第3話

 青く晴れた空の下に、黄色い砂レンガ造りの街並みが広がっている。

 ツワネールは大陸の最西端に位置する都市で、それより西側にはいつ果てるとも知れない砂漠が地平線の彼方まで続いているだけだ。

 吹く風は乾ききり、照り付ける日差しがじりじりと砂を灼いている。

「三人目の被害者――ロアンデールは酒場の店主だったらしい。一昨日の深夜……店を閉めたあとの店内で殺されていたのを、次の日の明け方に店に来た弟のマックスが見つけたんだ」

 ユウヤとユウトは支部局を出て、ポルックスの話を聞きながら南地区を目指していた。

 つい二日前に殺されたロアンデールは、弟と二人暮らしだった。その弟――マックスに直接話を聞くために、待ち合わせ場所を目指しているところだった。

「そっか……マックスさんは、大丈夫かなぁ……。一緒に暮らしていたお兄さんが殺されちゃったんだもんね」

「そうだな……」

 ユウトはそんなユウヤの暗い顔を覗き込んだ。

「大丈夫か?」

「……うん。でも……こっちの世界に来てからほんとにいろいろあったけど、こういうのは初めてだよね、誰かが誰かに殺されて、その犯人を捜す、なんて」

「そうだな……」

 ユウトは少し考えて口を開いた。

「あまり引っ張られるな。とりあえずは自分の身を守ることが最優先だ、いいな?」

「……うん、そうだよね」

 苦笑したユウヤがふと、何か気づいたように遠くへ視線を向けた時、先導していたポルックスが立ち止まって振り向いた。

「さて、着いたよ」

 そこは、街のはずれに広がる墓地だった。砂が風に舞ってユウヤは目を細める。その視線の先、墓地の一角には人が集まっていた。風に乗って聞こえてきたのは、悲しげな笛の音色だ。それは死者を送るための旋律だった。

 三人はしばらく墓地の入り口にたたずんで、その音色を聞いていた。


 ☆


 その頃……フィオレナとテリシアは二人並んで、ツワネールの街を北に向かって歩いているところだった。

「ねぇ、フィオレナ、どうして犯人は、人を殺したのかなぁ」

「……どうしてでしょうね」

 テリシアはうーん、と首をひねった。

「うらみがあったとか?」

「そうかもしれませんが……三人の被害者同士の間にはなんのつながりもなかったようですし……」

「やっぱり、無差別、ってやつなのかな?」

「ええ……でも」

 フィオレナは地図を片手に考えていた。もしも無差別なのだとしたら……なぜ、それは全員、弟を持つ兄だったのだろう。

 もしそれが偶然ではないのだとしたら、きっとその点が手がかりになるはずだった。

 それに……なくなっていた左腕。

「何か、手がかりを見つけられるといいのですが……」

「そうだね。だって、どんな理由があっても人を殺すなんて絶対だめだよ! ね、絶対犯人、捕まえようね、フィオレナ!」

「はい、もちろんです。――あ、こっちでしょうか」

 メモを片手に十字路を曲がったフィオレナの視線の先には、二階建ての砂レンガの家がある。その正面に立って、金髪の魔族が建物を見上げていた。

「ルティスさんだ……!」

 その姿を目に留めたテリシアは、少し高揚した様子でそう呟く。

「ですね……」

「魔族って、やっぱりかっこいいよねぇ」

 ひそひそとテリシアが耳打ちする先で、ルティスがちらりと二人を振り向いた。テリシアはピシッと耳まで姿勢を正す。

「あ、こんにちは! わたしはテリシアですっ!」

「フィオレナです」

 ルティスは小さくうなずく。二人が傍までやってくると、ルティスは再び家の方を見やって口を開いた。

「この家が、今回の事件で最初に殺された子が暮らしていた家」

「えっと……確か、ルークくん……ですよね」

「そう。半月前、晴れた日の夜だった。被害者の中では最年少の十三歳……双子の弟、キールは無事だった」

「……ひどい、そんな小さい子を殺すなんて……!」

 テリシアは家の方へ悲しげな目をやった。

「話を聞かせてもらえることになってる。行こう」

 ルティスは数歩進み出ると、塀の先へ歩いて扉をノックした。

 小さな返事が聞こえ、しばらくして中から現れたのは、兄弟の母親らしい、ひとりの女性だった。疲れ切ったような表情で、目の下には眠れていないのか、深い隈ができている。

「……あたしはまおー軍のルティス。事件の調査に来た」

「ルティス様ですか……?」

 かすれた声で呟いたその女性は、玄関先で突然ルティスに縋りついた。

「お願いします、早く犯人を見つけ出してください……ルークを殺した犯人を!」

 泣き崩れるその人の傍らで、テリシアとフィオレナはそっと背中を撫でた。


 ☆


 ずっと響いていた笛の音が、消えた後もユウヤ達の耳に残っている。

「……キミがマックスかな?」

 しばらくして、葬儀が終わり徐々に人々が墓地を去る中、一人の男が最後まで、真新しい墓石の前に立っていた。

 ポルックスの声に男は振り向き、ユウヤとユウトの姿を認めて少し怪訝な顔をしたあと、ポルックスに視線を戻す。

「あんたがまおー軍の……ポルックスか」

「そうだよ。こっちはユウヤくんとユウトくん。わけあって、調査に協力してもらってるんだ」

「あ、よ、よろしくお願いしますっ!」

「ああ……」

 ユウヤがぺこりと頭を下げる横で、ポルックスはじっと、マックスのどこか青ざめた顔を見つめていた。

「……犯人は見つかったのか?」

「今も探している最中なんだ。改めて、お話を聞かせてもらいたくて」

「……そうか」

 マックスは言葉少なにその場から踏み出した。

「こっちだよ、ついてきてくれ」


 ☆


 ユウヤ達が案内されたのは、ツワネール南地区の隅にある酒場だった。

「五年前、親父が死んで、兄が店を継いだんだ」

 薄暗く、しんと静かな酒場の中。一通り事件について話した後で、マックスはぽつりとつぶやいた。

「……それからは俺も手伝って二人で店を切り盛りしてきた。まぁ……色々大変で一時期はどうなることかと思ったこともあったが、なんとかやってたよ」

 ユウトは酒場を見渡した。机や椅子、カウンターなど、どれも年季は入っているが丁寧に磨き抜かれている。

「じゃあ、二人暮らしはそれから?」

 ユウヤの問いかけに、マックスは頷いた。

「母親は随分昔に死んだ。親父が死んで、それからだから……五年になるか」

「そっか……」

「あいつは人が良くて、客みんなから好かれてた。少なくとも、他人の恨みを買うような奴じゃあなかった……」

 マックスはじっと部屋の中心へ重苦しい目線をやった。

 店内の机や椅子は壁際に片づけられていて、開けた店の中央には黒い焦げ跡が残されている。炎か光の魔法、というのがルティスの見立てだったことをユウトは思い出した。

 ポルックスはその焦げ跡に歩み寄る。

「やっぱり、魔法の痕跡は打ち消されてる……。何も感じ取れないね。だからこそ、魔力の痕跡には犯人が隠したい何かがあるはずだし、それがつかめれば大きな手掛かりになるはずなんだけど」

 ポルックスはユウヤとユウトの方を振り返った。

「二人とも、調べてみてくれる?」

「うん、分かった、やってみる!」

「ああ」

 ユウトはメガネを、ユウヤはイヤホンを外す。二人はそうすることで、普通は見たり聞いたりできない光や音を、それぞれ見聞きすることができるのだった。

 レンズを通さないユウトの視界は、様々な光が乱反射し、飛び交っている。

 その目で見ることにも、以前に比べれば幾分か慣れてきていた。普通の目では視えない、様々な魔力の流れ……。ユウトの目はそれを映し出す。

見る、ということはそもそも、目で光を認識することだ。ユウトの目は、普段は目に見えない可視光以外の光を捉え、普通の人間には見えないものを見ることができるようだった。

 焦げ跡の近くに、ユウトは目を凝らす。

 その周辺は、まるで黒い影がかかったかのように、暗くなっていることに気がつく。

「これが、魔力の痕跡を打ち消しているのか……」

 ユウトは呟き、更に目を凝らした。

 その奥に……何かが見える。薄ぼんやりと、光るそれは、魔力の痕跡だろうか。少し、青白いような……。

「……ッ」

 突然、視界が点滅して、ユウトは目を瞑った。

「ユウト、大丈夫⁉」

 気がつけば、集中しすぎてしまったらしい。酷いめまいのように光がぐるぐると周り、もうそこからは何も判別できない。ユウトは再びメガネをかけた。よろめいた身体を、ユウヤが横から支える。

「悪い、大丈夫だ」

「それなら、良いけど……」

 気を取り直して、ユウトは先ほど見えたものについて話す。

「魔力の痕跡を覆い隠すように、影のようなものが漂っていた。あんなものは初めて見たが……あれのせいで、魔力を感知できないんだろう」

「へぇ……」

 ポルックスは少し考える目で、焦げ跡を見やった。

「じゃあやっぱり、魔力の痕跡は掴めなかった?」

「いや、もう少しで何か見えそうだった。その奥にあった光……」

 ユウトは続ける。

「普通は目に見えない、光としての魔力の痕跡……犯人もそこまで完全に消すことはできなかったんだろう。だから、もう少しで……」

 と再びメガネに手をかけたユウトに、ユウヤが少し怒った顔をする。

「あんまり無理したらだめだよユウト! 今日はここまでにしよう?」

「だが……」

 ポルックスも頷いた。

「うん。ユウヤくんの言うとおりだよ。まだ時間はあるんだし。また明日、もう一度やってみてもいいんじゃないかな?」

「そうだよ!」

二人の言葉に、ユウトはしぶしぶ頷いた。

「……そうだな、悪い」

「いや、これなら十分な手がかりだよ。やっぱり、魔力の痕跡は意図的に……何らかの方法で消されている、って分かったんだから」

「そうだよ!」

 とユウヤはうんうん首を縦に振った。

「……それにおれの方こそ、何にもわからなかったし」

 そんなところでくるりとポルックスは、三人の様子を見ていたマックスの方を振り返った。

「というわけで、マックスさん。明日もう一度、ここに来て見せてもらってもいいかな?」

「ああ。明日も酒場の片づけをしてるつもりだから、いつでも来てくれ」

「ありがとう。じゃあ、今日はこれで……」

 と言いかけた時、マックスは「そうだ」と椅子から立ち上がった。

「……渡したいものがある」

 マックスは少しためらったように身動ぎしてから店の奥に行くと、カウンターの裏から何かを取り出してきた。

「あいつは……仕事一筋で、知り合いもこの店に来る常連ばかりだった。これはよく来る客のメモだよ。うちの客はこんな罪を犯すような人間じゃない。が……少しでも手がかりになるならな」

 少し苦々しい表情に、ユウトは苦難を読み取る。店の者として、客を信頼しているからこそ、少しでも疑いの目を向けるのが忍びないのだろう。

「……ありがとう。調べてみるよ」

 ポルックスがその紙束を受取ると、マックスはひらりと片手を上げた。

「俺が話せるのはこれくらいだ。兄貴が殺されるような心当たりは本当に全くない……兄貴を見つけた時のことも、さっき話した通りだ」

「お話聞かせてくれて、ありがとうございました……!」

 ぺこりと丁寧に頭を下げるユウヤに、マックスは苦笑する。

「いや、いいんだ。事件の調査、頼むよ。引き止めて悪かったな」

 そんな言葉を受けて店を出る直前、ふとユウヤは足を止めてもう一度マックスを振り向いた。

「……これからもお店、続けるんですか?」

 そんな質問をされると思っていなかったのか、マックスは少し口ごもる。

「……どうするかな。なんか気が抜けたっていうか……もうこの店を続ける理由もなくなっちまった気がするよ」

「そう、ですか……」

 ユウヤはちらりと、先に店を出ていったポルックスの方へ目を向ける。

「あのリスト……お客さんたちを大事にしてるのが伝わってきました。だからきっと……」

 そんな言葉に、マックスはふっと笑みを浮かべる。

「そうだな。……あんた達も気をつけてな」


  ☆


 徐々に太陽が空を下り、夕刻が近づく頃……ルークの家族に一通り話を聞いたフィオレナ達は、手分けして周辺を調べていた。

 テリシアとルティスは、ルークを知る近所の人達に聞き込みに行っている。フィオレナは何か痕跡や手がかりがないかと、塀に囲まれた庭を歩き、家をくるりと回り込む。

 ルークが殺されていたのは、この家の二階の子供部屋だ。フィオレナは家の横から窓を見上げた。真夜中に殺され、いつまでも下りてこないのを不思議に思って声をかけに行った母親が、ルークの死に気がついた。当時部屋の窓は開け放たれていたことから、犯人は窓から部屋に入ったのではないかと考えられていた。ルーク自身が開けたのか、閉め忘れたのか……、それは後からでは分からない。

 そんなことに思いを巡らせていると、家の前の通りから足音がした。振り向いて見れば、学校用鞄を背負った少年が門の前に立っている。

「……キールくん、ですか?」

 フィオレナの声に、少年はぴくっと肩を震わせて、鞄の紐を握る手に力を込めた。

「すみません。私たちは、その……事件の調査に来ているんです。もうすぐ、帰りますから」

 できるだけ怖がらせないようにと、フィオレナは微笑みかける。

「……犯人、見つかった?」

 零れるような小さな声が落ちる。フィオレナはゆっくり首を横に振った。

「……まだなんです。でも、大丈夫ですよ、必ず、すぐに捕まえます」

 フィオレナはキールの方に歩み寄ると、キールは消え入りそうな声で言った。

「……おにいちゃん、優しかった」

「そうだったんですね……」

 うつむいた頭をそっとなでると、キールはぐっと拳を握りしめる。

「……ぼく、あの日……不思議な星を見たんだ」

「星、ですか?」

「誰も、信じてくれないけど、でも、ぼくは……」

 少し躊躇うように視線をさまよわせるキールの目を、フィオレナは真剣な瞳で見返す。

「私が信じます。聞かせてくれませんか? そのお話」

 フィオレナがそう促すと、キールは小さく頷いて口を開いた。


  ☆


「シズク~、やっぱりここには、塔都とか他の街で起きた事件の資料はない、って……」

 支部の一室の扉を開けながら、カオルが部屋の中へ声をかける。

「……シズク?」

 シズクは窓際に立って、暮れていく日を眺めているところだった。窓ガラスにそっと触れ、少しずつ闇に呑まれていく街を見下ろしている。

 机の上に広げられた資料に、西日を遮るシズクの影が落ちていた。

「……そっか、ありがとう」

 聞こえていないかのようだったシズクは、しばらくしてそう返すと振り向いた。

「……この事件、きっとただの殺人事件じゃない」

「え?」

 カオルは一瞬きょとんと目を見開いてから、真剣な表情で部屋をよぎり、シズクに並んで窓辺に立った。

「ただの殺人事件じゃない、って……どういうこと?」

「……それは」

 シズクは少し言葉を探すように、資料を返り見た。

 カオルとシズクはその日一日中、くまなく資料を調べ、事件のことを整理しなおした。三件の殺人事件。その調査の結果、被害者の家族関係、経歴、死因、死亡時の状況……。

 また今回の事件の資料だけではなく、この街で起こった過去の事件の資料もどこからか引っ張り出してきたせいで、部屋中は資料だらけだ。

 そしてシズクは、ツワネール以外の街で起きた事件についても調べようとしたのだが、この支部にあるのは、この街の事件の資料だけだった。

 考え込んで黙ってしまったシズクの言葉を引き取って、カオルは口を開く。

「……でも、調べてみて分かったけど……殺人事件自体は、これまでもこの街でも沢山起きてる。特に西地区のスラム街は治安も悪いみたいだし……。……三人殺された事で、あのルティス……まおー軍のすごい人が、来たりするものなのかな?」

「そうだね。まおー軍の幹部は、この大陸でも最も力を持った四人」

 カオルは考える。つまり――今ルティスが訪れているこの街では、現在の大陸で四番目に入るほどの、重大な事件が起こっている?

「……みんな、大丈夫かな」

 カオルは窓の外に不安げな目を向けた。

「きっと大丈夫だよ。みんなだって強いし、ルティスもいる」

 シズクはそれから再び机に戻ると、これまでずっとそうしていたように顎に手を当てて考え込み始めた。

 振り向いたカオルはその様子をそっと眺める。シズクは既にこの事件について、何かを掴みかけているようだった。だが、何かしら納得がいかないか、確証の持てない部分があるのだろう、とカオルはこれまでずっと隣で見てきたシズクの姿から、そう考える。

 シズクはこういう時、決して適当な発言はしないのだ。曖昧さを徹底的に排除し、どこまでも明晰に手中に収めて、初めてそれを言葉にする。

「――ねえシズク、他にも役に立ちそうな資料がないか、ちょっと探してくるよ!」

 カオルはそう声をかけて、再び部屋を飛び出していった。


  ☆


 砂漠の黄昏時に、涼しげな風が闇を運んでくる。

「ロアンデールさんに、殺される理由なんてあるわけねぇよ、あんないい人で、みんなから好かれてた……」

 ユウヤたちがリストをもとに訪ね歩いた最後の家の玄関先で、ひげ面の男はやるせないといった様子で頭をかいた。

「こういう事件は魔族が犯人に違いねぇ」

 吐き捨てるような男の語調に、少しユウヤは苦笑する。

「そ、そうでしょうか……?」

「魔族ってのはな、意味もなく人を殺す悪魔連中だ! 戦争から百年経ったからって、魔族の本性が変わるわけねぇに決まってんだ。これだから、魔族は追い出しゃいいのによ!」

 勢いに気圧された様子でユウヤは後退り、ちらりとユウトのほうを見やる。

「でも……だからって魔族が犯人って決めつけるのは……」

「いや、ちゃんと証拠もある!」

 と、男はユウヤの言葉を遮って息巻いた。

「そもそもあの夜なぁ、俺ぁ見たんだよ! ロアンデールの店を出たあと、すれ違ったんだ。ここらじゃ見かけない魔族の男だよ。よく憶えてる」

「え……本当ですか?」

「詳しく教えて下さい」

 と二人の言葉に、男は大きく頷いた。

「深夜だったし、暗くてよく見えなかったがな……黒い角の魔族だった。それは間違いねえ、――」

 そこで男は険しい顔で口をつぐんだ。視線は二人の背後に向いている。

 言葉が止まったのを不思議に思ったユウヤたちが視線を追って振り向くと、別の場所で聞き込みをしていたポルックスが、二人の方に向かってくるところだった。

「……まさにちょうど、あいつにそっくりな魔族だったよ。……おまえたち、まおー軍の関係者か」

 先ほどとは打って変わって、冷たい調子に変わり、男はドアに手をかけた。

「軍に協力するつもりはねぇ。あいつらもいつかこの大陸を侵略するつもりに違いねぇからな! ……お前さんたちも軍と魔族には気をつけろ、いいか、魔族に……あいつらには人の心なんてないんだからな」

 そう言ってピシャリと扉を閉められ、二人は玄関先に取り残される。ユウヤは少し気まずそうに頬をかいた。

「……やっぱり、こういう人もいるんだね」

「ああ……」

 ユウトは苦い顔で考え込んだ。

 人族にだって罪を犯す者がいれば、そうでもない者もいる。魔族もそれと全く同じだ。悪い者ばかりではないし、百年前に魔族がこの大陸を侵略した事は事実だとしても、それを行ったのも実際は、魔族の中の一部の勢力にすぎない。

 だが現在でも魔族に対して反感を持つ人族の者は少なくない。この街にも魔族は住んでいるが、それぞれの居住地域は明確に分かたれてしまっていた。

「……もしかして、邪魔しちゃったかな?」

 と、歩いてきたポルックスに、ユウヤは「ううん」と首を振る。

「ただ、今の人……ロアンデールさんが殺された日の夜に、魔族を見かけたって言ってたんだ。その……ポルックスみたいな」

「あぁ、なるほどね」

 ポルックスは少し思案する。

「確かにこの事件の殺人は、相当な魔法の使い手じゃないとできないだろうし……魔族の可能性が高いのは、必然的だと思う」

「そ、そうだよね」

 うーん、とポルックスは首を傾げて考えながら話した。

「その魔族を探してみてもいいけど……酒場からの帰りってことは酒に酔っていただろうし、かなり暗い夜道だったはず」

「確かに、そう考えるとあまり信用度の高い情報じゃないな」

「それに」

 とポルックスは少し含みのある笑みを浮かべた。

「どうやら彼は見る目がないみたいだし」

 意味深な物言いに、ユウヤは首を傾げた。

「えっと、どういうこと?」

「ボクは実は、魔族じゃないからね」

「え⁉」

 驚いたユウヤの隣で、改めてポルックスの姿を見たユウトは、もしかして……とポルックスに尋ねる。

「混血、なのか? 人族と魔族の……」

 ご明察、とポルックスは頷いた。

「その通りだよ。とはいえ、彼みたいな人からしたら、普通の魔族より混血のほうが嫌いかもしれないけどね」

 ユウトの頭に浮かぶのはフィオレナの姿だった。彼女も人族と魔族の混血であり、それが原因で色々と危険な目に遭うこともある、と話していたのを思い出したのだった。

「やっぱりそういうものか」

「まぁ、人族が嫌いな魔族、魔族が嫌いな人族……混血はどちらからも憎まれてしまうから」

「そっか……。でもさ、そんなの関係ないのにね! 魔族だって人族だって、いい人も悪い人もいるんだから」

 ユウヤの言葉に、ポルックスも「そうだね」と苦笑し、一瞬その瞳を翳らせた。

「そう……本当にそうだよ」

 そこでポルックスは「そういえば」と話題を変える。

「例の店にも行ってきたけど、マックスは朝まで店に居たって確認が取れたよ」

「ああ、そうだったんだ」

 ポルックスの報告に、ユウヤは少し安堵の表情を浮かべた。

 マックスはその日の夜、休みを貰っていて家近くの酒場で友人と飲んでいたらしい。その友人たちにも、確認がとれた。マックスはロアンデールの発見者だが、彼が犯人であるという可能性は低いということになる。

「ユウヤくんたちの方は、他に手がかりはあった?」

「うーん、いや、他に気になる話はなかった、かなぁ……」

 ユウヤとユウトは、マックスから貰ったリストに記されている人を片っ端から訪ねていった。だが誰に聞いても、みんな口をそろえて言うだけだった。『あの人が殺される理由なんてない』――と。

「あと分かったのは……あの酒場は兄弟二人がやってることでこの辺りじゃ有名で……マックスさん達を知ってる人は結構多い、ってことくらいかなぁ」

「そうだな、ずいぶん好かれているようだった」

 ユウトも頷きながら、誰もが彼の死を深く悲しんで怒りを抱いていたことを思いだす。中には、先ほど墓地で見かけた人たちの顔もいくつかあった。

「だからやっぱり……手がかりって呼べそうなのは、さっきの話だけかな。変わった魔族を見かけた、って話」

「そうだね。……」

 ポルックスは何かを頭の中で考えるような目になって、ユウヤはうーんと首を傾げた。

「その魔族を他に見た人がいないか聞いて回ってみる?」

「いいかもしれないね。けど……」

 そこでポルックスは一旦言葉を区切る。

「今日はもう遅いし、これくらいにしておこうか」

 気づいてみればもう日が落ちて、周囲は暗くなりつつあるところだった。宿屋や支部がある町の中心の方向へ体を向けたポルックスに、ユウヤとユウトも頷いた。

「そうだね。たくさん歩いてへとへとだよ……」

「だね、それじゃあ戻ろうか」

 そうしてしばらくの間、三人は月の出ない夕闇の中を歩いた。

 ユウトは今日一日の事を振り返る。これまで五日おきに起こっている、兄殺しの連続事件。ずっと頭の隅をじりじりと焼いている不安……次に狙われるのは、ユウヤかもしれない。その時、自分は守れるのだろうか? ……今の自分に。犯人は魔族かもしれない。そうでなくても、人の命を奪う強力な魔法を使う者なのは間違いない。

 ユウヤに危険が及ぶ前に……どうにかしてこの三日の間に事件を解決させなければならない。

 ユウトがそんな風に考えながら拳を握りしめていると、ふとポルックスが二人の方を振り向いた。

「ところで二人とも随分、仲がいいんだね」

 ユウトとユウヤは一瞬顔を見合わせ、それから少し照れたように目を逸らす。

「そ、そうかなぁ?」

「別に……普通だろ」

 そんな二人にポルックスはにこりと笑いかける。

「いや、なんだか懐かしくてね。……ボクも、双子の兄がいるからさ」

「え……そうなんだ!」

 ユウヤは少し興味を持った様子でポルックスに問いかける。

「お兄さんとは、一緒に暮らしてるの?」

 いや、とポルックスは首を横に振った。

「今は……一緒にはいないんだよね」

「そっか……?」

 少し声の調子が暗くなったのに気がついて、ユウヤは様子をうかがう。それ以上特に話を続ける様子がないのを見て取ると「なら……」と口を開いた。ポルックスはユウヤの方へ顔を上げる。

「この事件、もし狙われるのが《兄》なら……絶対解決しなきゃね!」

「……」

 一瞬、息を詰まらせるようなそぶりを見せてから、ポルックスは「そうだね」と頷き、ふとユウトの方を見た。視線が交わるが、ユウトはその目線から意図を読み取れないまま、ポルックスは道の先へと目を戻してしまう。

「宿はあそこかな。じゃあ、ボクはあっちだから」

「あ……分かった! ポルックス、明日もよろしくね!」

「うん、また明日。ユウトくんもね」

「ああ……」

 ポルックスはひらりと手を振ると道を曲がって行った。その姿を見送り、ユウヤたちも宿の方へ歩き出す。

 十歩ほど進んだところで、ユウヤはぽつりと零した。

「……なんだか、ポルックス、少し悲しそうだった」

「悲しそう?」

 そんな印象を抱いてはいなかったユウトは、少し意外な気持ちで訊き返した。

「うん、お兄さんの話をしてた時のポルックス……なんていうか……」

 ユウヤは少し言いよどんだ。

「ううん、なんでもない! 気のせいかもしれないし!」

「いや、思ったことがあるなら――」

 と言いかけたちょうどその時、道の先の方で「あ!」と大きな声が響いた。

「ユウヤくんとユウトくんだ~!」

「……テリシア?」

 見れば道の先から、テリシアとフィオレナが歩いてくるところだ。ユウヤも顔をほころばせると、少し駆け足になってユウトを振り向いた。

「早く行こう、ユウト!」

「ああ……」

 駆け出していくユウヤを目で追いながら、ユウトは深く息を吸って胸の騒ぎを沈めようとする。だがその胸中では、どんどんと不吉な予感が募っていくのだった。


 ☆


「みんな、今日は調査お疲れ様っ!」

 テリシアの声が、にぎやかな食堂の喧騒にまぎれる。煌々と照明の光の満ちる店内で、ユウヤ達六人はテーブルを囲んで互いの顔を見合わせていた。

「とりあえず、みんなが無事でよかったよ!」

 とカオル。その横でシズクはぼんやりと宙を見上げて考えに耽っている。

「それでみんな、手がかりはあった?」

「うーん、おれたちは……」

 ユウヤとユウトは顔を見合わせて話し始める。

「一昨日に殺されたロアンデールさんの、弟に会ったんだ。二人で酒場を切り盛りしていたみたいで、お客さんのリストを貰ったんだけど……」

「……あの人が殺される理由なんて一つも思い当たらないって、みんな口をそろえて言ってたな。結局手がかりっていえそうなのは、一人だけ、あの日に魔族を見た、って言ってる人がいたくらいだった」

「魔族?」

 二人の話を聞いて、テリシアは首を傾げる。

「うん。ポルックスも、あれだけの攻撃魔法が扱えるなら犯人は魔族の可能性が高いって言ってたし、明日は他にも見た人がいないか聞いてみるつもりなんだ」

「確か、この街だと魔族が住んでるのは……西地区の方なんですよね?」

 フィオレナの問いかけに、カオルも頷く。

「そうだよね。となると、犯人は西地区に住んでいる魔族の可能性が高いのかな……」

「いや、犯人が街の者とは限らないからな。最近街に滞在している魔族がいないだろうか?」

 ユウトの疑問に、それなら、とテリシアが声を上げた。

「明日私たちは宿屋街を聞き込みしてみるのはどうかな? フィオレナ」

「そうですね、いいかもしれません。」

 そんな二人の方へ、今度はユウヤが問いかける。

「テリシアとフィオレナは、何かわかったことはある?」

「そうですねぇ……」

 とフィオレナは今日のことを思い返すようにしながら応じる。

「私たちはルティスさんと一緒にルークさんの家に話を聞きに行ったのですが……」

「ルークくんはお母さんと弟のキールくんと三人で暮らしてて……二人はすっごく仲良しな兄弟だったんだって。近所の人も、二人が一緒に学校に通うのを毎日見てたって言ってたよ」

「そうですね。ルークくんは魔法で殺されたようですが……不思議なほど、魔法の痕跡が感じられませんでした」

 話を聞いていたユウヤが、そこで口を挟んだ。

「ねぇフィオレナ……ポルックスも言ってたんだけどさ……魔力の痕跡、ってどういうものなの? 実はおれさ、いまいち分かってないんだよね」

 少し恥ずかしそうに頬をかくユウヤに、フィオレナはふっと微笑みかけて、フォークを置いた。

「魔法は、体内や大気、地面や水中……世界に満ちる、魔力を操ることで世界に意思を反映させる術です。そして魔法を使った後には、しばらく特有の魔力の残滓が残ります。強力な魔法ほど、はっきりと、長い時間、残滓が留まり続けるんです」

「それは、目に見えるんだっけ?」

 カオルの質問に、テリシアがひょいっと身を乗り出した。

「えっとね、ふつうは目には見えないけど、魔力の扱いが得意な人はそれを感じ取ることができて……とっても強い魔法の残滓は、光のような粒子になって目に見えることがあるよ! ……えっと、あってる?」

「ええ、その通りです。例えば、大陸の東にある《零の海》……あの場所は強力な魔法によって大地が穿たれてできた海です。あそこでは今でも、魔力の残滓が漂うのが見えますよ」

「へぇ……見てみたいなぁ!」

 と顔を輝かせたユウヤの横で、つまり……とユウトは考えを整理しながら話す。

「人を殺すほどの強力な魔法なら……その残滓は、目に見えるほどではないとしても、しばらくは残り続けるはず。それを一切感じ取れないのは、フィオレナからしても不自然、ということか?」

「ええ、そうですね。ルークくんが殺されたのはもう半月も前ですが、つい一昨日殺されたロアンデールさんについても、ルティスさんたちが魔力の残滓をつかめなかった……これはとても不自然だと思いますよ」

「なるほど……ありがとう! よくわかったよ」

 ユウヤの感謝にフィオレナは微笑みを返す。

「気になる事があればいつでも聞いてくださいね。……逆に言えば、この『魔力の痕跡がないこと』が、手がかりになるかもしれません」

「そんなことができるなら、相当すごい魔法使いってことだもんね」

 テリシアは少し悔しげだった。

「すごい魔法を、人を殺すためにつかうなんて、許せないよ……」

「……ええ、そうですね。私たちの方は、これくらいでしょうか」

 と思いを巡らせるフィオレナに、テリシアが「あ!」と声を上げる。

「そうだ! フィオレナはキールくんから気になる話を聞いたんだよねっ?」

「キールくんは……ルークくんの弟さんか」

 カオルの確認にフィオレナは頷く。

「そうです……そのキールくんが、あの日……窓の外に不思議な星を見たと言っていました」

「不思議な星?」

 フィオレナは続ける。ルークが殺された日は、よく晴れた夜だった。

 弟のキールはふと、物音を聞いた気がして夜中に目を覚ましたらしい。その時、ベッドから見上げた窓外の空に……きらりと一瞬、強く輝いた星を見たという。

「……流れ星か、何かだったのかな?」

 と話を聞き終えたユウヤは首を傾げる。

「そうかもしれませんね……事件と関係があるのかどうかは分かりませんが……」

 うーん、と一同は考え込む。仕切り直すように、ユウヤは今度はカオルとシズクの方に身体を向けた。

「カオルさんたちはどうだった? なにか分かった?」

 カオルは腕を組んで背中を背もたれに寄りかかった。

「んー……一通り、事件の情報とか、過去の事件を見てみたけど……特に犯人に繋がりそうな情報は見つからなかったんだよね」

「そっかぁ………」

 カオルの隣でシズクは何かを考えているらしく、ほとんど上の空だった。そんな様子をちらりと見ながら、カオルは続ける。

「それで、少し思ったことなんだけど。……この事件はただの殺人事件じゃないと思うんだ」

 そんな言葉に、ユウヤとユウトは息を呑み、フィオレナは何かを考えるような瞳を机に落とした。

「確かに……私もそんな気がしていました。もちろん、三人も殺されているのですから、ただ事ではありません。ですが……やはり、あのルティスがここに来た以上、この事件にはそれだけの重要性……あるいは、放っておくわけにはいかない危険性がある、ということなのではないでしょうか」

「うん、私が思ったのも、だいたいそういう感じなんだよね」

 フィオレナ達の話を踏まえて、ユウトは考える。フィオレナはこの世界で長い旅をしてきて、様々な物事に詳しい。その肌感覚はかなり信頼できるものだった。

 事件の意図、犯人の目的が分からない以上、実際は事件は終わっている可能性もあるはずだった。

 だが……。

 ユウトはちらりとユウヤの方を見やる。あるいは……四件目の事件は起こるかもしれない。いや、きっと起こる。――基本的に、物事は悪い方へ転がり落ちるものだ。

「……ってことはさ、犯人を見つけられなければ、もっと酷いことが起こるかもしれない……よね?」

 テリシアが落ち着かない様子で尻尾を揺らす。

「まだ、分からないけど……もしかしたらそうかもしれない。……だからみんな、気をつけてね、事件の解決も大事だけど……みんなが無事でいることが、一番大事なんだから!」

 カオルの言葉に、みんなで顔を見合わせると、互いに頷きあった。

 ユウヤは不安げに、傍の窓から外の街路を見やる。

 普段ならにぎわう夕食時だが、どこかいつもより静かで、張り詰めた空気が流れていた。


 ☆


 明かりのない暗い部屋の中心、テーブルに向かって座っている人影がある。

 ポルックスはまるで誰かを待つように……身動きもせずじっと組んだ手に視線を落としている。

 机の向こう側にはもう一つ椅子があるが、そこは空っぽで、誰も座っていない。

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