第30話 リーゼロッテ!

 ほとんど反射的に、俺は美少女から飛び退いた。

 唇にはまだ、彼女のほんのりとした熱と匂いが残ってる。


「な、ちょ、今の、おい……!?」


 心臓から頭の先まで熱く感じる俺のそばで、深月は固まり、ロボットみたいに震えてる。


「け、けけ、ケイシーさん。あいつ、した、瑛士とした」

「そうね、キスしちゃったわね☆」


 この状況で平然としてるのは、ケイシーさんと謎の美少女だけだ。


「随分と情熱的なのね、リーゼロッテちゃん!」

「失礼な。今のは主君との誓いを立てる儀式です、ケイシー」


 しかも金色の髪をなびかせる少女は、なぜか「やりきった」なんて表情をしてるんだ。

 主君とか、忠誠とか、もうわけが分からない。


「あの、何で……?」

「我がアイレンベルク家に伝わる、忠誠の誓いです! 最初に出会った、僕を助けてくれたあの時から、再びお目見えした時には貴方の騎士になると心に決めていました!」


 話を聞けば理解できるかと思ったけど、余計に頭がこんがらがるばかりだ。

 しかも彼女は、俺に仕える騎士だなんて言ってるじゃないか。

 これじゃあまるで、ファンタジー漫画でしか見たことのない、運命の出会いの再現だ――しかもこっちは、彼女に出会った記憶もないんだから。


「で、出会ったって……ええと……」

「リーゼロッテ・アイレンベルクです! 覚えていないのですか、エイジ様?」


 キラキラと瞳を輝かせるリーゼロッテの言葉に、嘘はなさそうだ。


「覚えてるも何も、俺と君は初対面だろ?」

「まさか!」

「俺を知ってるのも、ダンジョンズ・ロアの配信を見たから?」

「いいえ、もっと前からです! 貴方がドイツに来た時から、ずっと!」


 俺がドイツに行った、しかもリーゼロッテと過去に会っていた。

 もしかすると、父さんに関する記憶と同じで、俺の中から消えた記憶の一部だろうか。


「……ごめん。俺、すっかり忘れてるみたいだ」

「……そう、ですか」


 俺が正直に話すと、リーゼロッテは少しだけ寂しそうな顔を見せた。

 なんだかややこしい雰囲気だし、早めに話を切り上げた方がいいはずだ。


「仕方ありません……貴方がお父上とドイツに滞在されたのは、もうずっと前ですから」


 なんて俺の考えは、彼女のつぶやきで一気に吹き飛んだ。


「父さんと!?」

「はい、テルナオさんと一緒に、アドヴァンスド・アーマーの研究でベルリンの方に。その途中、ドルトムントで、エイジ様と僕は運命的な出会いを果たしたのです」

「俺と父さんが、ドイツに……」


 どれだけ記憶を手繰たぐり寄せても出てこない、父さんと俺の過去。

 もしかすると、彼女は俺も知らない、父さんの秘密を知ってるかもしれない。


「リーゼロッテ、だっけ? その話、詳しく聞かせてもらってもいいか?」

「もちろんです! エイジ様と僕との出会いを、名演劇のごとく語りましょう!」

「ふ、普通に話してくれればいいから……」


 わずかな期待と山ほどの不安を胸に、俺はリーゼロッテに話を聞こうとした。

 ところが、まったくそれはかなわなかった。


「ねえ、いつまで瑛士のそばにいるつもりなの?」


 俺とリーゼロッテの間に、深月が割って入ってきたからだ。

 しかも、彼女はドイツから来た女騎士を、親の仇のごとく睨んでる。

 これだけイライラしてる深月を見たのは、俺が幼稚園の頃、同じクラスの女の子に「おままごとのお父さん役」を指名された時以来だ。

 あの時は確か……威圧感だけで、深月が女の子を泣かせてたな。


「私が誰か、説明しておいた方がいい? 瑛士の幼馴染で恋人、伴侶はんりょで妻で運命の相手、赤い糸で結ばれたエターナルラヴァー、蒼馬深月とは私のこと」

「初耳だぞ」

「私がもらうはずだったファーストキスを、あなたは奪ったの。その罪は重いよ」


 俺のツッコミを無視して、深月はずい、とリーゼロッテに迫る。

 すさまじい眼力だけど、彼女はまるで意に介しちゃいないみたいだ。


「蒼馬深月……もちろん、のことも知っています」

「てめぇ?」


 ちょっとだけ口が悪くなったのは、気になったけども。

 いや、ともすればこっちの方が本来のリーゼロッテらしい雰囲気だな。


「あのソーマ・エレクトロニクスの令嬢にしてシルバーランクの冒険者、最注目のルーキー。ですが、エイジ様には恋人も、妻もいねーはずですが?」

「外国にはまだ、情報が伝わってないんだね。私と瑛士が結ばれる運命にあるのは、日本のダンジョン業界では常識だから」

「それも初耳だぞ」


 もう一度俺がツッコむと、今度はリーゼロッテの方が何かに納得したみたいだ。


「うーむ、確かにインタビューでべらべらしゃべっていましたが……なるほど!」

「やっと理解できた? 私と瑛士の関係性を――」

「エイジ様の伴侶を名乗る、ミツキというなりのギャグなのですね!」

「お“ッ」


 ヤバい、深月が美少女から出しちゃいけない声を出してる。

 ついでに美少女がしちゃいけない顔してるぞ、半分白目になってるじゃねえか。

 間違いなく、確実に、深月は俺が今まで見たことがないくらいブチギレてる。

 それこそ、ここにいると俺も彼女も、どうなるか分からないほどに。


「と、とにかく! リーゼロッテ、場所を変えて話そうか!」

「リゼとお呼びください、エイジ様!」

「よし、分かった、リゼ! ケイシーさん、深月を頼みます!」

「オッケー☆」


 半ばやけくそ気味にリゼの手を掴み、俺は部屋を出てゆく。

 後ろでケイシーさんが深月をどうにかしてくれてるんだろうが、振り返って深月の顔を見られるほど、俺に勇気はない。


「離して、ケイシーさん。蒼馬家秘伝腕ひしぎ十字固めでらせる」

「はいはい、どうどう☆」


 おまけに後ろからは、あいつのめちゃくちゃ怖い声が聞こえてくるじゃねえか。


「エイジ様、面白いごをお持ちなのですね!」

「幼馴染で婚約者。やっぱりだめ、蒼馬家秘伝ジャーマンスープレックスで理解らせる」


 挙句の果てに、リゼの発言が火に油を注いでやがる。

 彼女に悪意はないんだろう。

 それが余計に、深月をヒートアップさせてるとも知らず。


「とりあえず外に出るまで、何も言わないでくれ!」


 もう、何も考えられなかった。

 とにかくソーマ・エレクトロニクス社から出たい――ただ一心で、俺は廊下を歩いた。

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