第31話 知らない過去!

 俺はリゼを連れて、すぐに地上に出た。

 ベンチに腰かけ、ソーマ・エレクトロニクスの大きなビルを向かい側に見つめていると、やっと心が落ち着いてきた。

 そんな俺のところに、いつの間にか自販機で飲み物を買い、リゼが走ってきた。


「エイジ様、コーヒーをどうぞ! 熱いようでしたら、僕が冷ましましょうか!」

「いや、いいよ……ありがとう」


 こういうのは俺の役目だと思うけど、今回は甘えさせてもらうか。


「どうぞこちらに、エイジ様。もしも曲者くせものが現れても、壁側なら僕が守れます。もちろんそうでなくとも、貴方様に指一本触れさせませんが!」


 それにしても、人の往来に俺を近づけさせまいとする彼女の姿は、本当に騎士っぽい。


「なんというか、本物の騎士みたいだな」

「みたい、ではありません! 僕は騎士の名家、アイレンベルク家の名誉をこの胸に秘めた、ダンジョンズ・ロアの世界に輝く正義の騎士です!」


 だけど、しゃべり方はどこか騎士っぽくない。

 深月とのやり取りを思い返しても、素行の悪い子が、無理して敬語を使ってるって印象だ。

 しかも騎士のしゃべり方は、映画や漫画から知識を仕入れた様子だな。


「……そのアイレンベルク家と俺が、どこで出会ったんだ?」


 さて、コーヒーをベンチの端に置いて、俺はリゼに聞いた。


「エイジ様、本当にすべてを、忘れてしまったのですか?」

「少し前に分かったことだけど、俺の中には父さんと過ごした記憶がほとんどないんだ。それを取り戻すために、ダンジョンズ・ロアのゲームに挑んでるんだよ」


 俺の中から失われた記憶は、期間や場所、出来事には一貫性がない。

 あるのはただ、父さんと過ごした日々がぽっかり消えてるという事実だけだ。


「ということは、お父上とドイツでお過ごしになったことも……」

「多分な。だから、リゼに話を聞かせてほしいんだ」

「分かりました。ではまず、僕の自己紹介からですね」


 深く頷いてから、リゼは言った。


「改めまして、僕はリーゼロッテ・アイレンベルク。ドイツのドルトムント出身、年齢は16歳。両親はパン屋を営んでいますが、立派な騎士の家系です」

「ほうほう」

「身長は164センチ、体重は52キロ、スリーサイズは上から97――」

「いやいや、いいから、言わなくていいから!」


 いきなりスリーサイズまで申告し始めたところで、俺は慌てて彼女の話を遮った。

 勘弁してくれ、まだ人が行き来してるような時間帯なんだから。

 

「騎士として、主君に隠し事はできません! ご安心ください、体重のほとんどは筋肉ですし、このように見事に割れています!」

「見せなくてもいいから!」


 おまけに、シャツをめくって腹を見せようとするじゃないか。

 パンツルックが似合ってるとか、なるほど確かにバキバキの腹筋だとか、言いたいことは山ほどあるけど、脱線しちゃあ元も子もない。

 騎士というより、じゃじゃ馬を相手にしてる気分だよ。

……97という数字の魅力と、たゆんと揺れる胸の誘惑に負けなかったのは偉いぞ、俺。


「そ、それよりも! 俺とドイツで出会ったときの話を、聞かせてくれ!」


 もう一度本題に入ると、リゼはすん、と落ち着いた様子で座り込んだ。


「……エイジ様は、僕を助けてくれた、命の恩人です」


 エメラルド色の瞳に映るのは、俺の顔だ。


「幼い僕が川でおぼれた時、何の恐れもなく川に飛び込み、僕を流木から助けてくれました。瑛士様はその時、枝がお腹をかすめて、病院に運ばれたのです」


 視線が俺の腹部に移った時、俺はハッとした。

 わずかに自分の服をめくりあげてみると、そこには肌が変色するほどの傷がある。


「お腹って、まさか、この傷か?」

「間違いありません! エイジ様はこれほどまでに大きな傷を負われても、僕を手放さず、見事川岸まで泳いでみせたのです!」


 リゼは目を輝かせ、俺の前で笑ってみせた。

 俺はというと、てっきり、この傷は武術の特訓でついたものだと思ってた。

 ここまで指摘してくれたのなら、もう疑う余地はない。

 記憶があろうとなかろうと、俺はドイツに行って、リゼを助けたんだ。


「あの時、僕は心に誓いました! がくもなく、未熟なクソガキだった己を捨て、エイジ様という素晴らしい主君に仕える騎士になると!」

「じゃあ、冒険者になったのも、シュタルドラッヘを装着してるのも?」

「はい! エイジ様に会う一番早い手段だと、ケイシーに聞きましたので! シュタルドラッヘはテスト運用中で、日本に来る直前に手に入れました!」


 たった一度の出来事を心に留めて、俺のところまで来てくれた。

 遠い、遠いドイツから、何年もかけて日本に来てくれた。


「エイジ様――未熟者ですが、僕をおそばに置いてくださいね」


 ぎゅっと俺の手を握ったリゼの覚悟と勇気は、どれほどのものだろうか。

 さっきまでは俺の騎士だ、なんて言われてもにわかに信じられなかったが、今は妙な信頼感すら芽生え始めてる。


「……うん」


 俺が小さく笑うと、リゼは太陽のような笑顔で応えてくれた。

 こうしてみると懐いてくれる後輩ができたみたいで、なんだか悪い気はしないな。


「俺とリゼに何があったのかは分かった。じゃあ、今度は俺の父さんについて聞いてもいいか?」

「構いませんが、お父上とはあまり話す機会がありませんでしたので……」

「いいんだ。リゼが知ってる範囲で、父さんのことを知りたいから――」


 父さんがドイツにいた理由も聞きたいけど、リゼともっと話したい。

 そんな風に思いながら、俺は何気なく、ソーマ・エレクトロニクスのビルを見上げた。






 ――いた。

 ――4階の窓に、深月がべったりと張り付いてこっちを見ているんだ。


 ひゅ、と喉の奥から変な声が漏れる。

 そしてすぐに、深月の口が動いた。


『えいじ』


『うわき』


『だめ』


 あんなに遠いところにいるのに、何と言ったのか、本能的に察しがついた。

 恐らくこれから、深月がものすごい速さで階段を下りて、俺のところに来るとも。

 そして俺に――とんでもない恐怖と災厄が降りかかるとも。


「ごめん! 用事を思い出したから、今日は帰る!」


 とっさに立ち上がり、俺はその場を離れた。


「え、エイジ様!?」

「父さんについてはまた今度聞かせてくれ、近いうち会いに行くから、あと深月と会っても変なこと言わないですぐに逃げろよ、じゃあなーっ!」


 手を振りはするが、後ろはちっとも振り返らず、俺は人目も構わず駆けてゆく。

 ケイシーさんもいるし、リゼと深月が激突することはないはずだ、きっと。


「お待ちください、エイジ様! 僕は貴方の家に――」


 リゼは何かを言っていたけど、すぐに聞こえなくなった。


 深月は、キレたら超怖い。

 なんであそこまでキレてるのかはさっぱりでも、俺はとにかく家まで走っていった。

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