顔の大男が無表情で控えている。多分この男の部下か何かだろう。
「はじめましてぇ。俺の名はバド。真っ当な土地買いをやってるもんだ。国公認でな。で、後ろのは雇われ傭兵だ。名前はグライド。まあよろしくやってくれ」
「……どうも、アーラです。あの……、バドさんは何をしに来たんですか……?」
流れに流されるように、困った顔で自己紹介をするアーラ。それを訊いて、態度の悪い来客は首をひねり、アーラの父へと向き直る。
「あぁ? なんだ、話してなかったのかよ」
「……関係無いだろう」
「関係無いわけねえだろ。アンタんとこの娘が理由になってんだ。この土地を売るって契約したのに、娘が帰って来たから今更取り止めますなんてムシの良い話だよな」
彼の言葉に驚いたように、アーラが反応する。
「あ、えっと。……パパ? この土地を売るって、どういうこと……」
「違うのよアーラ。パパはね……」
「大丈夫だよママ。僕から話すから」
何かを言い掛けたアーラの母を制して、彼は実の娘を見据えて、そうしてゆっくりと口を開く。
「アーラ。お前が生贄として差し出されてしまって、私達は生きる目的を失った。まるで、心に大きな穴が開いてしまったかのような、そんな虚無感に襲われたんだ」
「……でも、だからって」
「家も売ってしまって、この国を出てどこかで余生を過ごそうかと考えていたんだ。アーラと共に過ごしたここにいては、その幻想ばかりを追いかけてしまうからね。でも――」
それまで慈しむように優しかった瞳は、一点、強い意志を感じさせるものへと変貌した。そしてそれは、明確な敵意として、バドへと向けられる。
「僕らの希望は帰って来た。娘との思い出を、これまでと、そしてこれからの居場所を売るわけにはいかなくなった」
「……そんなものがまかり通るとでも思ってんのかよ?」
「当たり前だろう。何故なら今日がその契約書を渡す日だったからな」
そう言って、アーラの父は紙を一枚取り出した。櫛奈からではそこに書かれている文字までは読み取れなかったが、多分契約書なんだと推察できた。
「これがお前たちとの繋がりであるのなら――」
「なっ――」
誰もが止める暇などなかった。ただ、バドは息を飲み、驚愕の表情を浮かべながら、ただその契約書がビリビリに破かれていく様を見ていた。
「これでお前たちとの繋がりは無くなったな」
「て、てめえ――!!」
バドの表情が驚きから怒気へと変わる。それから背後に立つ部下らしき人物へと荒々しく声を飛ばした。
「グライド! こいつらに痛い目を見せろ! こういう生意気な奴らには一回暴力で理解させる必要がある!」
「……わかった」
ずい、と。それまで控えめに仁王立ちしていたスキンヘッドの厳つい顔をした男が櫛奈たちの前に立ちはだかる。凄まじい威圧感。スポーツをやっている人と試合で相対した時に、似たような経験を櫛奈はしていた。
隙が無い。加えて、微塵も見下していない。
例えるのであれば、職人のような印象を櫛奈は受けた。
「あんたらに恨みはないが、まあ雇い主の命令なんでな」
生じた僅かな憐憫。武骨な口調であることに変わりはないが、話し合いの余地はあるのかもしれない。
「な、なあ。別に暴力に訴えんでもよくない? 人間には分かり合える言語ってのがあるんやし」
「何言ってんだ! もはや話し合いのタイミングは逸した! お前たちは泣き喚きながら理不尽を受けるか、契約書にサインを書くかの二択しかないんだよ!」
「アンタに言うてんちゃうわ! このおっさんとなら話し合えるかって言ってんねん!」
直後にしまった、と。櫛奈は外野に対して受け応えをしたことに後悔する。今までの流れから、こんなことを言えばバドとかいうやつがどういう反応を示すか、分かりそうなものだったのに。
「……っ! あーあ、マジかコイツ。決めた、おいグライド。一番生意気なコイツからやれ」
「あ、あの~。べ、別に喧嘩を売ったつもりとかや無くてな?」
そう言ってみるも最早彼に言葉は届かないし、このグライドという男は憐みの視線を向けてくるばかり。
終わった。
たかが夢だが、痛い思いをするのは嫌だ。それとも、ありがちな夢では痛みは感じないとかなのだろうか。
グライドが一歩、詰め寄ってきて、櫛奈もそれに合わせて一歩退く。
と、突如声が響いた。
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