第8話
ポルックスが二人を連れて行ったのは、西地区の端の方にある、さびれた一角だった。そこには窮屈そうに家が立ち並び、ポルックスはその中の小さな家の前で足を止める。
「ここ、ボクらが昔住んでた家なんだよね」
「へぇ……ここが?」
「親もずっと前に死んだからね、だれも住んでない。一応今もボクの家ってことになってるけど、あんまり帰ることもないから」
ポルックスはそう言って扉を開けた。古びた机と椅子が並んだ、一室に三人は入る。あちこちはほこりをかぶっており、近頃人が足を踏み入れた形跡はない。
「うーん、カストルがここに帰ってきてる、ってわけじゃなさそうだね……」
テリシアたちがおばあさんから聞いたという話を思い出しながら、ユウヤは呟いた。
「そうみたいだね。まあ、一応調べてみようか……」
言いながら部屋を見渡したポルックスは、ふとため息を吐いて呟いた。
「……カストルはボクに会いたくないのかもしれないなぁ」
「そ、そんなことないよ!」
ユウヤは咄嗟に少し力を込めて言うが、すぐに肩を丸めた。
「そんなこと、ない……と思う」
「そうかな? でも現に、カストルはボクに会いに来てくれないんだよ」
ポルックスはそう肩をすくめると奥に続く部屋に入っていき、ユウヤは困ったようにユウトを見やる。
「……とりあえず、少し調べてみるか」
「うん、そうだね」
ユウヤたちは部屋を見回す。ユウトは一応、メガネを外して部屋の中をくまなく見てみるが、住人が去ってから時間が経っているせいか、特別何かが見えることはなかった。
「特になにもなさそうだ……なんの痕跡もない」
「うーん、おれも特に何も聞こえないなぁ」
とユウヤはイヤホンを外したまま首を傾げる。
「じゃあやっぱり、カストルはここには戻ってないのかな」
「だとすれば、街のどこかに潜んでいるのか?」
「でも、街の宿に泊まっているお客さんの中には見つからなかったって、テリシアたちが言ってたよね」
「だな……」
うーん、と二人はしばし考え込む。ユウヤはふと、ちらりと部屋の奥へ目を向けた。
「……ポルックスは向こうの部屋かな?」
「ああ、行ってみるか」
二人は頷きあうと居間を横切って、奥の部屋を覗き込んだ。
「ポルックス……?」
そこは寝室で、二つのベッドが並んでいる。その奥の、小さなキャビネットの前にポルックスは立っていた。
「……それ、腕輪?」
ユウヤの問いかけに、ポルックスは振り向く。
「そうだよ。――ボクも同じものを持っているんだけどね」
とポルックスは左腕を見せた。そこには確かに同じ腕輪が嵌められている。
「塔都にいた頃……。カストルが家を出ていったとき、置いていったんだ」
「……塔都にいた頃、ってことは……」
とユウヤは、昨日遺跡でポルックスから聞いた話を思い出す。
「魔法学校に通ってた頃?」
「いや……そっか、昨日は時間がなかったから、途中までしか話してなかったっけ」
とポルックスは腕輪を日の光にかざす。
「……ねぇポルックス、良かったら続き、聞かせてくれない?」
ユウヤの声に、ポルックスは少し迷うように視線を揺らす。
「そんな時間があるかな?」
それを隠すように軽い調子で言ったポルックスに、ユウヤは笑いかける。
「うん。もっと知りたいんだ、二人のこと。嫌じゃなければ、聞かせてよ」
ポルックスは視線を避けるように目を逸らした。
「……じゃあ、話そうか」
その声に宿る迷いと痛みが、ユウヤの耳に確かに届く。
★
二人は塔都に引っ越して、魔法学校に入学した。
地方の小さな学校では教わることのない高度な魔法の教育は、二人の力をみるみる伸ばすことになった。塔都の魔法学校には様々な魔族や人族が入り乱れ、双方の差別意識はほとんどない。だが、その中でも混血は珍しく、二人はなかなか周囲の学生にはなじめなかった。
そんな場所で魔法を学んで数か月が経った頃……二人の成績に、徐々に差がつき始める。
「お兄ちゃん! 今回も一番だったよ!」
とテストの結果を知らせるポルックスに、カストルは微笑む。
「すごいな、ポルは」
「やった!」
カストルの言葉に満面の笑みで喜んで見せたポルックスは、「あ。そうだ」とふと思い出したようにカストルに話しかけた。
「ねぇねぇ……カストル。先生から、飛び級の試験を受けないかって言われたんだ」
「へぇ、そうなのか? すごいじゃないか」
「……でもさぁ、そしたらお兄ちゃんと違うクラスになっちゃうし……卒業の時期も、ズレちゃうんだよね……。ボク、それやだなあ」
カストルは少し考えてから、ポル、と弟に向き直る。
「ポルはすごい。この魔法学校の生徒で、一番すごいのはポルだよ。きっと沢山のひとを助けられる魔法使いになる」
何度もカストルが繰り返し言うことだった。そう言われると、カストルが自分の事を誇りに思ってくれていることが分かって、ポルックスも嬉しくなる。
「……ほんと?」
「ああ。そしたら、おれも嬉しい、それに……」
と優しく微笑んだカストルは続ける。
「おれも頑張るよ、ポルと一緒に人を助けられるように」
「うん! じゃあ、一緒に……」
と頷きかけたポルックスの言葉がしぼんでいく。
「……でも、やっぱりお兄ちゃんと違う教室になるの、やだな……」
「家では一緒にいられるだろ?」
「……うん、そうだけど」
カストルはポルックスの目をまっすぐに見つめた。
「離れていても、ずっと一緒だ。そうじゃないのか?」
「うん……」
ポルックスは煮え切らない態度だったが、最終的にはカストルの言葉に頷き、飛び級の試験を受けることにした。
それから一年が経ち、二年が経ち……ポルックスは、魔法学校の五年間の過程を三年で修了し、学校を卒業することになる。
☆
「そんな感じで魔法学校を卒業して、まおー軍に誘われたんだ」
「へぇ、そうだったんだ」
三人は居間に戻って、少し綺麗にした机を囲んで話をしていた。
「最初はただの、赤い髪の男の子だと思ったんだけどね~」
「……赤い髪?」
とユウトは呟く。
「そう。卒業式の帰り道……声をかけられたんだよ。まおー軍に入らない? ってね。まおー軍のことは良く知らなかったけど、ツワネールの自警団みたいなものかなって思ってた」
「それで、まおー軍に入ることにしたんだ」
「そうだね」
少し遠い目をして、ポルックスは話し続けようとした。その言葉が途中で詰まる。
この先を、話したくないのだろうと、ユウヤは感じ取る。
そして、同時に、話したがってもいる、と……。
「……それで?」
と尋ねると、ポルックスの瞳が揺れた。
★
ポルックスがまおー軍に入ることを決めたのは、兄のカストルがその誘いを喜んでくれたからだった。
ただし……「お兄ちゃんも一緒だからね!」という約束をとりつけて。
カストルが魔法学校を卒業するまでの二年間は、ポルックスは一人でまおー軍の一員として戦った。
まおー軍が引き受ける任務は多岐にわたる。大陸中から寄せられるありとあらゆる事件を解決し、人族と相容れない魔族たちと戦い、危険な魔物を討伐する。家を離れることも多くなり、学校に通い続けるカストルと過ごす時間は減っていく一方だった。
――やっぱり、飛び級なんてしなければよかったな。
とズレた二年間を待つ間、ポルックスは何度も何度も思った。
でもそれも、二年の我慢だ。学校を卒業したカストルと一緒に、まおー軍として、今度こそずっと一緒にいられる。
それに、戦って誰かの役に立つたび、カストルは褒めてくれる。カストルが喜んでくれる。
ただそれだけが嬉しくて、ポルックスは戦い続けた。
☆
その話の行き着く先の一部を既に知っているユウヤたちは、話の途中でふと立ち上がるポルックスを黙って目で追う。
「カストルに褒めてもらうのが好きだったんだよね。……馬鹿みたいだけど」
「そんなことないよ。カストルって、すごく良いお兄さんだね」
ユウヤの言葉に、そうだよ、とポルックスは頷いた。
机を離れて窓の傍に立ったポルックスは、腕輪を眺めている。
金色の腕輪が曇り空の薄っすらとした光を鈍く反射した。
「……それで、二年が経って、カストルもまおー軍に入ることになったんだ」
★
「――カストルっ……‼」
騒ぐ森の中、ポルックスは駆け寄る。カストルは木の下でうずくまって、その下に黒々と血だまりができている。
「ポル……、悪い、足、ひっぱったな……」
「そ、そんなこと、どうでもいいよっ! 待って、いま、治癒魔法を……」
二人の背後には、巨大な蛇が横たわっている。この森で活性化している大蛇の一匹だ。人々の暮らす街を襲う前に、討伐するための任務だった。
「あ……あ、血が……」
蛇の毒が、治癒を妨げる。目の前が真っ暗になって、かるくパニックに陥りかけたポルックスの肩を、カストルが掴む。
「大丈夫、だ……落ち着け、ポル」
「で、で――でも……お、お兄ちゃんっ……!」
「蛇毒の……解毒剤を持ってる。腰に……」
と苦し気に呟くカストルの言う通り、腰のあたりを見てみると、そこには筒が下げてある。
「こ、これ……⁉」
「そうだ、傷に……それを塗ってくれ」
「わかった……し、死なないで、お兄ちゃん、お願い……」
ぼろぼろと涙をこぼすポルックスに、カストルはふっと笑いかける。
「大丈夫だ。お前を置いていったりしない」
「――っ、ごめん、ボクのせいでこんな……」
「違う、ポルじゃない、おれのせいだ……」
☆
「ボクだったら一撃で倒せるような敵に、カストルが殺されかけてた……。まさか、そんなことになるなんて、少しも思ってなかった……本当に馬鹿だね、ボクは……それでやっと気づいたんだ。……このままじゃ、一緒にいられないって」
いつの間にか……二人の魔法や戦闘の能力には、どうやっても埋められないほどの、歴然とした差がついていた。
★
幸い、解毒剤が効いたカストルは一命をとりとめた。
しかしそれ以来、ポルックスはカストルの反対を聞き入れず、引き受ける任務の危険度を大幅に下げることにした。
元いたチームで仕事をすることもなくなったし、危険な目にあうこともなくなった。日々繰り返すのは単純な、街中の事件の調査や、素材の収集。簡単な魔物の討伐や狩猟。
ポルックスは当然、魔法学校やこれまでの任務で培った能力を持て余すことになる。
けれどポルックスはそれでも良いと思っていた。むしろ、カストルといられる日々に、子供のころのような幸福を感じていた。
「……ただいま! お兄ちゃん」
買い物を済ませて、帰って来たポルックスは、部屋を見回す。
「……あれ?」
中には誰もいない。机の上には、ギルド発行の情報誌が開きっぱなしになっていた。そこには、大陸のどこかで活性化した魔物が街を滅ぼした記事が載っている。
「お兄ちゃん……?」
その不在に、一気にポルックスを不安が襲った。暗い森の中、血だまりと今にも途切れそうな細い息がフラッシュバックする。
「――お、お兄ちゃん……っ⁉」
荷物を取り落として、外へ駆け出ようとした時、振り向いた玄関でカストルとぶつかりそうになった。
「帰ってたのか、ポル」
とカストルが驚いた顔をしたのは、ポルックスの顔が真っ青だったからだろう。
「あ、お、お兄ちゃん……よ、良かった」
「ちょっと歩いてただけだ、どうした?」
「う、ううん、なんでもない」
ポルックスは荷物を拾い上げて、紙袋から野菜を取り出した。手が震える。冷たい汗を拭いながら、ポルックスはカストルと共に黙って夕食の支度をする。
「……なぁ、ポル」
ふと、魔法で暖めた鍋をかき混ぜながら、カストルは呟いた。
「……なに?」
「おれさ……」
ポルックスの、戸棚から皿を出す手が止まる。
「軍を抜けて、しばらく一人で旅に出ようかと思う」
「え……?」
滑り落ちた皿を、カストルが魔法で空中にとどめた。
「旅? なんで……? そ、それなら、ボクも一緒に行くよ!」
「いや、……一人で行こうと思ってるんだ」
「……な、なんで?」
皿のことなど頭から消え去って、ポルックスはカストルを振り向く。
「……けどそんなに、長くってつもりじゃない。ポルは少しの間、おれがいなくても大丈夫だろ? 一人でだって、戦える。おれも色々勉強してさ、もっと戦えるようになりたい、それで……」
「ま、待ってよお兄ちゃん……なんで?」
愕然として、ポルックスはまくしたてる。
「べつに、このままでいいじゃん……ボクがなんでもするよ、お兄ちゃんができないことも、ボクが代わりにするし……ボ、ボクがお兄ちゃんを守るし……っ!」
焦りから言葉がもつれていくのは、それを聞いているカストルの表情が悲しげだったからだ。
――なんでそんな顔するの? いつもみたいに笑ってよ、ポルはすごいなって、そう言ってよ。
カストルは静かに口を開いた。
「ポル、お前はおれがいなければ、もっと人の力になれるはずだ。沢山の人を救えるはずだ……おれは……その邪魔をしてる」
「そ、そんな……」
言葉が詰まる。沢山の人を、世界を。――ポルックスは思い返す。カストルは誰にでも、どんな人にでも優しい。ポルックスたちは、魔族の血を引いているから、普通の人よりも魔法の才能があった。その力を、誰かを守るために力を使うべきだと言って、たしかにこれまで、多くの人を助けてきた。ポルックスだって、自分にはないカストルのその優しさが、強さが好きだった。
だけど――。
今までずっと、押し殺して来た気持ちが、ついに弾けるのを、止められなかった。
――知らない誰かのことが、漠然とした世界が……、今隣にいる、ボクより大事なの?
「そんなの……」
「……聞いてくれポル、おれはしばらく一人で旅をして、もっと戦えるようになって、それでいつか――」
「なんで⁉」
気がつけばポルックスは、カストルの言葉をはねのけてそう叫んでいた。
「なんで、そんなこというの? 一緒にいてよ! ずっと一緒に居るって、約束したじゃん‼」
「ポル……」
カストルが伸ばした手を、ポルックスは振り払う。衝撃で手が当たった皿が壁にぶつかり、悲鳴のような音を立てて粉々に砕け散る。
「もう知らない! 勝手にすればいいじゃん!」
ポルックスは泣きながら部屋を飛び出した。
「待て、ポル……!」
最後にそんな、呼ぶ声が聞こえて。
それが二人の、別れになった。
☆
「それ以来……カストルには会ってない。もう、それも三年前だよ」
ポルックスはそう話し終えると、腕輪を机の上に置いた。
「カストルはこれを置いて、家を出ていった……それから、もう帰ってこなかったんだ」
「そっか……」
「まぁ、今思えば……」
と少しポルックスは声色を明るくしたが、表情は暗いままだ。
「……カストルは、優しかったから……ボクのせいだよね」
ポルックスは肩をすくめる。
「毎日、大陸のあちこちで沢山の事件が起こってる。ほら、今回だってそうだ。だから、カストルは、耐えられなかったんだと思う。ボクがカストルに合わせて、人々のために力を使わなかったから……」
「……でも、ポルックスはカストルと一緒にいたかったんだよね」
ユウヤの呟きに、ポルックスはふっと笑った。
「そのはずなのに、気づいたらボクの傍にカストルはいなくなってた」
沈黙が下り、それからポルックスは呟く。
「後悔してるんだ。……あの時、ボクはカストルの言おうとしたことをちゃんと聞かなかった。そのせいでカストルが何を言おうとしてたのか、あの時ボクのことをどう思ってたのか、今でもよくわからないよ……」
「そっか……」
再び部屋を静寂が満たした。しばらくして、さて、とポルックスは気分を入れ替えるように明るく言った。
「暗い話を聞かせちゃったね。ごめん」
「ううん! 聞かせてくれてありがとう」
それじゃあ、とポルックスは扉の方を見やった。
「そろそろ行こうか。時間もないしね」
「……そうだな」
ユウヤとユウトは立ち上がり、玄関へ向かうポルックスについていく。
最後に、ちらりと室内を振り向いたユウヤは、ふと立ち止まった。
「――?」
ひとり部屋の中に引き返し、机の前に戻る。
金色の腕輪……ユウヤはそれを手に取った。
あちこちから眺めてみる。精巧な星の細工がされており、傾けると窓から差し込む光にきらめいた。
『――ポル』
その時、ユウヤの耳に声が聞こえた。
「え?」
と呟いたユウヤの声が、部屋に小さく響く。
『ポル、お前なら、……おれがいなくても、大丈夫だから。――これからも、ずっと一緒だから』
優しい、どこか悲しげな声が、その腕輪から聞こえる。
『だから……どうか、哀しまないで』
痛いほどの声が、響いて、消えた。
ユウヤの頬を涙が滑り落ちて、机の上に滴った。
「……ユウヤ?」
背後から問いかけるユウトの声に、はっとユウヤは我に返ると、目を瞬かせる。
「あ、あれ……」
そこで自分が泣いていることに気づいたユウヤは頬をごしごし擦った。
「どうかしたのか?」
「う、ううん! なんでもない!」
涙を拭いてから、腕輪をそっと机に置く。
「……ごめん、行こっか!」
「ああ……」
不思議そうなユウトに笑いかけ、ユウヤは今度こそ部屋に背を向けると、ポルックスの家を後にした。
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