第2話 シェイド・レグナムへようこそ
悪魔だとか、魔法だとか、異世界だとか。
荒唐無稽な話が続いて、十中八九、これは夢の話なのだと思っていた。およそ現実には起こりえない出来事。それを見せられても、並の人間にとっては到底信じがたい。
櫛奈も信じていなかった。
だから、謎の空間から出てきて、教会へと繋がっていた時、まだ夢が続いているのだと思った。
「おお! もしや貴方様が……!」
ざわつくローブの集団の奥。数段高く設計されている壇上から、しわがれた声が飛んでくる。
辺りを見渡して、誰もいないことを確認。
貴方様とは、もしかして自分のことなのかと、櫛奈は声を発した。
「あの……、何のことやらさっぱり……」
その場にいる全員の顔立ちが、およそ日本人らしくない。どうやら目鼻立ちの整った外国人風に見えた。さすがに日本語で話すのもどうかと思ったが、そもそも日本語で話しかけられたのだ、普段通りの言葉で話すことにする。というか日本語以外まともに喋られない。
周囲を物珍しさで見回していると、壇上にいた老翁が近づいてきた。
「何を仰いますやら。貴方様はこの国を、シェイド・レグナムを救いに来てくださった神なのでしょう?」
「か、神……?」
何をバカなことを、と。反論したくなったが、老翁に腕を掴まれて、壇上まで連れてこられる。
「……」
そこには、一人の美少女がいた。
髪の色は透き通るような白髪。絹のように滑らかで、肩まで伸びたそれは、見るモノ全てを釘付けにするだろう。眉尻は臆病そうに下がっているが、赤褐色の瞳が力強く精彩を湛えている。彼女はこの場にいる誰よりもハッキリとした顔立ちをしていた。
年齢は、見たところ櫛奈と同じぐらいに見える。
「ど、どうも~、こんにちは~……」
何故かじっと見られているので、とりあえず基本に帰って挨拶……、をしただけだというのに、何故かびくりと、彼女は身を縮こませてしまった。
……あれ、なんでか怖がられてる?
もしや先ほどの謎紳士に顔でも改造されたのではないか。肝を冷やして、両手で顔の輪郭をなぞる。
どうやら形は人間っぽい。良かった。
「さて、神様。こちらが、生贄でございます」
「……え? 生贄?」
老翁が指すこちらには、美少女しかいない。視線を向けると、また彼女の体が強張ったようだった。
突如現れた櫛奈を神様呼ばわり。
荒れ果てた教会に、国を救ってほしいという発言。
そして用意された女性の生贄。
なるほど、と。櫛奈は現状の理解がなんとなく追い付いた。と同時に、怒りもこみ上げてくる。
人の命はお金で買えない。非売のものにはプライスレスな価値が存在する。それをむやみやたらに捨てようとしている人間に、憤りを感じてしまう。
「なあ――」
神様だと信じ込まれている自分の言葉ならば、多少は聞いてくれるだろう。抗議しようと言葉を発するが、老翁に先を越されてしまった。
「神様。降臨していただき誠にありがとうございます。……この国を、人々を、子供たちを。どうか、救ってくださいまし」
恭しく、首を垂れる老翁。併せて、ローブの集団にも深い礼をされる。
形だけではない、心の込められたお辞儀に、櫛奈は出た言葉を引っ込めざるを得なかった。
――そんな感謝されたら、文句も言えんくなるやんか。
「……それでは、我々はこれで失礼いたします。生贄は……、どうぞご随意にお使いください」
そう言うと、老翁はローブの集団を引き連れて、教会から出て行ってしまった。
「……行ってしもうたな」
がらんとした教会は、存外広かったのだなと思わせる。ステンドグラスから差し込む、オレンジ色の陽光はその勢いを衰えさせて、闇を拭うのは適度に設置されたキャンドルの灯火のみ。
なんとも幻想的な光景だが、魅入っている場合ではないことを思い出す。
「えっと……、できればこの状況を説明してほしいねんけど……」
できるだけ刺激しないように、最大限に語気を柔らかくして、目いっぱいの笑顔を振りまく。
そうして待つことどれほどだろう。すっかり陽が落ちた頃、何度か口をパクパクとさせた彼女から声が振り絞られた。
「あの……」
「ん、なんや?」
相手を怖がらせないように慎重に言葉を選ぶ。やがて少女は言葉を紡ぐ。
「……えと、神様。随分、訛ってる、んですね……」
どれほどの恐怖が彼女を襲っていたのだろうか。想像には難しくないが、あまり歓迎されない言葉が飛んでくると思っていた。
だからこそ、少女のその言葉に思わず櫛奈はふき出してしまう。
「ぷっ。アハハ! なんやおもろいこと言うやん!」
「えと、あの……、別に笑わそうと思って言ったわけでは……」
「だからこそやん。天然ボケってやつやな」
今まで頑張って作っていた笑顔が自然と零れる。その一笑いで緊張が解かれたのか、彼女の警戒心も緩んで見えた。
「せやなあ、まずは自己紹介からしよか。
言葉と同時に、右手を差し出す。握手のつもりだったが、少女はその手を見て明らかに戸惑っているようだった。
「あーっと……、握手って文化はこの国にはないんかなあ。夢の中やから異世界にそういうディティールとか求めてへんねんけど」
握手が空振って、気恥ずかしさを感じつつ手を引っ込める。ボケがスベった時のような照れ臭さが生まれて、逆に変な間ができてしまった。
「わ、私アーラっていいます。……あの、神様。本当に、神様はこの国を救ってくださるんですか……?」
ようやく、しかし意を決したように振り絞られた言の葉。身体は震え、手は自らの衣服をぎゅっと握り締めていた。ただ彼女の瞳は、揺らがず、真っ直ぐに櫛奈を捉えている。
きっと相当な覚悟でここに来たのだろう。何せ生贄として祀られているのだ。生に執着が無い人間でさえも、躊躇はするはずだった。
その上で、未だこの国を憂いている。
神様に自分自身ではなく、国を救ってほしいと願っている。
強い人だ、と。櫛奈は尊敬の念すら覚えた。
故に、次に発する言葉を言うのは憚られたが、嘘を言っても仕方がない。
「えーっと、申し訳ないんやけど、ウチ神様とかいうんじゃないねん。ただの女子高生、は通じへんか……。学生って言えば伝わるんかな? だから、その、国を救うとかっていうのは、できへんねん。……ごめんな」
言葉一つを紡ぐ度、彼女の、アーラの表情が曇り、そうして俯いてしまった。
それを見るのも痛い。苦しい。
本当は救えると、そう言ってあげたい。
でも、自分自身には何もできない。櫛奈はこの世界の人間ではないし、神様でもない。気安い返答など、できるはずもなかった。
「……そう、なんですね。……うん。わかってました。そう都合よく神様が来てくれるなんて、そんなはずありませんから」
俯き語る彼女の声が滲み、その手が震えているのが分かる。今すぐにでも崩れてしまいそうなアーラの手を握り、安心させてあげたい。そう思えてしまう。
同時に。
自分にはそんな資格がないことも、理解出来てしまう。
「――でも、せっかくこの世界に来たんやし、できることを手伝わさせてほしいわ。ウチにできることなんて、限られてるやろうけど」
一介の女子高生に何ができるだろう。目の前の人も救えないのに、国を救うだなんて、そんなことできるはずもない。
そうは思うものの、櫛奈は口に出さずにはいられなかった。
偽善であろうが、力が無かろうが。
生贄として捧げられて、国に捨てられたにも関わらず、尚もその国のことを思い続けるアーラ。
そんな彼女のような人間には、救いがなければならないのだ。
「……ともかくや。こんなところにいつまでもおるわけにもいかんやろ。さっきの人に、ウチ実は神様じゃありませんでしたって、とりあえず言ってこよか」
いくら雨風が凌げる教会だからといって、気の休まる場所とは言い難い。さっそく事情を説明しようと、教会から出ようとして、彼女に手を掴まれた。
「ま、待って! ……ください」
「え、ど、どうしたん?」
「……えーと、その……」
困ったように、視線を泳がせる彼女。迷っているように見えるが、その握る手は力強い。
「……じ、実は。この神降ろしの儀式の失敗を誰にも知られたくないんです。……その、特にお爺ちゃんには」
「え、なんでなん? というか、お爺ちゃんって……」
立ち止まり、アーラも櫛奈から手を離す。
「……貴女を引っ張っていたあの白髪の人、私のお爺ちゃんなんです。それから、この儀式の責任者でもあって。だから、もし神様がいないってことになったら、お爺ちゃんが責任を取らされてしまいます……」
「なるほどなあ……。それやったら、話早いわ」
「え……? どういうことですか……?」
戸惑うアーラに、櫛奈はニコリと笑ってみせる。
この人は。
この女の子は。
自分と同じぐらいの年齢なのに。
一体どれほどのことを思い、悩んでいるのだろうか。
何の見返りも報酬もなく、ただ誰かのことを想い、憂う。
それは同年代の少女には重過ぎるものだ。
だから。
圓富 櫛奈は決意する。
ここが夢の世界であってもなくても、情が移っていただろう。
自分とは無関係な世界、人間、環境であっても、常に自分にとって利のある行動を取る。
圓富 櫛奈とは、そういう人間で、自分に正直な性格だった。
故に、彼女は目の前の少女を落ち着かせるために、笑ってこう言う。
「ウチが、この国の神として認められる。それなら、ええやろ?」
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