第3話 シェイド・レグナムへようこそ②
シェイド・レグナムという国は別段可哀想なぐらい困窮しているわけでもなく、それにとんでもなく治安が悪いというわけでもなさそうだった。
少なくとも櫛奈が訪れたこの場所は長閑な場所で、日本さながらの田園風景が広がっている。あぜ道を歩きながら、眼前に広がる田畑を耕している老翁や通り過ぎる馬車に会釈をしつつ、アーラと共に目的の場所を目指す。
もう間もなく夜ということもあってか、人通りは少ない。おまけに街灯もないから黄昏特有の闇が異常に濃く映り、殺風景なように見えた。
「あ、あそこが家です」
ふと彼女が指差すその場所へ視線を移す。
「おぉ、あれが……」
そこには白い石造りの壁に赤い煉瓦の屋根が乗った大きすぎず小さすぎない整った一軒家があった。
これまで田んぼの中を歩いてきたからか、改めて西洋建築っぽい建物を見ると、急に異世界に来たんだなと実感が湧いてくる。
実際、教会の中からスタートしていたのだが、教会なんかは日本にもあるものだし、目の前にあるその派手すぎない牧歌的な田舎の家屋を見ると、余計にそう感じてくるものだった。
「……それで、家族の人にはなんてご挨拶すればいいんやろ?」
櫛奈がこれからこの国の神として振る舞うにあたって、活動拠点が無いわけにはいかない。
ただいきなり、この世界の住人じゃない櫛奈を神だと言って信じてくれる人がいるわけがない。
それならばアーラのことをよく知る人物に会って、まずは説明をしようという話になったのだ。
「……まずは私から説明します。というか、パパとママは多分私が神に攫われたと思ってるはずです。元々、そういう話でしたから」
「ああ、そっか。生贄、やもんな」
「はい。ですから一気に私とクシナ様。二人が出て行くと混乱しちゃうと思うんです」
「そうやな……。死んだと思ってた娘が神様連れて帰ってきたらウチでも混乱すると思うわ」
アーラの言葉に納得し、頷く。そうして彼女は若干緊張した面持ちで、自身の家の扉を叩いた。
「はーい、どちらさま……。って――アーラ!?」
聞こえてきたのは恐らくアーラの母の声だろう。驚きと困惑。そして僅かな涙声が混じった言葉に続いて、男の声が響いた。
「ほ、本当にアーラなのか!? い、生贄の儀式はどうなったんだ? ああ、いやそんなことはどうだっていいな。よく無事で帰ってきてくれた……」
「う、く、苦しいよ、パパ……」
塀越しでは見えないけど、きっとアーラの父は実の娘を力いっぱいに抱き締めているんだろう。会話からその光景がありありと感じ取れる。
その最中に、一家が恐らく幸福の絶頂にいる只中に、出て行ったらどうなるのだろうか。
いや、もうアウェーどころの話じゃない。
きっと呆けた表情をされるんだろう。櫛奈の気が一気に重くなる。
「あ、えっと……。じ、実は儀式のことなんだけどね。紹介したい人、がいるの」
「来たか……」
スベるのが目に見えているのに舞台に上がるのは、あまりにも精神的にキツイ。歩む足はまるで泥の中を行進しているかのように進まない。
それでも、これも彼女のため。櫛奈は外壁から玄関先へとその身を躍らせる。
「あ~……、どうも初めまして。
夫婦の前に出た瞬間に、これはふざけられない空気だと悟った櫛奈は、すぐに態度を改めて自己紹介を始める。
ただ、形式ばった自己紹介なんて新学期の自己紹介ぐらいでしかしたこともなかったし、ノリで生きてきた櫛奈にとってはそれが精一杯の自己紹介だった。
緊張と不安で鼓動が早鳴る。この心音が外にまで響いていないかと心配になるほどには、静寂。気候は特別暑くないはずなのに、額からは嫌な汗が滲みだす。
あっという間に気まずい空間が形成されてしまっていた。
そして、そこから救い出してくれたのはアーラだった。
「えと……、本当にこの人は神様なの。儀式をしてたらクシナ様がやって来て……」
「ああ、いや。別に疑ってるわけじゃない。ただちょっと事態についていけてないだけだ」
分かる。櫛奈も心の中で頷き心中察する。
アーラの父は櫛奈へと向き直る。真摯なその視線に背筋は自然と伸び、空気がまた張り詰めた。
「ああ、神様? もし貴女が本当に神様であるなら、どうしてここに? 本来なら、アーラは生贄となっていたんじゃ……」
「……そうですね。気になるのはもっともかと。ちなみに、貴方にとっての神とはなんですか?」
「え? ええと、神について、ですか? それはこの国に住む人間なら誰でも知ってますよ。神とはその力を以てして、信仰してくれる国を繁栄させる、そういった存在です」
「そう。そうなんです。いやでも考えてみてほしいんですよ。神は信仰によって支えられている、ということは、国民がいないといけないんじゃありませんか?」
「ええ、まあそうなりますが……」
「それなら生贄に捧げられた国民をわざわざ自分の手で一つ消すようなマネ、意味ないと思うんですよね。わざわざ生贄になるような子は、多分人一倍信仰心が厚い。そんな人を犠牲にさせるわけにはいかないんです」
この国が持っている神についてのイメージ。それと矛盾がないように慎重に言葉を選びながら、怪しくないように展開を運ぶ。
なんだか騙してるようで気が引けるが、それでもこれはアーラのため。神としての振る舞いなんて知らない櫛奈にとって、言葉で語りかけるしかなかった。
「……そうなの。クシナ様は私を助けてくれた。でも、まだこの国の神というわけじゃないの。あくまでも、召喚された、神。――私は、クシナ様がこの国で神になれるようにお手伝いをしたいの。……だめ、かな?」
アーラの父と母はそれぞれ顔を見合わせる。
正直、自分自身のことを神だと宣う謎の人間に、信じるも信じないもないと思う櫛奈だが、しかし彼らは笑顔を向けてくれた。
「ダメじゃないさ。他ならない、アーラの言葉だからね。私達が信頼しなくて、誰が信頼するっていうんだ」
「ありがとう……っ! パパ、ママ!」
再び抱き合うアーラとその両親。仲睦まじいのはいいことだ。
……ウチにも、あんなときが。
その姿が、その光景が、櫛奈の家と重なる。父と母が嬉しそうに笑い、そして櫛奈自身も無垢に笑っていた、その時と。
「ええなあ。御両親を大切にしなあかんで? アーラ」
「え……、は、はい」
首を傾げるアーラに、櫛奈は笑ってみせる。
もう日はすっかり沈み、夜の闇が世界を覆う。玄関に掲げられたランプがその火の揺らめきで、躍る影を作り出し、しかしそれを上回る明るさで、煌々と闇を拭っている。
田畑を一望できる立地にあるこのアーラ家では、野生生物も周辺に多く生息しているようで、聞いたことのない鳥の鳴き声や、聞き覚えのあるカエルの声も聞こえてくる。
基本的に都会暮らしな櫛奈にとって、いまのこの状況こそ、まさに異世界に転生したかのような違和感の正体で、慣れない雰囲気に身体がフワフワしてしまう。
それを察したのか、それともキョロキョロと辺りを見回す櫛奈を気にしてか、アーラが声を掛けてきた。
「じゃあ、もう夜だし家に入りましょう、――クシナ様」
「ああ、うん。せやな。……おじゃまします」
そうして櫛奈は、アーラの家に上がり込むのだった。
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