第9話
日暮れが、迫っている。
薄っすらと白い曇り空を見上げて、フィオレナは考えていた。
この事件の《嘘》とは……一体何のことなのだろう。
犯人がどちらなのか、誰なのか……せめて、それをはっきりさせる方法はないのだろうか。
「……ユウヤくんたち、大丈夫かな?」
「ええ……そうだといいですが」
テリシアとフィオレナは、日が暮れるのをタイムリミットに、カストルの姿を探し、聞き込みを続けた。けれど、手がかりは依然として掴めないまま、夜が訪れようとしている。
「そろそろ、移動する?」
フィオレナはそうですね……と呟く。
カストルを探すのは諦め、事件の起こる可能性をマークしてある家へ移動したほうが良い時間帯だった。
二人は大通りを歩く。
「もし、犯人が来たら……ガツンとやってやろうね!」
「もちろんです。……でも、あまり無茶しちゃだめですよ?」
「う、うん! 気をつけるっ!」
フィオレナは考えながら歩き続ける。ポルックスとカストル……この、四日間の調査……。そして、二か月前の事件……。ふと、通りの横の家を眺めた。窓ガラスに、自分の顔がぼんやり映っている。
「……?」
ふとその時、フィオレナの中にある考えがひらめいた。思わず足を止めたフィオレナに気がついて、テリシアも戻ってくる。
「……どうしたの?」
「……すみません、ちょっと確認したいことができました」
「え?」
「今からキールくんの家に行きましょう」
「キールくんって……ルークくんの弟の?」
ええ、とフィオレナは真剣な顔で頷くと、説明も惜しいのか通りを駆け出す。テリシアも慌てて後ろを追った。
☆
ユウヤとユウト、ポルックスの三人は、古い家を出て、少しずつ日の暮れていくツワネールの街を歩いていた。
「……さて、それじゃあ、ここからは段取りの通りだね」
ポルックスは呟き、交差点で立ち止まった。周囲には、他に誰もいない。
「ああ……」
「そうだね」
今夜、ユウヤたちは自警団と共に連携して、事件の起こる可能性のある家を張り込むことになっていた。犯人が見つからなかった以上、今夜起こるかもしれない殺人を、防がなければならない。
双子の《兄》として犯人に狙われるかもしれないユウヤは、ルティスと行動を共にすることになっていた。ルティスの傍にいれば、誰も手出しはできない。そしてユウトはポルックスと、テリシアはフィオレナと、カオルはシズクと二人組になって、それぞれ街中に散り、兄弟の暮らす家を見守る段取りになっている。
結局のところ、犯人がどちらなのかを断定させることはできなかったため、ユウトはポルックスを監視する役目を負うことにもなった。仮にポルックスが犯人だったとしてもその狙いが《兄》なら、ユウトが狙われる可能性は低い。とはいえ、何が起こるかは予測できなかった。今日にあたって、ルティスに連絡を行うためのペンダントはユウトに渡されている。もしもポルックスが怪しい動きを見せれば、すぐにルティスを呼ぶことになっていた。
「じゃあユウヤくん、ルティスとの合流場所は、ここに書いてある」
とポルックスから渡された地図を、ユウヤは受け取った。
「ありがとう! ……二人とも、気を付けてね」
そして今夜……もしかしたら、カストルが現れるかもしれない。その緊張感がそれぞれのなかに張り詰めていた。
交差点で、ユウヤはユウトとポルックスと別れる。
「……ユウト、気を付けて」
「ああ」
最後にもう一度そう言って、日暮れていく街を歩く背中を、ユウトはしばらく見守っていた。
☆
「あ! いたいた、キールくん!」
一人目の被害者であったルークの家に向かっていたテリシア達は、辿り着く前に学校帰りのキールを見つけた。
「……この前の?」
と振り向く少年に駆け寄ると、二人はかがんで視線を合わせた。
「犯人、……つかまった?」
「まだだけど……もうちょっとだよ、ね!」
「ええ、もうすぐ、捕まえます」
「そっか……」
フィオレナは真剣に尋ねる。
「キールくん、ちょっと聞いてもいいですか?」
「……うん、なに?」
「その……事件の時、星が見えたと言っていましたよね?」
フィオレナの質問に、キールはこくりと頷いた。
「う、うん……」
「その星が、何色だったか、憶えていますか?」
「え……」
少年は少し思い出すように視線を斜め上に向ける。それから、小さな声で呟いた。
「……青……暗い、青」
その解答に、フィオレナは小さく息を呑む。
「……緑色では、なかったですか?」
「緑? うん……。緑じゃ、なかった。青だったよ」
キールは確かに思い出したのか、はっきりと頷いた。
「ありがとうございます、キールくん。あなたのおかげで、犯人を捕まえられるかもしれません」
「え、ほ、本当……?」
「ええ。星の事を、教えてくれてありがとうございました」
「待っててね! わたしたちが、必ず、見つけ出すから!」
そんな二人の声に、徐々にキールの顔がくしゃくしゃに歪みはじめ、やがて、少年は道の真ん中で大声で泣き出してしまった。
☆
群青に染まりゆく夕焼け空の下で、カオルとシズクは、ある家の陰に立っていた。そこは、事前に打ち合わせていた場所ではない。ユウトとポルックスの二人が張り込みに来ることになっている場所の近くだった。
「なんだか緊張するね……」
「カオル、オレから離れないで」
「う、うん……」
周囲を警戒しながら、シズクは尚も考えていた。
「ねぇシズク……なにか私に手伝えることないかな?」
そんな声に、シズクは少し不思議そうな顔をする。
「なんで?」
「シズク、まだ何か気になってるんでしょ? それをずっと考えてる」
「……そうだね」
少しの間があき、シズクはちょっと考えてから口を開いた。
「カオルがいるからだよ」
「え?」
「カオルがいるから集中できる」
シズクはカオルの瞳を振り向いた。そこに映る群青色をじっと見つめる。その時、ふっとシズクは頭の中の霧が晴れていくのを感じた。
いつか、同じ色を見た……。他の全てが取り払われ、二人で並んで歩いた街の記憶がそこに映し出される。
二カ月ほど前、塔都の風景だ。買い物をした帰り、少し遠回りをして、二人で夜道を歩いていた。その日は雨が降っていた。道端に咲いていた花の数、漂ってきた食事の匂い、すれ違った人の数、シズクはすべて思い出すことができる。
その時はほとんど注意も向けなかった意識の隅に眠る、記憶の切れ端。それを拾い上げた瞬間――ついにすべてが線を結んだ。
それは一秒にも満たない一瞬、視界の端に留めた光景だった。
墓場に立ちすくむ、ひとりの魔族の姿。降り注ぐ冷たい雨、そして――。
この事件の裏にある存在。いや、それはむしろ、ないのだった。それは無数の点を繋ぎ合わせて……その間に初めて、ぼんやりと浮かび上がる、《影》。
「……この事件の犯人は、ポルックスだ、って話したよね」
カオルは頷く。一日目の時点でシズクから既に、その予想は聞いていた。だが、ルティスほどの人物がそれに気がつかないはずがない。――むしろ……ポルックスが事件の犯人だと分かっていたからこそ、ルティスはポルックスと組んだのではないか、と……そしてその上で、それを伏せてユウヤたちに協力を頼んできた。それにきっと意味があると、シズクはそう考えていたのだ。
だから、あえてそのことをユウヤたちにも黙っていることにした。そしてルティスは言った。《嘘に付き合ってあげて》。
シズクは続ける。
「……だけど、目的が分からなかった。この事件を起こすのは、ポルックス以外ありえない。だけどポルックスには、こんな事件を起こす理由なんてないんだから」
「うん。……分かったの?」
シズクは考え込んだ。最後にもう一度、全てを確かめる。やがて、シズクは、そうだね……と呟いた。
「……分かった」
「――え? 本当に⁉」
それからシズクは厳しい目つきで周囲を見回した。
「ポルックスとユウトくんが来ない」
「確かに、遅いね。そろそろ時間なのに……」
もしかして、と呟くカオルの顔から、さっと血の気が引いた。
「行こう、二人を探さなきゃ」
そう呟いたシズクに腕を引かれるまま、カオルは駆けだした。
☆
「きっと、これまで……泣けなかったんでしょうね」
「そうだね……」
二人がキールが泣き止むのを待って家まで送り届けた頃には、日は暮れかかっていた。
「……ずいぶん遅くなってしまいました。行きましょう」
「うん!」
と二人は駆け足ぎみに通りを引き返す。そしてテリシアが、満を持したように口を開いた。
「つまり、キールくんが見た星の色って……」
フィオレナは頷く。
「はい、おそらくその星は、窓の外ではなく……部屋の中にいた犯人の瞳に、月の光が反射して映ったものだったんじゃないか、って思ったんです」
おそらく、その時……廊下で立ち止まった犯人が、キールの部屋を覗き込んでいたのだろう。窓の外を見上げたキールは、そこに月の光を反射して光った瞳を、星と勘違いした。――これが、フィオレナの考えだった。
「そ、そういうことだったんだ……!」
「もし、カストルが犯人なら――、その色は緑色だったはず……でも、それが暗い青だというなら……」
テリシアはポルックスの目を思い出した。群青の瞳に、星がきらめく……。
「――それなら、この事件の本当の犯人は……」
「少なくとも、ルークくんを殺したのはポルックスさんです。……テリシア、このことをユウトくんに伝えに行ってくれますか?」
「え、いいけど……それじゃ、フィオレナは?」
「カオルさんたちのところへ行ってきます」
「一人で大丈夫……⁉」
フィオレナは頷いて、少し心配そうな顔をした。
「……むしろ、危険なのはテリシアの方です。……ポルックスさんに、近づくことになりますから」
「あ、そっか……、うん、大丈夫!」
テリシアは、思い切って頷いた。
「ユウトくんもいるしね、――任せて!」
二人は交差点で足を止め、フィオレナは地図をテリシアに渡す。
「ポルックスさんとユウトくんたちは、この辺りを張り込むことになっていたと思います」
「うん、あっちだね! 気を付けてね、フィオレナ……」
「ええ、テリシアも。私もカオルさんたちと合流したら、すぐに行きます」
フィオレナは一歩引くと、手のひらをテリシアに向けた。
「――レスキュア・シード」
ふわりと白い花びらのような光が、テリシアの身を包んで、透明になって消える。
「……ちょっとしたおまじないです」
「あ、ありがとう……!」
「それでは、またあとで」
「うん!」
フィオレナは小さく微笑んで、テリシアに背を向けて駆け出した。
闇の中に、その背中はすぐに溶けていく。
「よし! ……わたしも行かなきゃ!」
☆
ユウトは暮れなずむ暗い空の下を、ポルックスと並んで歩いていた。
――気を付けて、と、別れ際のユウヤの顔がよぎる。
通りには街の自警団の者たちがあわただしく行き来している。ユウトはその様子をうかがい、この状況で誰にも気づかれずに民家を襲うことは難しいだろうとぼんやり考える。だが、二件目の事件は街中で起きた。油断はできない。
黙って歩きながら、ここ数日のことと、事件の事を考えていた。
どこか、腑に落ちない。なにかが、ずっと引っかかっている。
――双子の兄弟…………。
ユウトは胸中で呟く。ポルックスと、カストル。
どう思う、とユウヤに尋ねた時の事を思い返していた。
『こんなお兄ちゃんでいいのかなって思うことはあるけど……』
ポルックスたちの話を聞いて、ユウトは思わずにはいられなかった。――『俺たちに似ている』と。
元の世界にいた頃。ユウトは成績もクラスで一番で、運動もよくできた。テストや運動会、ピアノのコンクールで一番をとるたびに、ユウトはすごいなぁ、とユウヤは嬉しそうな顔で笑う。
ユウトは常に努力し続けた。テストが近くなれば毎日遅くまで勉強したし、トレーニングも欠かさずに続けていた。人はみな口々に褒める。ユウトくんはすごいね、どうしてそんなに頑張れるの? 私にはむりだなぁ――と。
きっかけは、日々の些細な事だったのかもしれない。
いつもそばに、兄のユウヤがいた。並んで歩く帰り道、しょっちゅう転んで、膝をすりむいては泣いて。持って帰ってくるのは赤点のテスト。鬼ごっこはいつもすぐにつかまって。料理を失敗して焦げたキッチン。部屋に置き忘れた運動着……。
それでも、いつでも、どうしようもないほど優しくて。
『ユウトはぼくが守るからね! ぼくがお兄ちゃんだから!』
なんて、泥だらけの顔で手を引いて。
――だから、俺が守らなきゃって思ったんだ。
ユウヤは何もできなくていい。俺が全部、できるようになるから。
心のどこかで、そんな風に思っていた頃があった。
それは間違っていたと、あの日々を経て……今なら痛いほど知っている。
ふと、ユウトはこの事件に覚えていた違和感の正体を捉える。
なぜ、殺されるのは弟ではなく――兄でなければならなかった?
「……そういうことか」
……兄が兄を、殺すのではなく。
弟が兄を殺すのだとしたら?
「……何? ユウトくん」
ポルックスは、ゆっくりと振り向いた。
曇天の下、人気のない裏通りが、徐々に闇に呑まれていく。
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