第6話

 砂漠の果てへと太陽が沈み、街には夜が訪れる。

 砂をまとう風の吹きすさぶ高台で、ルティスは街を見下ろしていた。

 その傍らに、ひらりと赤髪の少年が下りてくる。

「どうかなルティ。順調?」

「んー……まぁね」

 ルティスはあくびをして、「……眠い」と呟いた。

「だろうねー。にしても、ずいぶん回りくどいことするよね」

「そうかもね」

 ルティスは感情の見えない瞳で街を見下ろす。

「でも、にはが必要」

 まおーは苦笑した。

「ま、それはそうかもだけど。な~んか……ルティのそういうとこ、よくわかんないんだよね」

「……あたしはただ、罰を与えるだけ」

 ルティスは風に髪をなびかせて、そう言った。

「それに……その呪いを解けばきっと、《影》の尻尾もつかめる」

「《影》、ねぇ」

 あまり興味もなさそうに、少年は繰り返した。


  ☆


 ユウトは宿屋の三階、開け放した廊下の窓から外を見ていた。

 考えるのはやはり、ポルックスとカストルのことだ。

 二十五日は、明日に迫っている。

 ――カストルがこの事件の犯人だとしても、その足取りも、犯行の理由も、まったくつかめないことが問題だった。

 そして、それだけではない、ユウトは何か、心のどこかに引っかかりを覚えている。

「……あ! いたいた」

 そんな声に廊下を振り返ると、ユウヤが階段を昇って来たところだった。浴場から戻ってきたところらしく、髪がまだ少し濡れている。

「なんだ?」

「え? あ、べつに用事があるわけじゃないけど。ユウトがいないなーって思って」

 先ほども食堂で六人で集まり、情報を共有したところだった。今日の遺跡での出来事や、ポルックスとカストルの話。

「……街を見てたんだ」

 ユウトは窓の外へと視線を戻す。

「街?」

「色々、見えるからな」

 ユウヤはユウトの隣に寄って、並んで窓の外を眺めた。

「あ、分かるかも。おれも夜の音が好きだな~。たまに風に乗って、どっかの家から子守歌が聞こえきたりして」

「……そんなものまで聞こえるのか」

「そうなんだよね~」

 ユウヤは窓枠に腕を乗せる。

「ユウトにはどんなものが見えてるのか、いつも気になってるんだよね。一度でいいから、おれも同じものを見てみたいなぁ」

 それを言えば、ユウトも同じように、ユウヤにはどんな音が聞こえているのか気になっているのだった。そんなことを思いながら、ユウトは外へ目をやる。

「……光だ。街は……いや、世界は光に満ちてる。この世界の魔力は……生命力みたいなものだろう、それは光になってこの世界を満たしている。目には見えなくても」

「そっか、きっと、綺麗なんだろうなぁ」

 綺麗、と思ったことはあまりなかったことに気づく。けれどユウヤにそんな風に言われると、確かに綺麗だとそう思えてくるのが不思議だった。

「……ねぇユウト。やっぱり心配?」

 そう訊かれて、ユウトは「いや……」と呟きかけて少し考え、それから素直に頷いた。

「……そうだな」

「えへへ、なんか、珍しいな。ユウトがそんな素直なの」

「……悪いか?」

「ううん! そうじゃなくて……」

 ユウヤはむしろどこか嬉しげだった。

「ユウトはいっつも、おれが不安なとき、大丈夫だって言ってくれるでしょ? ユウトだって、不安なはずなのにさ。――だからさ、おれもユウトが不安なとき、大丈夫だよって言いたい!」

「……そうか」

 他の人が見てもそう気づかないほど、微かな笑みを浮かべるユウトの横顔に、ユウトは苦笑する。

「って言っても……おれ、なんにもできないし。それじゃ、ユウトは安心できないよね、ごめん」

「いや……」

 ユウトは少し考え、そうでもない、と呟こうとしたが、それより前に声を上げたのはユウヤだった。

「そうだ! 久しぶりに、練習しない?」

「え?」

「ほら、最近、色々あって、あんまりできてなかったでしょ?」

 ユウヤが言っているのは、近頃旅をしながら二人が進めている、魔法の練習のことだと気づく。

「ああ……確かにな」

「少し、気晴らしくらいにはなるかなって」

 ふっと息をつき、ユウトは頷いた。

「そうだな」


  ☆


 二人は宿の近くの開けた場所に立って、静かに体内の魔力の循環を感じていた。

 空には薄く雲がかかり、柔らかな月光が雲を透かして降り注いでいる。

 ユウトは、塔都にいた頃、フィオレナに聞いた話を思い出していた。――《融合魔法》。複数人が各々の扱う魔力を融合させれば、ひとつの魔法を行使することができるのだ。これからの旅へ向けて、ユウヤ達は以前からその融合魔法の練習をしていた。

 融合魔法の特徴は、二人がひとつの魔法を使うことにある。二人が別々の魔法を使って連携するような技術とは根本的に異なるものであり、繊細な魔法の扱いと術者同士の高度な同調が必要で、難易度も高くその使い手はあまり多くはない。

 二人はあと一歩のところまで来ていたが、まだその魔法を完成させたことは一度もなかった。

「それじゃあ、いくよ、ユウト」

「わかった」

 意識を集中させた二人の周りに、ぼんやりと光が集まり始める。

 それはゆっくりと欠けた円のような形を作り始める――が、それは明らかな形を作るよりも前に不安定に揺れて、夜の闇に溶けだしてしまった。

 そして、二人の集中の糸も切れる。

「――はぁ、だめかあ」

 ユウヤはため息をついて肩を落とした。

「ごめん、ユウト。おれがうまくできてないんだよね……」

 ふっと力を抜いて、ユウトは今の魔法の失敗の原因に思いを巡らせる。

 ユウヤは魔法の腕はいいが、たいていが直感だった。融合魔法は互いに協力して魔法を組み上げるため、理屈で理解し、分担しなければならない部分があるのだ。

「いや……もう少しだと思う。また練習しよう」

「うん、そうだね!」

 その時――頷いたユウヤの背後で電光がひらめくのが、ユウトの目に映った。

「ん? どうしたのユウト?」

 息を呑んだユウトの視線を追ってユウヤも振り返る。ちょうど二人の視線の先で、もう一度、雷のような青白い光がひらめいた。音はせず、空に雨雲があるわけでもない。

「――なに? 今の……」

 呆気にとられたユウヤの横で、ユウトははじかれたように駆けだす。

「ユウト⁉」

「おまえはここにいろ。ルティスに連絡してくれ」

「え……待って、おれも行く!」

 ユウヤは足を滑らせかけながら、ペンダントを取り出すと、街路へ飛び出していくユウトの後を追った。


  ☆


「カストルは、本当にこの街にいるんでしょうか?」

 宿屋の一室で、フィオレナはマグカップを机に置きながら呟いた。

「……でも、今日カストルを見たって教えてくれた人は、昔から二人のことをよく知っているんだよね?」

 カオルの言う通り……ケーキ屋のおばあさんは、彼らのことを幼少期から知っているらしい。ポルックスをカストルと見間違えた、というようなことはないはずだった。

「そうですね……」

「それならやっぱり、カストルはこの街にいる、ってことなのかも……」

 フィオレナは考える。ルティスが言っていたという、《嘘》……。

 あの人の目的は、一体何なのだろう……とフィオレナは暗い窓の外へ目を向けた。


  ☆


 夜更けに、弓のように欠けた月が昇ってくる。

 息を切らした二人が立っているのは、街のはずれの遺跡だった。

「……なんでついてきた?」

「ユウトを一人で行かせられないよ、だって――」

 息一つ乱していないユウトの隣で、全速力で駆けてきたユウヤは息を整えながら、言葉を途切れさせる。

 そして遺跡の影から現れた人影に、二人は身構えた。

 砂風が吹き荒れる。

 薄い月明かりに照らされているのは、ポルックスによく似た鮮やかなオレンジの髪に、黒い角――エメラルドグリーンの瞳。星が揺れている。

「――き、きみは、カストル……?」

 ユウヤは息苦しさも忘れて、あっけにとられたように呟いた。それに答えるように一瞥をくれる視線に対し、ユウトは剣に手をかけた。

「ああ、そうだ」

 風が吹くような、優しい声色だった。

 ポケットに手を突っ込んで、服の裾は風に揺れている。ユウトは慎重にその姿を観察するが、殺意は感じられない。

 だが、相手は、この数週間で三人を殺した犯人かもしれない……。

 戦えるだろうか?

 ルティスが来るまでの、ほんの時間稼ぎでいい。ユウヤを守るように、一歩踏み出す。

「おまえたち、事件のことを調べてるんだろ」

「そ、そうだけど……」

 カストルは二人の方へ歩み寄ってきた。

 ユウトは身構え、剣の柄を握りしめる。

「どうやら、おれが犯人ってことになってるらしいな」

 ユウトは慎重に頷いた。

「……そうだ。現場に残されていた、魔力の痕跡を見た」

 メガネに触れて、その姿を見る。

 纏う魔力は、やはりポルックスと同じだった。つまり、殺人現場に残された痕跡とも……。

 しかしユウトはそれでも、腑に落ちない。

 一か八か……とユウトは口を開いた。

「だが……おまえは犯人じゃないんだろう」

 ユウトの声に、ユウヤは驚いた眼で振り向く。

「……どういうこと?」

 ユウトは答えず、カストルから目を離さない。その視線の先で、カストルは少し顎を上げて目を細める。

「他に誰が殺せる? 魔力を偽装でもしたって? それは無理だろうな」

「――お前にはわかってるんじゃないのか?」

 カストルはふっと笑った。

「おれじゃないとしたら、当然、……あと一人しかいないだろう」

「え……じゃあ……」

「この事件を起こしたのは、ポルックスだ」

 カストルはそう言い、身をひるがえす。

「どっちを信じるかは、――お前たち次第だけどな」

 言葉を失った二人の前から、カストルは頽れた柱の奥へと姿を消した。

「あ――ま、待って……!」

 と追いかけるが、既にその姿はどこにも見当たらなかった。


  ☆


「ふぅん、じゃあ、そのカストルはポルックスが犯人だって言ったんだ」

 その直後、ほぼ入れ替わるようにしてやってきたルティスに、二人は事情を話していた。

「っていうかユウトは……カストルは犯人じゃないって思ってたの?」

 気になっていた様子でユウヤは尋ねるが、ユウトは「いや、……」とかぶりを振った。

「確信があったわけじゃない、ただ……可能性は二つあるはずだ、とは思っていた」

 現場に残されていた魔力の痕跡は、ポルックスのそれとよく似ていた。それを自分ではないと否定したのは、ポルックス自身だ。似た魔力を身に宿す、双子のポルックスとカストル……カストルが実在していたとしても、依然として可能性は二つから絞り切れない。ユウトはそう考えていた。

「まあでも、確かに言われてみれば、そうだよね……」

 とユウヤは首をひねった。

 そんな様子を見ていたルティスも頷く。

「まあそうだろうね」

 それから砂漠の地平線へと視線を向けて、ルティスは二人に問いかける。

「キミたちは、どっちが本当の犯人だと思う?」

 二人は答えようとして、黙り込む。今はまだ、それに対する答えは持ち合わせていなかった。

 ルティスはふっと視線を戻すと、二人を見下ろした。

「さて、カストルには逃げられたし……今日は戻ろうか」

「あ、そ、そうだね……!」

 身をひるがえすルティスを、ユウヤたちは追いかける。

 彼らの背中を押すように、砂漠の向こうから風が吹いていた。

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