第14話
砂の街に、雲の切れ間から朝日が差し、夜明けが訪れる。
誰も殺されることはなく、次の日――二十六日の朝がやってきた。
「そうか、事件は解決したのか」
ユウヤとユウトは、二人で南地区の酒場を訪れていた。店内はすっかり片づけられ、以前に来た時よりもずいぶん広く感じられる。
マックスは二人の報告を聞いて、少し遠い目をした。
「……まさかあいつが、犯人だったなんてな」
「うん。おれたちも、なかなか気づけなくて……」
「なんにせよ、お前さんたちが無事でよかった。事件を解決してくれたのはありがたいが……、あまり危険なことに足をつっこむんじゃないぞ」
「あはは……」
ユウヤは苦笑し、店内をぐるりと見渡した。そんな様子に気がついたマックスが、ふと口を開く。
「……店だけどな。兄貴が死んだこの場所で続ける気にはなれなかったんだが、……移転しようかと思ってな」
「え?」
マックスの言葉に、ユウヤは少し嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうなんですね!」
「うちで出してた料理は、父親から、兄貴から……、引き継いできたもんだ。場所が変わってもいいから、続けてほしい、って客が多くてよ。……はは、参っちまうな」
「それなら、いつかおれたちも行っていいかな!」
マックスは「ああ」と頷いた。
「もちろん歓迎するさ。またこの街に立ち寄った時にでも、来てくれ」
「うん! 絶対来ようね、ユウト!」
「ああ、そうだな。……そろそろ、戻るか」
話がひと段落したところで、ユウトは言った。
「うん。それじゃあ、マックスさん、お店……頑張ってください!」
「ああ、お前さんたちもな」
マックスに別れを告げて、二人は酒場を後にした。
☆
「それにしても……みんな無事で、ほんとに良かったぁ……」
と、カオルは円卓にもたれかかった。
「うんうん、ほんとに良かったよ~!」
とうなずきながらフォークを差し込み、テリシアは真っ白いフランを口に運び、目を輝かせる。
「うん、おいしい!」
今朝、事件の被害者たちへの報告を終えた彼らは、街のケーキ屋に訪れていた。そこは以前ポルックスに教えてもらった、この街の隠れた名物――ツワネール・フランが有名な店だった。現在の店主は三代目で、ずいぶん歴史がある店らしい。
「でも……、この事件の犯人は、ポルックスだったんだね……」
とユウヤはフォークに載せたフランを見つめ、そう呟いた。
「うんうん……道に迷ってたら、ユウヤくんとポルックスが戦ってたからびっくりしたよ〜!」
「え? テリシア道に迷ってたの?」
「あ、違うよっ⁉ ユウヤくんを助けに行ったに決まってるじゃん!」
と慌てるテリシア。
「あはは、そっか。……いや、というかさ……カストルが、まさかもういなかったなんて……」
ユウヤはため息を吐いて、フランを口に運んだ。
「ええ……ラインハイトさんですね。確かに、姿形を変えられると聞いたことはありましたが、あんなにも精巧だとは思いませんでした」
「特にすごいのは……身に纏う魔力まで完全に再現していたことじゃないか。俺も見抜けなかった……」
とユウトも頷く。
ラインハイト……まおー軍の幹部の一人、『黒鴉のラインハイト』。彼女は今回の事件に、裏から協力していたのだと語った。……少し、照れくさそうに。
「そういえばさ、フィオレナたちは……あの時、どうしていたの?」
ユウヤは思い返しながら尋ねる。まるで示し合わせたように、ルティスと共に現れたフィオレナたちのことが、気になっていた。
「実は私たちも、あの夜はポルックスが犯人だと気づいて、ユウヤくんを探していたんです。そこで……ラインハイトさんに出会いました」
「え、そうだったの⁉」
それから、カオルは「実はね……」と切り出す。
「私とシズク……フィオレナは、カストルが殺された事件の事を知っていたんだ。だから、ポルックスが嘘をついている事には気づいてたの」
「え⁉」
とユウヤとテリシアは揃ってフォークを取り落とした。
「そ、それなら、言ってくれればよかったのにー!」
「ごめんねテリシア~。でも……このことをルティスが黙っていたことに、きっと意味があるはずだって思ったんだよ」
「……なるほど、確かにそうだな」
ユウトも最初は驚いた様子だったが、冷静に頷いた。
「それで、ラインハイトさんに言われたんです。ポルックスが自分で真実を語るまで、何も言わないでくれ、って」
「自分で、真実を……?」
フォークを拾いながら呟いたユウヤに、カオルは頷いて続ける。
「うん。ルティスさんたちは、ポルックスが犯人であることは最初からわかっていた。けど……彼が自分自身で真実を受け入れて、現実を取り戻すこと……それが必要なんだ、って」
そんな話を聞いて、ユウヤは目を伏せた。
「うーん……それって、すごく……辛いことだよね」
「そうですね……」
とフィオレナも、思いを馳せるように呟いた。
「おれたち、何かの役に立てたのかなぁ……」
そんなユウヤにカオルは、もちろん、と笑いかける。
「ポルックスのことを信じていたユウヤくんたちが向き合ったからこそ……ポルックスは自分の力でもう一度現実を取り戻したんだよ」
……それが、どんなに残酷な現実だとしても、か……と、ユウトは心の裡で思った。
「そっか……それなら、ポルックスは……」
とユウヤは、ポルックスとの別れ際を思い出す。
ポルックスは昨夜のうちに、ラインハイトに塔都へと連れていかれた。塔都には大きな牢獄がある。ポルックスもそこに入ることになるというのが、ルティスの話だった。もう会うこともないだろう。
「ポルックス……」
思わず呼び掛けると、振り向いた彼は濡れて傷ついた頬で、かすかに微笑んで。
「……ありがとう」
と、最後に言ったのだった。
「きっと、これからポルックスは、自分の罪に向き合うんだね……」
少し暗くなってしまった空気を変えるように、カオルは声音を明るくした。
「ってわけで、ルティスが出て行くまでは黙って見守っててくれって言われたんだよね。もー、ひやひやしたよ!」
「そういうことだったんだな」
「でもでも、すごかったね、ユウヤくんたちの魔法!」
テリシアの言葉に、ユウヤは少し照れたように頭をかいた。
「えへへ……ユウトのおかげだよ」
「いや……」
ユウトはじっとユウヤの瞳を見つめる。
「……どうしたの?」
「ユウヤ、お前のおかげだ」
ユウヤはきょとんと目を瞬かせて、それから照れくさそうに笑った。
そんな二人をにこにこと眺めていたカオルは、ちらりと隣の空席を見やる。
「それにしてもシズク、用事があるから、なんて……どこ行っちゃったのかなぁ」
心配そうにそう呟いて、一つだけ手つかずのままのフランをじっと見つめた。
☆
ツワネールの町はずれ……砂風の吹く墓地に、二つの人影があった。
「……面白いな、異世界人。どうして僕のことが分かったのかな?」
その黒尽くめの影は墓石の上に腰掛け、声はどこか嘲るように笑って相手を見下ろしている。
「何が目的?」
対峙するシズクの鋭い語調に、今度は静かに口を歪めた。
「《完全記憶》……大したことはない能力だと思っていたけど」
質問には答えずに、滔々と続ける。
「表面上はどれもありきたりな事件にすぎないのに、それがただの殺人や暴力事件じゃないって、よく気づいたね」
シズクは黙ったまま、冷たい瞳でフードの奥の闇を見据えている。
「……そんなに怖い顔しないでよ。ほら、楽しもう」
ふざけたように大げさに手を広げてみせると、吹き抜ける風が裾をばたつかせた。
「人間は面白い。ほんの少し、指先で押すだけで簡単に殺し合うんだ」
瞬間、
鮮やかな緑が宙を割った。
――《
それはシズクが生み出した特殊色魔法のひとつだった。全方向から生じた緑色の風の刃によって、一秒にも満たない間に対象を切り刻む。
だが、すでにそこには何の姿もなかった。
「まぁ、安心してよ。僕は君たちに手を出したりはしない。君たちを殺すのは、――君たち自身なんだからさ」
背後から聞こえた声に、シズクは振り向く。
だがそこには、乾いた墓地が広がるだけで、誰の影も見えない。
シズクはぐるりと一度周囲を見渡してから、もう何の気配もないことを確認する。
しばらくそこに佇んでから、再び墓石に向き直ると、そっとその前に花を供えた。
頭上に晴れた空に、雲がゆっくりと流れていく。
☆
フランを食べ終えて店を出たユウヤたちは、宿屋への道を歩いていた。
「ポルックスのことは許せないけど……でも、なんていうか……うーん」
とテリシアは考え込んでしまう。
「……なんていうか、悲しい事件だったね」
ユウヤの呟きに、カオルもテリシアも、同意するように頷いた。
殺人事件が解決された街は、いつものような賑わいを取り戻していた。空もよく晴れ、風も静かだった。
ユウトは一行の後を歩きながら、少しばかり考え込んでいた。
「……ユウトくん」
「え?」
声をかけられて顔を上げると、隣にフィオレナが歩いているところだった。
「もしかして、まだ何かモヤモヤしているんじゃないですか?」
「それは……、まぁ……」
フィオレナはにこりと微笑んだ。
「実は、私もなんです」
「……フィオレナも?」
「はい。だから、もしよければ……ルティスさんのところに行ってみませんか?」
そんな思いがけない誘いに、ユウトは目を瞬かせた。
☆
「フィオレナたちは気づいていたんだな……、殺人事件の犯人が誰か」
二人はユウヤたちに声をかけて支部局に向かい、そこで教わった通りに街の高台を目指していた。話によると、ルティスはよく高台にいるらしい。
「……確かに、カストルさんの亡くなった事件のことは知っていましたが……ラインハイトさんがカストルさんのふりをしているとは思わなくて。ちょっと混乱してしまったんです」
とフィオレナは苦笑する。
「まるで、幽霊が起こした事件みたい……なんて思っちゃいましたから」
「確かにな。俺たちはカストルに会った、なんて言ったわけだし」
「そうですね。だから、どちらが犯人か、私はよくわからなかったんです。シズクさんは、最初から分かっていたみたいですけど……」
そんな会話のうちに緩やかな坂を上り終えて、二人は高台に辿り着いていた。
そこで街を見下ろして佇んでいる姿があった。その頭の上には、小さなウサギのような生き物が乗っている。
「……文句でも言いに来たの?」
と、ルティスは振り向くこともなく言った。
「まぁ……」
ユウトは呟きながら、フィオレナと共にルティスのそばまで歩み寄る。
ルティスはそこでようやく振り向き、二人に向き直った。
「何?」
フィオレナの目配せを受けて、ユウトは口を開いた。
「単刀直入に言うが、お前たち……まおー軍の目的はなんだ?」
ユウトが気になっている事のひとつは、まおー軍という存在についてだった。まおー軍は大陸で最も力のある組織で、基本的には大陸の治安維持のために活動をしているようだ。だが、その目的がいまいち読み取れないのだ。支配、あるいは、正義――? そのどちらも感じられない。
その彼らが、異世界人から来た自分たちのことを把握し、詳細な情報を持っている。
「……んー、目的、か」
ユウトの問いに、ルティスは答えを探すように思案した。
「殺人事件の解決にしては、そのやり方がずいぶん回りくどかったんじゃないか」
「それは、誰かさんにも言われたな」
そんなぼやきの意味をとりかねて、ユウトは眉をひそめる。
「でも……それが必要だった」
「必要、ですか?」
フィオレナも訊き返した。ルティスは頷いて、頭の上のウサギのような生き物を手のひらに載せた。
「ポルックスは、現実に向き合うのをやめた。兄のカストルが死んだことも、自分が人を殺している本当の理由からも……目を逸らして。過去に蓋をして、本当の気持ちにも、願いにも、何にも向き合っていなかった」
「……」
「そんな人間にいくら罰を与えても、償わせることはできない」
「……そうか」
ルティスは続ける。
「罪ってなんだと思う?」
出し抜けな問いに、ユウトは怪訝な顔をした。
「また急に、難題だな」
「ポルックスは、いままでまおー軍として何百人もの命を救ってきた。その中で任務として、危険な魔族を殺す事もあった。なんの罪もない人を殺す……なんて表現もあるけど、罪って、なんなのかな」
ルティスは肩を竦める。
「曖昧だって思わない?」
「……だから、あれがあなたなりの断罪、なんですね」
「そうだね」
ルティスの金色の髪が、風に舞い上がる。
「自分の罪を心から思い知ったものは、罰を願う。だから罪(﹅)を犯した人に、彼らの望んだ罰を与える。……それが、あたしの《断罪》」
それは正しいのだろうか? とユウトは考える。いや――そこに、『正しさ』などはない。だからそれも正義などではなく、ルティス自身のある種のエゴなのだ。断罪……それは罪を、定める行為だ。身勝手で恣意的な、罪の裁定。それを絶対的な力を以って行うのが、《断罪のルティス》なのだろう。
「だからポルックスの場合は、彼自身が否定しなきゃいけなかった。都合のいい夢……会いたかったはずのカストルを目の前にして、カストルはもういない、って。……ポルックスは、自分自身の力で、そう否定しなきゃいけなかった。じゃなきゃ、あの《呪い》は解けない」
ユウトはしばしその言葉を吟味するように間を開けてから、首を傾けた。
「ポルックスの話に出てきた、謎の人物……あいつのことか?」
ルティスは頷く。
「ポルックスが殺したのは十五人。しかも一人目を殺した場所は、塔都だった。塔都はまおー軍のひざ元。普通、塔都でそんな無計画な殺人を起こせば、すぐに捕らえられる。――普通ならね。だけどポルックスは殺し続けた。殺し続けることができた。それは何故だと思う?」
ユウトは神妙な面持ちで答える。
「……それが、あいつのせいだっていうのか」
ルティスは街の方に視線を戻した。しばらく話を聞いていたフィオレナが、口を開いた。
「今回の事件の調査を難航させたのは……魔力の痕跡が打ち消されていた事でした。もしかして、それは……」
「うん。あれはポルックスの力じゃない。その裏にあった、何かの力。その何者が殺人の痕跡を抹消し、魔力探知では探れないようにした。こんなことができる者はそういない。相当の、おそらくかつての魔界でも随一の魔術師……つまり、魔界王軍元幹部の誰かだとしても、おかしくないほどの、ね」
――魔界王軍。その言葉に、ユウトの心臓は強く打った。それは百年前、この大陸を侵略し、人族を滅びの危機へ追い詰めた存在だ。だとすれば――、とユウトは考える。ルティスのような力のある者が、この事件の調査に来た理由も納得できる。
「おそらく《影》の存在は今この大陸で、多くの事件の引き金になっている。誰も気がつかない、そこには何もいない……でも確かに、その《影》が、人の悪感情を煽り、殺しや暴力を引き起こしている」
「今回の、ポルックスさんのように……?」
ルティスはフィオレナの呟きに小さく頷くと、ユウトに向き直った。
「目的、っていうなら……、少なくともあたしたちは今、その《影》を追っている。きみが聞きたいのは、そういう意味でいいのかな」
ルティスの問いに、ユウトは少し考えてから頷いた。ユウトが気にかかっていたのは、まおー軍という組織のもっと根本的な目的だ。しかし、先ほどのルティスの話から、まおー軍の《目的》について少しは掴めたような気がしたのだった。
……彼ら「まおー軍」は、おそらく特定の目的を持った組織ではない。ただそこに集まった各々が、己のやりたいことをやっているだけなのではないか――と、それが今のユウトの判断だった。
「……それで、この街では事件よりも、そっちの……《影》のことを調べていたのか」
「そうだね。でも結局……」
ユウトの問いに、ルティスは嘆息した。
「その存在はほとんど掴めなかった。あたしたちは魔力を感じとって人の居場所を探れるけど、《影》からはまったく魔力を感じない――魔力を隠し、魔法の痕跡をほぼ完全と言っていいほど消滅させることができるんだろうね」
「……厄介だな」
でも、とルティスは目線を上げる。
「今回……ポルックスは一度なくした現実に再び向き合ったことで、その《影》の存在を思い出した」
ユウトはポルックスの話を思い出す。墓場で声をかけてきた謎の存在……その出来事が、ポルックスが罪を犯し続けるきっかけになってしまった。フィオレナも隣で、同じことを考えているようだった。
「つまりこれで、《影》の存在は単なる憶測ではなく、少なくとも実在する何かだと分かった……」
フィオレナの言葉にルティスは小さく頷くと、ちらりとユウトの方を見た。
「……最初に伝えたよね。キミたちも危ないかもしれないって事。それはユウヤくんたちが双子だからってだけじゃない……《影》はおそらく、異世界人のきみたちに興味を持っている」
「異世界人の、俺たちに?」
ユウトとフィオレナは視線を交わす。
「ポルックスがそれまで起こしていた事件は、周期性もなく、場所もばらばらで、犯人は特定できなかった。だけど今回、ツワネールの街に留まって五日刻みの事件を起こすように仕向けたのは、……ここにキミたちがいたから。キミたちを巻き込もうとしたからだと思うよ」
二人は言葉を失い、やがてユウトは苦々しく呟いた。
「……そうか」
ルティスの言う通り、そのまま事件が起こり続けるようなら、ユウヤたちはいずれその事件の調査を始めることになっていただろう。
もしそうなら、と、ユウトは苦い真実に気づく。
――今回の事件の被害者……彼らが殺されることになってしまったのは、……俺たちがここにきたせいなのか?
「きみたちがどうするかは自由だよ。きみたちにもきみたちの目的があるだろうから。……でも、あいつはきっときみたちを放っておかないだろうね」
そして――今回のようなことが起こるかもしれない?
「もし協力してくれるなら、あたしたちもきみたちに手を貸してもいい」
ルティスはそう言って、ぱっと手のひらの中にペンダントを取り出した。
ユウトはじっとその瞳を見上げた。ルティスはしばらくその目を見返したあと、おもむろに告げた。
「……ユウトくんたちをこの世界に召喚したのが誰か、気になるでしょ」
ユウトとフィオレナは揃って息を呑んだ。
「……知っているんですか、それを」
「うん」
ルティスが口を開きかけたその時――。
「――ちょっと、ルティ~、もう行くよ」
不意に上方からそんな声がした。三人が見上げると、空には赤い髪の少年が浮かんで、ルティスを呼んでいる。
「……あれは……まおー?」
現れたのは、度々ユウトたちの前に姿を見せる、まおーと名乗る少年だった。
「なんであいつがここに……?」
ふぅ、とルティスは息をついた。
「……話の続きは、また今度ね」
これは渡しておくから。ルティスはそう言ってユウトにペンダントを手渡すと、上空の少年の方へとふわりと浮かび上がる。
「――あ、おい……」
ひらりとコートの裾をひるがえして、ルティスは飛び去ってしまった。
「……行っちゃいましたね」
ユウトはぼんやりと、飛び去る赤髪の少年の背中を見ていた。
「まおー軍、か……」
その姿はすぐに青い空の奥へと小さくなっていく。
「今の話、どう思いましたか?」
「そうだな……」
ユウトは考える。大陸のあちこちで、裏から事件を引き起こしている謎の《影》。それが異世界人である自分たちに関心を持っている以上、また巻き込まれることになるかもしれない。しかも、それとは簡単に気づけないような形で。
もしかしたらこれまでに関わって来た事件や騒動の中にも、裏にその《影》があった可能性すらあるということだ。
「……ルティスの話が本当なら、またこういうことに巻き込まれることになるかもしれないんだよな」
「そうですね……」
「なぁ、フィオレナ……」
ユウトは改めてフィオレナに向き合った。
「そいつが興味を持っているのが異世界人なら……フィオレナとテリシアをこれ以上、巻き込むのは……」
「いえ、いいんです」
フィオレナの即答に、ユウトは少し目を見開いた。
「だってもう、わたしたちは仲間じゃないですか。……皆さんを危険な目に遭わせる存在がいるなら……わたしは皆さんを守りたいんです」
「フィオレナ……」
「テリシアもきっと、同じ気持ちだと思います」
ユウトの脳裏にテリシアの姿が浮かぶ。確かにそうだ、とふっとユウトの緊張が解ける。
「そうかもな……」
「ええ。私も、テリシアも、皆さんといたいから……自分の意思でここにいるんです」
ユウトは頷いた。
「その……ありがとう。フィオレナ」
フィオレナは微笑んだ。
「先ほどの話……皆さんにも伝えますか?」
「ああ……その方がいいだろう、けど……」
ユウトの言葉は、一旦そこで行き詰る。頭に浮かぶのはユウヤの悲しそうな顔だった。この事件の原因――異世界人の自分たちが、間接的にであれその一助になってしまっていたことを、あいつが知れば……きっと。
「……ユウヤくん、のことですか?」
「ああ……」
ユウヤはいつだって誰よりも優しくて、それはそのまま繊細な傷つきやすさでもあった。どんな時でも、自分の身よりも他人を気遣って。見たことも、会ったこともない人の悲しみにすら触れて。
その心を傷つけたくないと。身勝手だとは分かっていても、そう思ってしまうのだった。
――でも。とユウトは首を振り、その感情を振り払う。
「いや、あいつはきっと……大丈夫だ。だから、皆にも話そう」
これからも雪架を探して旅を続ける以上、それはいずれ話さなければならない事だ。ユウヤは、自分が思うよりずっと強い。それなのに守ろうと思うばかりで、『信じる』ことができなかった……そのせいで、今までに何度も傷つけてきたのだ。
……きっと、あの二人が……ポルックスが、そうであったように。
だから、これからはもっと信じよう。ユウトはそう決めたのだった。
フィオレナも頷いた。
「このことを話せば……みんな、傷つくと思います。それでも、きっと受け止めてくれるはずです。……ただ、それは今すぐじゃなくてもいいんじゃないでしょうか。……いろいろあったばかりですから」
「ああ……そうだな」
せめて今、ひと時の間だけでも、心が休めるような、穏やかな夜が一日でも続いてほしい……それは本心だった。
「ユウトくんも」
と、フィオレナはユウトの顔を覗き込んだ。編んで垂らした髪が揺れる。
「あまり抱え込んじゃだめですよ? みんなで、相談しましょう」
「あ、ああ……」
ね? と首を傾けて微笑んだフィオレナに、ユウトはなんと返すべきか迷って、曖昧に頷いた。
「さて。そろそろ戻りましょうか。皆さんのところへ」
フィオレナはそう言うと、街の遠景を見やった。
ツワネールの街は、昨夜、危機に瀕したことがまるで夢か幻であったかのように、変わらずに穏やかな砂風に吹かれている。
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