第7話 前世の追憶

アークは、深い闇の中を漂っていた。どこにいるのか、何をしているのか、全くわからなかった。ただ、全身に重くのしかかる痛みと、疲労感が体を縛りつけているのははっきりと感じ取れた。だが、それ以上に強く感じているのは、何かを失いかけているという漠然とした恐怖だった。


そして、その恐怖が広がっていくにつれて、遠い記憶が次第に蘇ってきた。闇の中に浮かび上がってきたのは、今の自分とは異なる、かつて「拓也」として生きていた前世の記憶だった。



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拓也は、いつも窓際で一人、本を読んでいた。中学校の教室、休み時間になると生徒たちはグループを作って騒ぎ合っていたが、彼はその輪に入ることができなかった。黙々とページをめくりながら、他の生徒たちが楽しそうに笑い声をあげるのを見て、心の中でため息をついていた。


そんな彼にとって、エルフの存在との出会いは、特別なものだった。ある日、拓也は図書室でファンタジー小説を手に取った。そこに描かれていたのは、優雅で知恵に溢れ、美しいエルフたちの世界。エルフは、孤高でありながら他者に尊敬され、その美しさと力をもって人々の尊崇を集める存在だった。


「エルフ……なんて完璧なんだ」


その一言が、彼の心に深く刻まれた。エルフは拓也が憧れる「理想」そのものだった。現実では孤独で、周囲に馴染めない自分とは正反対の存在。それでも、自分が本当はなりたかった存在、そして誰かに理解され、尊敬されることを強く求めていた自分の「理想像」でもあった。


拓也は、エルフのようになりたいと強く願うようになった。人々に敬われ、賢く、美しく、孤独でありながらも孤独ではない――そんな存在になることができれば、自分の孤独も無意味ではなくなるのではないか、と考えた。しかし、現実は残酷だった。拓也は不器用で、何をしても中途半端。人と打ち解けられず、孤独に打ちのめされる日々が続いた。


「どうして、俺はこんなに弱いんだ……」


鏡の前に立って、自分の平凡な顔を見つめたとき、拓也は自分の無力さに苛立ち、失望した。憧れたエルフとは正反対の、自分がいかに取るに足らない存在であるかを痛感させられ、ますます自分を嫌うようになった。



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そして、運命の転生が訪れた。拓也は新しい世界に転生できるという期待を胸に、「エルフとして生まれ変わりたい」と強く願っていた。エルフになれば、今度こそ自分は理想的な存在になれる。孤独でも、尊敬され、認められる存在になれると信じていた。


しかし、現実はそう甘くなかった。目が覚めた彼は、自分の姿を見て驚愕した。白い肌以外、どう見てもオークのような外見だったのだ。理想とはかけ離れた自分の姿を見て、彼の心は怒りと失望で満たされた。それでも、「俺はエルフだ」と強く自分に言い聞かせ、現実を受け入れることができなかった。


「俺は……エルフだ……絶対に……」


その思いが彼を支え続けた。どんなに外見がオークであろうとも、内面ではエルフでありたい。強く、美しく、そして孤高でありながら尊敬される存在であることを、どうしても諦めることができなかったのだ。



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意識が現実に引き戻される瞬間、アークの全身に再び痛みが走った。深い闇の中から、現実の世界が次第に見え始める。彼の体は酷く傷つき、疲れ切っていたが、心の中には何かが目覚めつつあった。


「俺は……エルフだ……だから……!」


その瞬間、アークの体の中で何かが変わった。魔力がまるで自然に湧き上がるように体を満たし、彼は痛みに耐えながらもゆっくりと立ち上がることができた。これまで感じることができなかった魔力が、今でははっきりと感じ取れる。


「魔力が……感じられる……!」


その確信が、彼の心に新たな力を与えた。アークは傷ついた体を強化し、立ち上がることで自分がエルフとして持つべき力を手にしたのだ。白い肌、オークの外見、それでも彼は自分がエルフであることを信じ、証明するための力を手に入れた。


「俺は……エルフだ……この力は、その証だ……!」


アークは自信に満ちた目で前を見据え、拳を握りしめた。魔力が全身を駆け巡り、彼の体はこれまで感じたことのない強さで包まれていた。身体強化の魔法が彼の全身を包み、傷ついた体を癒し、圧倒的な力を与えていた。


「もう……逃げない。俺は、エルフなんだ。誰が何と言おうと……俺は、自分の力で証明してみせる!」


その言葉に、決意が込められていた。


「アーク……?」


突然、優しく、しかし鋭い声が彼を呼んだ。振り返ると、そこにはフレイアが彼をじっと見つめていた。彼女は少し驚いた表情を浮かべていたが、その目は不思議な安心感を漂わせていた。


「目が覚めたか……よかった……お前、もうダメかと思ったぞ」フレイアは、表面上は冷静さを保とうとしていたが、内心では彼の回復を強く願っていた。


だが、次の瞬間、フレイアの顔に驚愕の色が浮かんだ。アークが放っている魔力を感じ取ったのだ。彼女はその強烈な力に目を見開き、信じられないというようにアークに向かって歩み寄った。


「待て……お前、魔法を使っているのか!?しかも身体強化の魔法だと……!?」


フレイアは驚きの声を上げた。アークが魔法を使えるようになったことが、どうしても信じられなかったのだ。彼が魔力を感じることすらできなかったことは、つい先ほどまでの話だった。それが、いきなりこれほどまでに強力な魔法を操るとは――彼女の理解を超えていた。


「俺は……エルフなんだ。エルフなら、魔法ぐらい簡単に扱えるはずだろ?」


アークは少し誇らしげに答えた。その言葉には、確固たる自信が含まれていた。彼は自分がついに魔力を手にしたことを誇りに思い、その力が自分の中に根付いていることを感じていた。


「お前、本当にエルフだと……?」


フレイアは困惑しつつも、少しずつ笑みを浮かべながら首を振った。「……まあ、いいさ。だが、今はその力を無駄にしないでくれよ」


アークは少し照れくさそうにしながらも、力強くうなずいた。「もちろんだ。この力で、俺は証明してみせる。自分がエルフだってことを、誰にも否定させない!」


フレイアはアークの言葉に軽く肩をすくめたが、内心では彼の変化をしっかりと感じ取っていた。彼の魔力は間違いなく強力で、何よりその集中力と意志の強さが以前とはまるで違っている。アークがここまで成長したことに驚きつつも、彼がエルフだと主張することには相変わらず疑念を持っていた。


「それにしても……」フレイアは、少し眉をひそめながら言った。「さっきまであんなにボロボロだったお前が、まるで別人のようだな。体は大丈夫なのか?」


「大丈夫だ。魔力が全身を満たしているのがわかる。これがエルフの力なんだ、フレイア」と、アークは自信満々に言った。


フレイアは苦笑いを浮かべながら、アークをじっと見つめた。「お前がエルフだっていうのは、まだ信じられないが……まあ、今はその力があるならいいだろう。次の戦いに備えるんだ。」


「次の戦い……か。バグラグの奴は、また来ると言っていたな」アークは深く息を吐きながら、バグラグとの激闘を思い返した。彼の力は圧倒的で、次に相対する時にはさらに強くならなければならないという思いが胸を支配していた。


「そうだ。1日待ってやると言っていた。あのオークが戻ってきた時、また戦わなければならない」とフレイアは真剣な顔で続けた。「次の戦いは、これまで以上に厳しいものになるだろう。あの力はただのオークのものじゃない。」


「わかっている。だからこそ、俺ももっと強くならなきゃならないんだ。魔力をもっと自由に扱えるようになって、バグラグを倒す。それが、俺がエルフであることの証明になるんだ」とアークは静かに語った。


フレイアはその言葉を聞いて少し考え込んだが、やがて頷いた。「わかった。なら、私も全力でお前を助ける。だが、無理はするなよ。お前はまだ魔法の扱いに慣れていない。次の戦いで、力を過信して倒れたら元も子もない。」


「大丈夫さ、フレイア。お前が見守ってくれている限り、俺は絶対に倒れない」とアークは笑い、冗談めかして言ったが、その目には本気の決意が宿っていた。


「ふん、そんな調子で大丈夫かね」とフレイアは呆れたように言いながらも、笑みを浮かべた。「さて、次の戦いに備えるなら、しっかりと休む時間も必要だ。お前も無茶はするなよ。まだ体が完全に治ったわけじゃないんだ。」


アークは一瞬、体を見下ろし、まだ少し残っている痛みを感じ取ったが、力強く頷いた。「わかった。今は少し休もう。でも、次は絶対に……」


「そうだ。次こそ、勝つ」とフレイアは静かに言い、彼の言葉を引き取った。彼女は決して無理をさせたくなかったが、アークの目に宿る強い決意を見て、心の中で彼を信じることにした。



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その夜、アークとフレイアは少し離れた森の中で焚き火を囲んでいた。火の明かりが二人の顔を照らし、静寂の中、森のざわめきだけが遠くに響いていた。


「お前の言うエルフっていうのは、私が知っている彼らとは違うな」フレイアがふと呟いた。


アークは火を見つめながら、静かに答えた。「エルフは、俺にとって憧れだったんだ。孤独でありながらも、誰よりも美しく、強く、賢い。俺は前世でずっとその理想を追い求めてきた。そして今世では、エルフとして転生できると思ったんだ……」


フレイアは少し驚いた表情を浮かべたが、アークの言葉を黙って聞いていた。


「でも、現実は違った。俺の外見はオークそのものだ。だからこそ、俺はエルフとしての力を証明することで、自分がエルフなんだって証明しようとしているんだ」とアークは続けた。


フレイアはその言葉を聞き、しばらく考え込んだ。彼女はアークのことを少しずつ理解し始めているが、それでも完全には納得できていない部分があった。


「見た目がどうであれ、強さや決意が本物なら、それで十分だと思うがな」とフレイアは静かに言った。


アークはその言葉に少し驚きながらも、感謝の気持ちを胸に抱いた。「ありがとう、フレイア。でも、俺はやっぱり自分自身を証明したいんだ。俺が本当にエルフだってことを、自分にも他人にも。」


フレイアは軽く笑いながら、「まったく、お前は頑固だよ」と言い、火を見つめていた。

アークはフレイアの言葉に少し照れくさそうに笑みを浮かべた。「そうかもしれない。でも、俺にはもうこれしかないんだ。エルフであることを証明して、自分を取り戻すことが。」


フレイアはその様子を見て、何も言わずに焚き火の炎を見つめ続けた。彼女の顔には微かな笑みが浮かんでいたが、その瞳には深い思慮が宿っていた。アークの言葉や決意を理解しつつも、まだ完全に受け入れられていない部分もあったのだろう。


「お前がそう思うなら、それを貫け。だけど、くれぐれも無理をするな。次の戦いは厳しいものになるし、あのバグラグは一筋縄ではいかない。魔力を手にしたとしても、油断するなよ」と、フレイアは冷静な口調で忠告した。


「わかってるさ、フレイア。俺だってバグラグの強さを思い知らされたよ。次に戦う時は、もっと準備が必要だ。けど、今の俺なら……勝てるはずだ」と、アークは焚き火の明かりに照らされる自分の拳を見つめ、強く握りしめた。


「じゃあ、そろそろ休むか。明日の朝になれば、また厳しい一日が始まる。お前も少しは体を休めろ」と、フレイアは立ち上がり、簡易な寝床を整え始めた。


アークもそれに倣い、自分の場所を作りながらフレイアに目を向けた。「フレイア、本当にありがとう。お前がいなかったら、俺はここまで来れなかったと思う。」


フレイアは背を向けたまま、手を止めずに答えた。「ふん、礼を言うなら自分自身に言え。お前が強くなったのは、お前自身の力だ。私はただ、後ろで見守っていただけさ。」


アークはその言葉に一瞬沈黙し、次に小さく頷いた。「……そうかもしれない。でも、やっぱり感謝してるよ。」


フレイアはそれ以上何も言わず、寝床に横たわった。アークも同じように横になり、静かな夜の中で焚き火の暖かさを感じながら目を閉じた。森の風がそよぎ、木々がざわめく音が遠くから聞こえてくる。



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翌朝、冷たい風がアークの頬を撫で、彼はゆっくりと目を開けた。空はまだ薄暗く、森全体が朝の静けさに包まれていた。アークは体を起こし、深く息を吸い込んだ。昨日の疲れが少し残っていたが、体は確実に回復している。


「よく眠れたか?」フレイアの声が近くから響いた。彼女はすでに起きていて、周囲を見回していた。手には彼女の愛用の剣が握られており、いつでも戦える準備が整っている様子だった。


「おかげさまで、な。体の調子もだいぶ良くなったよ。ありがとう」とアークは答えながら立ち上がり、軽く体をほぐした。


フレイアは彼を一瞥し、微笑んだ。「そろそろ行くぞ。バグラグとの約束の1日が過ぎる。奴らが戻ってくる前に、しっかり準備を整えておけ。」


アークは頷き、再び拳を握りしめた。「ああ、次は負けない。今度こそ、エルフとしての力を証明するんだ。」


フレイアはその言葉に苦笑しながらも、「まあ、お前のその意気込みだけは認めてやるさ」と軽く言い放ち、歩き始めた。


アークはその後ろを追いかけながら、心の中で次の戦いに向けて決意を新たにしていた。今度こそ、自分が求める「理想の姿」に近づけると信じて。


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