第19話 海の一族の姫

険しい山道を進むアークたち。旅の初日は順調だったものの、山々を抜けるにはまだ日数が必要だ。風は徐々に冷たくなり、標高の高さを肌で感じる。


ノームは先頭で、時折岩や木の根をかわしながら地面を器用に掘り進んでいる。ノームがつくる小さな道しるべが、険しい山道の中で一行の安全を確保していた。


「ノームのおかげでだいぶ楽に進めているな。」アークは重い足取りを進めながら、前方の小さな案内人を見て感心するように言った。


フレイアは彼の言葉に頷きつつも、険しい表情を崩さない。「山道では油断するな。どこで魔王軍が襲ってくるか分からない。」


アークは少し肩をすくめた。「分かってるさ。でも、ここまで来たらそろそろ海が見えてもいい頃じゃないか?」


「簡単にはいかないさ。」フレイアは鋭く言った。「海への道は長い。それに、精霊との契約が待っているんだろう?」


「そうだな。」アークは前を見据えながら頷いた。「契約を果たして、力を得る」


険しい山道が続く中、二人の会話は時折風にかき消されていく。すると、ノームが突然足を止め、岩陰に視線を向けた。


「ん?どうした、ノーム?」アークがノームの視線を追って岩影を見やる。


その岩陰から、何かがこちらの様子を窺っている。人の姿のようだが、少し様子がおかしい。アークが一歩前に出ると、その影が小さく怯えた声を上げ、さらに岩の陰に身を隠す。


「誰かいるのか?」アークはその影に向かって声をかける。しかし、返事はない。


フレイアが前に出て、鋭い目つきで岩影を睨む。「そちらの方、姿を見せなさい。」


その言葉に岩影の人物が一瞬怯んだように見えたが、なおも姿を現さない。


「……お前が前に出ると余計に怖がるんじゃないか?」アークが困ったようにフレイアに囁く。


フレイアは少し眉をひそめて振り返った。「私が前に出るべきだろう。お前が出ていくと、相手はまずオークだと誤解するに決まっている。」


「おいおい、それはひどいだろう。」アークは苦笑しながら肩をすくめる。「俺はエルフだって何度も言ってるじゃないか。」


「そう思っているのはお前だけだ。」フレイアは微かに笑みを浮かべ、再び岩陰の方へと視線を戻した。


その瞬間、岩陰からひょっこりと小柄な頭が姿を現した。女性のようだ。長い銀色の髪が風になびき、白い肌が陽光を反射している。その美しさに、アークは一瞬息を呑んだ。しかし、彼女の表情は怯えている。


「お、お前……オークなのか?」彼女は怯えた声で言いながら、アークを見上げた。


アークはその言葉に顔をしかめ、頭を振った。「違う!俺はエルフだ!」


しかし、彼の言葉を聞いても彼女の表情は硬いままだ。フレイアが前に進み、アークを軽く肩で押しのけた。「ほら、だから言っただろう?普通はこういう反応になるんだよ。」彼女はアークをからかうように小さく笑った。


「お、お前は……」女性はフレイアの姿を見て少し安心したのか、岩陰からゆっくりと身を乗り出した。


「私はフレイア。こちらの騒がしい男はアークだ。」フレイアは彼女に向かって名乗りながら、そっと微笑んだ。「君は何者だい?」


彼女は一瞬戸惑ったように目を泳がせたが、やがて意を決したように口を開いた。「……私はセレーネ。海の一族の姫です。」


その言葉に、アークとフレイアは目を見開いた。海の一族といえば、海の精霊と深い関わりを持つ者たちだ。陸に上がることができないはずの彼女が、なぜここにいるのか。


「海の一族の姫が、こんな山中で何をしている?」フレイアは興味深げに尋ねた。


セレーネはその問いに少し躊躇しながらも答えた。「私たちの一族は今、魔王軍に脅かされています。特に、雷の魔将の力が私たちの海を危機にさらしています。だから、エルフの力を借りに来ました……」


「雷の魔将か……」アークは眉を寄せ、セレーネの言葉に耳を傾けた。「だが、それならなぜ君一人で?他に一族の者はいないのか?」


セレーネは少し俯き、ため息をついた。「一族の者たちは、陸に上がれないのです。私だけが、秘宝の力で一時的に陸で活動できるのです……」


彼女はその手に握られた小さな宝石を見せた。それは青く輝く、海を思わせる美しい宝石だった。アークはその輝きに目を奪われた。


「その秘宝で陸に上がれるのか……」フレイアが驚きの声を漏らした。「それでエルフに助けを求めに来たというわけか。」


セレーネは頷き、アークを見上げる。しかし、まだ少し警戒している様子だ。彼女の視線に気づいたフレイアは、にやりと笑ってアークに目を向けた。「ほら、お前がオークに見えるから、セレーネが怯えているじゃないか。」


アークは少しうろたえながらも、胸を張った。「違うって!俺はエルフだって言ってるだろう!」


セレーネはそのやりとりに少し戸惑いながらも、フレイアの口元に微かな笑みが浮かんでいるのに気づいた。彼女はどうやら二人の間にある絆に興味を持ち始めているようだ。


フレイアはセレーネに向き直り、やさしく微笑んだ。「大丈夫、この男は見た目はオークだけど、心は立派なエルフさ。私も命を救われたからね。」


セレーネはその言葉に一瞬目を見開き、そして小さく頷いた。「……わかりました。少しだけ、信じてみることにします。」


「よし、これで一安心だな。」アークはホッとしたように胸をなでおろした。


セレーネは彼に向けて指を立てて、少しお嬢様らしく微笑んだ。「私はまだ、お前を完全に信用しているわけではありませんから。」


その姿に、アークとフレイアは思わず笑いをこぼした。険しい旅路に、新たな仲間が加わる予感が彼らの心を少しだけ軽くしてくれた。


「それで、セレーネ。これから私たちと一緒に旅をするのか?」フレイアが問いかける。


「ええ。海の一族のもとに案内します。そして、精霊の力で一族を救う手助けをお願いしたいのです。」

セレーネは真剣な眼差しでアークたちを見つめた。その強い意志に、アークとフレイアは互いに視線を交わす。彼女の中にある一族を救いたいという思いが、二人の心に響いた。


「……わかった。海の精霊と契約するために海を目指していたところだ。一族を救うための力になれるなら、俺たちも協力しよう。」アークは力強く頷いて、彼女に手を差し出した。


セレーネはアークの手を見て、ほんの一瞬ためらったが、すぐに覚悟を決めたようにその手を握った。握りしめた彼女の手は少し震えていたが、そこには決意の強さが感じられた。


「感謝いたします。……お前たちを信じてみるわ。」彼女はお嬢様口調で静かに微笑んだ。


アークは笑いながらセレーネの手を軽く叩いた。「さあ、旅を続けるぞ。海はまだ遠いけど、俺たちならきっとたどり着ける。」


「ええ、そうね。」フレイアは静かに頷き、前方を見据えた。「海への道は険しいだろうけど、力を合わせれば乗り越えられるはずだ。」


「まずはこの山を越えないとね。」セレーネも新たな決意に満ちた表情で前を向いた。


ノームは彼らのやりとりを見つめながら、地面に小さな文字を書いた。「新しい友達だね!」という可愛らしいメッセージに、アークたちは思わず笑いを漏らした。


「おいおい、ノームも結構おしゃべりだな。こんなやつだったのか?」アークが笑いながらノームに突っ込みを入れる。


ノームは鼻をぴくぴくさせ、地面に再び何かを書き始める。「仕事で頑張ってたんだよ!」という言葉に、さらに一行の笑いが弾けた。



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こうして、新たな仲間セレーネを迎え入れたアークたちは、再び山道を進み始める。険しい山の空気は冷たく厳しいが、彼らの心はそれぞれの目的に燃えていた。アークは己の力を増すための精霊との契約、フレイアはエルフの誇りと友としての役割、ノームは海を目にするため、そしてセレーネは一族を救うための旅。


互いに支え合いながら、彼らは新たな戦いと出会いが待つ海への道程を進んでいく。そしてこの時、まだ誰も知らなかった――この旅路の先で彼らを待ち受ける、雷の魔将との激しい戦いを。


険しい山々の先に広がる青い海を目指して、アークたちの冒険は続いていく。

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