第5話
次の日の朝……。
既に、次の事件が起こるかもしれない二十五日は、明日に迫っていた。
カオルとシズクは、街の北側にある図書館に訪れていた。昨日、モリに教えてもらったように、図書館の資料室には別の地域の新聞記事も保管されていた。
シズクは過去の新聞をめくりながら、次々と目を通していく。しばらくして、その目はある一枚のニュース記事で止まった。
その時、近づいてくる足音が耳に届いて、シズクは顔を上げる。
「……シズクさん……」
机のそばにやって来たのは、フィオレナだった。
「どうしても確認したいことがあって」
頷いたシズクの手元に開かれている新聞を見て、フィオレナの瞳は真剣になった。
「……私も、同じ事が気になっていたんです」
「うん。フィオレナなら、憶えているだろうと思ってた」
フィオレナは頷いて、その新聞に視線を落とす。
「二か月前、塔都で起きた事件……はい、よく憶えています」
フィオレナはその新聞記事の文字に目を走らせた。
「左腕という言葉にも、聞き覚えがあったんです。それに……。やっぱり、そうですよね、それなら……」
シズクは頷いた。
「昨日の話を聞いて、私の記憶違いかと思ったんです」
「……ううん。これは、事実だよ。つまり……」
シズクはゆっくりと言った。
「ポルックスは、嘘をついてる」
「嘘……」
それで、とシズクは、思い出すように目線を上げた。
「ルティスに……『嘘に付き合ってあげて』、って言われたんだ」
フィオレナは首を傾げた。
「それは、どういう……?」
「さぁ」
シズクは肩をすくめた。
「――あれ? フィオレナ?」
遠くからそんな小声が聞こえて、二人はそちらの方へ顔を向ける。本棚の向こうから、資料をかかえたカオルが顔を出していた。
「カオルさん。実は私も、調べたいことがあって」
「テリシアとは一緒じゃないの?」
カオルは机の近くまでやってくると、尋ねながら資料を置いた。
「テリシアはルティスさんと一緒に街で聞き込みをしています。私も調べ終わったらすぐに戻るつもりですけれど」
「はい、これ」
シズクは横から新聞を差し出した。
「もう、いいんですか?」
「うん。見たから」
「あ……そうですよね」
ありがとうございます、とフィオレナは受け取った。シズクは一度見たものを忘れることがないので、本や新聞もさっと目を通すだけで、いつでも記憶の中から呼び起こすことができる。
シズクが今しがたカオルの運んできた資料を開き始める横で、フィオレナは真剣な表情で記事に目を通していた。
☆
事件の犯人は、ポルックスの双子の兄である、カストルかもしれない――。そんな手がかりを得たユウヤたちの次の目標は、カストルを探し出す事だった。
ユウヤとユウトは街の中心に伸びる大通りを歩きながら、周囲の様子をうかがっていた。今日もポルックスに会うことになっている。その待ち合わせの時間まで、二人は街を歩いてカストルを探してみることにした。
ユウヤは耳を澄まし、変わった音が聞こえないか探る。ユウトは昨日見たのと同じ魔力の残滓を捉えられないかと、目を凝らしていた。
砂漠の方からは、たえず砂風が吹いてくる。それが音をかき消して、ユウヤはため息を吐いた。
「だめだなぁ……何も手がかりになりそうにないよ。ユウトは?」
「……俺もだ。特に何も見えそうにない」
ユウヤは歩きながら、一枚の紙を取り出した。それはポルックスから渡されたもので、描かれているのは、カストルの似顔絵だ。オレンジ色の髪に、一対の黒い角。ポルックスとよく似た姿をしている。瞳の色だけ異なっていて、鮮やかなエメラルドグリーンだった。
「この人が……三人も殺したのかな……」
「どうだろうな、見つけて、聞いてみないと分からないだろ」
「まぁ、そうだよね」
待ち合わせ場所はもうすぐだった。二人が並んで歩いていたその時……ユウヤはハッと顔を上げ、「――危ない!」と叫んでユウトの背中を押した。
「――ッ⁉」
よろけながら振り向いたユウトの視線の先……身をすくめたユウヤの頭上で、植木鉢が浮かんでいた。
「……あれ?」
とユウヤは恐る恐る見上げた。植木鉢はふわふわとそこに漂っている。
「危なかったね〜、二人とも」
その声に二人が振り向くと、道の反対側にポルックスが立っていた。ふっと彼が指を振ると、植木鉢は空を舞い上がって二階の窓際に収まる。
「あ、ありがとう……」
「ユウヤ、今……」
上から植木鉢が落ちてくる音にいち早く気がついたユウヤが、ユウトの背を押したのだろう。ポルックスが魔法でそれを止めなければ、今頃その植木鉢はユウヤの頭上に落ちていたはずだ。そこまで考えたユウトは、ぐっと拳を握り締める。
「……ご、ごめん、急に押したりして! 大丈夫?」
「いや、そうじゃなくて……」
ユウトは何か言いたげな様子から口をつぐみ、ポルックスの方へ向き直った。
「……おかげで助かった」
「いやいや。まったく。この街は風が強いんだから、植木鉢なんか置くもんじゃないよ」
そう言ってあきれたようにポルックスは植木鉢をさらに窓際の奥へ押しやった。
「さて、今日はカストルを探すのを手伝ってくれるかな?」
「もちろん! ――とは言っても、どうやって探せばいいかな」
「うーん……」
ポルックスは何かいい案がないものかと少し考え込んで、やがて諦めたように肩をすくめた。
「地道に聞き込みする以外、なさそうだね」
☆
ツワネールの街路を、屋根の縁で羽を休める鴉がじっと見下ろしている。
既に街には殺人事件の噂が広がっていて、人々は警戒しているのか、街の人通りは普段より少ない。自警団たちの姿が目立っていた。
「こんな感じの魔族を見かけませんでしたかー?」
テリシアはそんな風に一日中、ツワネールを歩き回って、道行く人々に聞いて回っていた。
「いやぁ、みてないねぇ」
「そうですか……ありがとうございますっ!」
テリシアはぺこりと頭を下げて、宿屋を出た。通りの真ん中にルティスが佇んでいる。
ただぼんやりしているだけなのか、それとも何かを探っているのか……と、テリシアはその姿に少し見入ってしまう。
ルティスは口数の多い方ではなく、いつも眠たげにしている。あまりにのんびりとした雰囲気に、テリシアはその人がまおー軍の幹部であることも忘れそうになるのだった。
「……はっ!」
少しぼーっとしていたことに気づいて、我に返ったテリシアはルティスの方へ歩みよる。
「なかなか、手がかりは見つからないですね〜っ!」
と元気の良い声が響くが、ルティスは微動だにせず、数秒経ってもなんの返事もしない。
「あ、あの〜……」
テリシアはそわそわとルティスの周りを回り始める。
「あ、あの、あのあの〜……」
ぐるぐると三周まわって、途方に暮れそうになった時、ルティスはようやくちらりとテリシアに視線を向けた。
「あのっ‼」
「テリシア……なにしてるの」
「わっ⁉」
目の回ったテリシアが転びかけ、ルティスはその腕を掴んで引っ張り上げた。
「……あたし、ちょっと行ってくる」
「え? ど、どこへですか⁉」
「……またね」
ルティスはそう言うやいなや、ふわりと浮かんで屋根を越え、すぐに見えなくなってしまった。
「な、なにかあったのかなぁ……?」
若干ふらつきながら見送るテリシアの耳が、ぴこっと揺れた。
「あ! フィオレナ!」
フィオレナの足音を聞きつけて、テリシアは道の先へ駆け寄っていく。そこでつまづきかけたテリシアを受け止めて、フィオレナはくすりと笑った。
「大丈夫ですか? テリシア」
「うん! ちょっと目が回ってただけ!」
「目が回ってた……?」
と不思議そうなフィオレナに、テリシアも尋ねる。
「どうだった? 調べたいこと、わかった?」
「はい。でも……あまり手がかりは得られませんでした」
「そうだったんだ、残念……」
それからフィオレナは、きょろきょろと周囲を探した。
「ルティスさんは、いないんですか?」
「それがね、今さっき、どっか飛んでっちゃったんだ」
「どこかへ……?」
「うーん、どこ行っちゃったのかなぁ。……まあ、わたしたちは聞き込みを続けよっか!」
「はい……ええ、そうですね」
☆
テリシアとフィオレナは、並んで歩きながら、道行く人にカストルの似顔絵を見せて回った。
「この人を探してるんですけどっ!」
ほとんどの人は首を横に振るだけだ。描かれているのが似顔絵が魔族だと分かると、怪訝な顔をする人も少なくはない。
そんな風にして、徐々に町の中心から西側へ移動しつつあった頃。
「――すみません、この人知りませんか?」
道端で休んでいた腰の曲がった老女に尋ねると、おお、とその人は声を上げた。
「カストルじゃぁないか。懐かしいねぇ、この子がどうかしたかね?」
「え、知ってるの⁉」
思いがけない反応に、テリシアは身を乗り出す。
「あぁよく知っとるよぉ、双子のポルックスとカストル……人族と魔族の混血でのぉ……、昔、よくうちの店に来とったからなぁ……」
「うちの店って……?」
「ケーキ屋じゃよ。二人ともフランが好きでなぁ、よく買いに来とったよ」
二人は顔を見合わせる。
「詳しく、聞かせてもらえますか?」
皺だらけの顔に笑みを浮かべ、何度も頷いた。
「小さいころから、二人はずっと仲良しでねぇ。けどなぁ……。魔族の血を濃く引いてたもんだから、しょっちゅう虐められて可哀想じゃったよ……でも魔法の才能があって、立派んなってねぇ……」
それを聞いて、つまり……とフィオレナは続ける。
「ポルックスとカストルは、この街で生まれ育ったんですか?」
「あぁ、そうじゃよお……といっても、塔都の魔法学校に行ってからは……、それから最近までずっと帰ってこなかったけどなぁ」
「最近まで……?」
ずい、とテリシアは顔を近づけて質問を重ねる。
「最近、カストルを見かけたんですか?」
老女はにこやかな表情のまま首を縦に振った。
「つい何日か前、偶然会ってねぇ、帰って来たんだって言っとったねぇ。まおー軍はもう辞めたからって……ポルックスも今、街に戻ってきてるんじゃろ、久しぶりに会いたいねぇ……」
「カストルさんが……」
フィオレナが小さく呟く横で、テリシアはぐっと顔を近づけた。
「……あの、わたしたちカストルさんを探しているんです! どこに行けば会えるかな⁉」
「うーんそうじゃねぇ……」
腰をさすりながら、皺を一層深める。
「昔二人が住んでいた家に戻っとるんじゃあないかと思ったが……家の場所は知らんがねぇ……それか、遺跡か……」
「遺跡?」
老女はそうそう、と頷く。
「この街の北西のはずれ、砂漠の方だねぇ。旧い建物の残骸があってねぇ。そういえば子供の頃、二人がよく遊んでた場所だった……。この間は、その近くで会ったもんだからねぇ」
「……そうですか! ありがとう! すっごく助かりました!」
とテリシアは老女の手を取ってぱっと笑顔を見せる。
「会えるといいねぇ、ほら、最近物騒じゃろう……カストルも双子の兄ちゃんだ、何かないといいけどねぇ」
そんな呟きに、二人は顔を見合わせた。
☆
ユウヤ達は、街のはずれに訪れていた。そこは周囲に家もまばらで、広い空き地のようになっている。ポルックスが見上げるのは、建物の残骸だ。
崩れたアーチや、壁の瓦礫が風に吹かれて、静かにたたずんでいる。
「……ここは、遺跡?」
「うん、多分ね。ボクも詳しいことは知らないけど」
聞き込みでは大した情報は得られなかった三人だが、ふとポルックスは街の外れに立ち寄ろうと提案したのだった。
西の方に目を向ければ、砂漠の地平線が見渡せる。空の青と砂の黄のコントラストに、ユウヤは目を細める。その境界は揺らめいていた。
「どうしてここへ?」
「なんとなくだよ。ちょっと休憩。……実はさ、カストルとはよくここに来てたんだ。ま、随分昔の話だけど」
へぇ……、と、ふと思い立ってユウヤはイヤホンを外した。風にまぎれて、歌うようなざわめきが耳に届く。
『――お兄ちゃん!』
「え?」
子供の、無邪気な声。ユウヤは目を瞬かせる。声は重なり、反響し、ほとんどは聞き取れない。笑い声、話し声。
『……今日、学校でね……』
『大丈夫、おれが――』
『見て! 新しく使えるようになった魔法!』
『ねぇ、なんでお兄ちゃんは……』
『――ポルは、すごいな』
ユウヤはその声が止むまで、立ち尽くしていた。
「……ユウト、今……」
「ああ、どうした?」
耳を澄ますユウヤの様子を見守っていたユウトが尋ねる。
「聞こえた……二人の子供の声。多分、この遺跡が……憶えていたんだね」
「……どういうこと?」
振り向いたポルックスの顔が、なぜかひどく傷ついているように見えて、ユウヤはそれ以上話すことをためらった。
その時、足音が近づいてくるのに気がついてユウヤは振り向いた。
「……あれ? ユウヤくんたちだ!」
遠くからそんな声が聞こえる。
「テリシアとフィオレナ?」
道の方から駆け寄ってくるテリシアに、ユウヤたちは顔を見合わせる。
「ユウヤくんたちも聞いたの? この近くでカストルを見かけたって」
「え⁉ そうなの?」
「あれ、違った⁉」
きょとんとした顔のテリシアの横へ、フィオレナも追いついてくる。
「さっき聞き込みしてたら、昔のポルックスを知ってる、っておばあちゃんに会ったんだ」
「昔のボクを?」
不思議そうなポルックスに、フィオレナは頷く。
「昔ケーキ屋さんをやっていたらしくて、そこによく、ポルックスさんとカストルさんが、来ていた、と言っていました」
「ケーキ屋……ああ! 確かに、昔カストルとよく行ってたよ。そうか、あの人が……」
ポルックスは少し懐かしそうに目を細めた。
「その人が、カストルは最近町に帰ってきてて、遺跡の近くで見かけた、って教えてくれたんだ」
そんな話を聞いて、ポルックスは沈黙した。ユウヤは先ほどの声について腑に落ちる。
「ってことは、……やっぱり、ポルックス達はこの街で生まれ育ったの?」
「……うん、実はそうなんだ。まあ、もうずっと昔にカストルと塔都に移って、それ以来こっちは戻ってこなかったけどね」
ポルックスは再び遺跡の方を返り見た。
「……分からないな、カストルが、何を考えているのか」
「ねぇ、ポルックス。良かったら、聞かせてくれない?」
ユウヤは少し勇気を出すように踏み出して、ポルックスにそう話しかける。
「ポルックスと、お兄さんのカストルの事……おれたちが力になれるか、……それは、分からないけど」
ポルックスはユウヤたちの方を振り向いて、どこか感情の読み取りにくい瞳を向けた。
「――そうだね」
★
二人は、魔族と人族の間に生まれた双子だった。
兄のカストルと弟のポルックス。
星の名前にあやかって名付けられた二人は、星座のようにいつも一緒にいた。
そんな二人も成長すると学校に通いはじめ、魔法を習うようになる。
二人はすぐに学校で一番の魔法の使い手になった。魔族の血を引く彼らは、人族の者たちに比べて魔力の扱いに長けていたためだった。
その一方で、二人はその変わった外見や特別な魔法の才能から、他の子どもたちにはなじめず、いじめられることも多かった。
月日は過ぎ去り、二人は街の小さな学校をそろって一番の成績で卒業した。教師たちは彼らの才能を見込んで、塔都の魔法学校にいく事を勧めるのだった。
「ねぇお兄ちゃん、どうする? 魔法学校の話」
アーチの残骸のたもとに座り込んで、ポルックスは尋ねる。
「……ポルはすごいな」
「え?」
それはカストルの口癖だった。そしていつでも、嬉しそうに微笑みながら言うのだ。だがその時ばかりは、ポルックスはその言葉の意味がよくわからなかった。
カストルは続ける。
「ポルはきっと、誰よりも強くなる。沢山の人を助けられる人になれる」
「……そうかな?」
「ああ」
ポルックスはカストルの輝くような瞳を見上げる。
「そうしたら……お兄ちゃんは嬉しい?」
いつでも優しい笑みを浮かべる兄が、好きだった。
「そうだな」
それから、カストルは続ける。
「ポル、行ってみないか、塔都の魔法学校に」
手を伸ばすカストルを見上げて。
ポルックスはいつでも胸に誓う。
――お兄ちゃんがそう望むなら、もっと強くなる。お兄ちゃんが、喜んでくれるなら、沢山の人を助けられるようになるんだ。
「――うん!」
二人はそうして、塔都の魔法学校に通うために、故郷のツワネールを出ることになった。
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