第6話 圧倒的な力の前に
冷たい風が森を通り抜け、木々がざわめく中、アークとフレイアは慎重に進んでいた。森の奥深くは暗く、重々しい雲が垂れ込め、まるで空気そのものが張り詰めているかのようだった。二人の足音以外の音はなく、不気味な静寂が辺りを包み込んでいた。静けさが漂う中、どこかで生き物の気配がかすかに感じられる。それは、森全体が緊張しているかのような、圧迫感のある空気だった。
「何かがおかしい……」アークは呟き、顔をしかめた。
その瞬間、霧の中から巨大な影がゆっくりと動いた。最初はぼんやりとした輪郭だったが、徐々にその形がはっきりと見えてきた。アークは目を凝らし、思わず息を呑んだ。目の前に現れたのは、普通のオークとは明らかに違う存在だった。
その男――いや、存在は、まるで岩のようにたくましい筋肉で覆われ、その巨大な体躯はまるで山のように大きかった。全身にまとった鎧は、重厚な金属でできており、戦いのために作られたものであることが一目でわかる。鋭い目つきには冷たい知性が宿っており、彼がただのオークではないことを物語っていた。
彼が一歩踏み出すたびに、地面がわずかに揺れ、草木がざわめいた。その姿を見ただけで、アークはその圧倒的な存在感に圧倒されるのを感じた。彼の体はまるで砦そのもののようで、まさにこの森に君臨する支配者のように見えた。
「俺の名はバグラグ。この軍団を率いる者だ」と、彼は低く重厚な声で言った。その声は、まるで地鳴りのように響き、森全体を震わせた。彼の一言一言が、アークの心臓に響くような、威圧感に満ちていた。
アークはその圧倒的な存在感に一瞬たじろいだが、すぐに気を引き締め直した。彼はエルフであり、このような脅威に屈するわけにはいかない。しかし、その場の空気は異様に重く、背後から冷たい汗が流れるのを感じた。
「ふふ……見ろ、アーク。オークだって人語を操るんだな。まるでお前みたいじゃないか」フレイアは余裕の笑みを浮かべ、軽く冗談を飛ばした。
アークは不機嫌そうに顔をしかめ、「俺はエルフだって言ってるだろ!こんなやつと一緒にするな!」と即座に応じた。しかし、その声には内心の焦りが微かに滲んでいた。
バグラグはそのやり取りを冷ややかに見つめ、冷笑を浮かべた。「エルフだと?エルフか、笑わせる。お前はただの白いオークだろうが」と言い放った。その嘲笑は、まるでアークの存在そのものを侮辱するかのようだった。
「だが……」バグラグは一瞬言葉を切り、ゆっくりとアークに目を向けた。「その肌の色だけは俺の騎士たちにちょうどいいかもしれんな。お前を新しい仲間として迎え入れるのも悪くないだろう、白いオークよ」
アークはその言葉に強烈な怒りを覚えた。顔を真っ赤にし、拳を握りしめた。「ふざけるな!俺はエルフだ!」怒りがこみ上げる中で、彼の声は震えていた。
だが、バグラグはその反応に何の興味も示さず、冷淡な目つきで彼を見つめ続けた。「そうか、エルフだと言い張るなら、それでも構わん。だが、ここで俺にその証を見せてもらおうか」と、彼は静かに言った。
フレイアは剣を抜き、周囲を一瞥して、「アーク、私は周りの敵を引き受ける!お前はバグラグを倒せ!」と命じた。その声には冷静な決断と、戦士としての覚悟が感じられた。
アークはうなずき、フレイアに背を向けてバグラグに向かって歩を進めた。彼の心臓は激しく鼓動していた。目の前の敵は巨大で、まるで化け物のような存在感を放っている。自分が本当にこの脅威に立ち向かえるのか――その不安が心の中で渦巻いていた。
フレイアはその場で素早く剣を振り上げ、バグラグの配下たちに突撃した。彼女の剣は光を帯び、風を切り裂いて敵を次々と倒していった。しかし、敵の数は膨大で、フレイアもまた全力で戦い続けなければならなかった。彼女の動きは美しく、鋭く、まるで踊るかのように敵を切り倒していったが、その数の多さを押し切るのは彼女にとっても簡単ではなかった。
一方、アークはバグラグの巨体に向かって突進した。しかし、その巨大な拳が驚異的な速さで振り下ろされるのを目にし、咄嗟に身を翻してなんとかかわした。拳が地面に激突した瞬間、轟音とともに大地が震え、土が舞い上がった。その衝撃に、アークは一瞬後退し、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
「こいつは……ただのオークじゃない……」アークは息を整えながら心の中でつぶやいた。目の前のバグラグは、これまでのどのオークとも違う、圧倒的な力を持っている。アークは自分の拳を強く握りしめ、覚悟を決めた。
次の瞬間、アークは全力で拳を振り下ろし、バグラグの胸に向けて攻撃した。しかし、その拳が鎧に当たった瞬間、まるで岩に拳をぶつけたような感覚が返ってきた。鎧はびくともせず、バグラグは冷ややかな笑みを浮かべたままだった。
「その程度か?」バグラグは軽々とアークの攻撃を受け流し、再び拳を繰り出した。その拳はアークの動きを正確に捉え、彼の腹に深々と突き刺さった。
「ぐっ……!」アークは強烈な痛みに体を折り曲げ、その場に膝をついて倒れ込んだ。彼の視界はぐらつき、頭の中が真っ白になった。目の前がかすみ、周囲の音が遠くに聞こえる。
「アーク、しっかりしろ!」フレイアの声が遠くから聞こえたが、彼にはその声がほとんど届いていなかった。
バグラグはゆっくりと歩み寄り、倒れたアークを見下ろした。「お前にチャンスをやろう」と冷たく言い放った。その瞬間、再び彼の巨大な拳がアークに振り下ろされ、アークは全身に衝撃を受けた。アークの体が地面に叩きつけられる音が響き、彼の意識は闇に飲み込まれていくようだった。全身を駆け抜ける痛みが、彼の思考を遮断する。それでも、彼は最後の力を振り絞って、かすれた声で呟いた。
「俺は……エルフだ……」
その言葉は、もはや誰にも届かないかのようにかき消え、アークの体は地面に崩れ落ちた。彼の目は重く閉ざされ、意識は完全に遠のいていった。
フレイアは、その場に倒れたアークを見て、すぐに駆け寄った。彼の姿を見つめ、呼びかけた。「アーク、しっかりしろ!」彼の肩を揺さぶるが、反応はない。呼吸は微かに続いているものの、その姿は今にも消えてしまいそうなほど弱々しい。
「くそっ……」フレイアは拳を強く握りしめた。彼女の中に込み上げてくる怒りと悔しさが、彼女の心を激しく揺さぶる。バグラグはそんなフレイアを嘲笑うかのように、ゆっくりと背を向けた。
「1日待ってやる」と、バグラグは冷たく言い放った。「魔王軍に加われば、お前の力を存分に使ってやる。白いオークよ、考えておけ。お前がエルフだなどとは、誰も信じていない」
その言葉を最後に、バグラグは軍団を引き連れ、重々しい足音とともに去っていった。彼の背中が遠ざかるにつれて、森の中に再び静寂が戻ってきた。しかし、その静けさが逆にフレイアの心に重くのしかかってきた。
フレイアは膝をつき、アークの顔を見つめた。彼はまだ息をしているが、その息遣いはかすかで、今にも消え去りそうだ。彼女の胸に、恐怖と不安が押し寄せる。
「まだ……終わっていない」と、フレイアは小さく呟いた。その声には決意が込められていた。アークをここで見捨てるわけにはいかない。彼女には責任がある。そして、彼がどんな姿であれ、自分の仲間だという思いが強く胸に湧き上がっていた。
フレイアは、アークをしっかりと抱え上げ、周囲を見渡した。この森の中で安全な場所を探さなければならない。バグラグたちが戻ってくるまでに、アークを休ませ、回復させる時間を確保する必要があった。
「動くな、アーク。今は私が守ってやる……」フレイアは強くつぶやき、アークを背負ってゆっくりと歩き始めた。彼女の足音が小さく響く中、再び森は静寂に包まれていた。
森の中は薄暗く、太陽の光がほとんど差し込まない。フレイアは足元を慎重に確かめながら進んだ。彼女はアークの体をしっかりと支え、木々の間を抜けて進んでいく。重さが肩にのしかかるが、彼女は決してその歩みを止めようとはしなかった。
「大丈夫だ、アーク……」フレイアは、弱々しく息をする彼を見つめながら、静かに言った。彼女の中にある不安は、強い意志で押し込められていた。彼を必ず守る――その決意だけが、彼女を支えていた。
しばらく進むと、少し開けた場所にたどり着いた。木々が少し離れており、地面には柔らかな苔が敷かれている。フレイアはその場所が比較的安全だと判断し、そっとアークを地面に下ろした。彼の顔は青白く、苦しげに息をしている。
「アーク……大丈夫、まだ生きてる。私はここにいるからな」フレイアは彼の手を取り、そっと握りしめた。彼女の中にある焦りと恐怖が、少しずつ溶けていくように感じた。
アークの呼吸は徐々に安定してきたが、まだ意識を取り戻す気配はない。彼の体は重々しく、今にも崩れ落ちそうに見えたが、フレイアは彼をじっと見守り続けた。時間が過ぎるごとに、彼女の心には焦燥感が募っていく。
その時、ふと遠くから風の音が聞こえた。森の中に微かな気配が漂い、何かが近づいてくるのを感じた。フレイアは周囲を警戒し、剣の柄に手をかけた。
「来るか……?」彼女は目を細め、気配を探った。彼女の心臓が速く打ち始め、緊張が高まる。
だが、何も現れなかった。風の音だけが森の中に響き、木々が揺れる音が静かに続いていた。
「無駄に警戒しすぎか……」フレイアは息をつき、剣の柄から手を離した。そして、再びアークに目を向ける。彼が少しでも回復するまで、ここで待つしかなかった。
「私が守ってやる。だから……お前も負けるなよ」フレイアは静かに囁き、再びアークの手を握りしめた。
時間がゆっくりと流れる中、森の静寂が続いていた。
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