ボスリムの城塞都市(3)
翌朝、またしてもハルネは兵士に叩き起こされた。
「敵の動きは?」
開口一番そう尋ねると、兵士は困惑した表情を見せた。
「じゃあ、何事?」
「ニーデ殿のご家中の方々がアンギム殿の屋敷を包囲、アンギム殿を拘束いたしました。メウリトリアの使者を殺害した嫌疑がかかっております」
「は?」
さすがに頭が真っ白になった。
なぜ? まさか……アンギムが使者を?
「……すぐにニーデを呼んで!」
「いえ、そのニーデ殿が、広間で領主様をお待ちです」
ハルネは早足で広間へ向かった。
広間にはニーデ以外にも、彼に近しい家臣たちが、五人は揃っていた。
「どういうこと!」
一同に怒鳴ると、ニーデが口を開いた。
「建物を見張っていた兵士たちを尋問し、そのうちのひとりがアンギム殿に買収され刺客を引き入れたことを白状しました」
「まさか! どうしてアンギムがそんなことをするのよ!」
思わず言葉に出た。アンギムはメウリトリアとの同盟に肯定的だった。わざわざ使者を殺す理由などない。
「理由など関係ありませぬ。証拠があるのですから」
「……分かった。だったらその刺客を探して――」
「それは不要でしょうな。兵士が証言しておりますので。どちらにせよアンギムの家中の者でしょうし、どこかに匿われておるでしょうな」
「だったらその兵士と話をさせて」
「それも不要でしょうな。証言した兵士はアンギムらに命を狙われるやもしれませぬので、わしの手の者が『保護』しておりますゆえ」
「ニーデ、あなた――」
「ハルネ様。ハルネ様には、これまでに何度も、不肖の老臣なれど、領主とはどうあるべきかをお教えしてまいりました。今さら言うまでもなく、領主も、わしら家臣も、すべてはこの街のために奉仕する存在です。家中が二つに別れていれば、戦争に勝つことはできませぬ。アンギム殿のことは必要な犠牲であったと断ち切りませ」
「……だとしても、まずは領主のわたしに許可を求めるべきでしょう」
「緊急ゆえお許しを。時をかければ、アンギム殿の取り巻きが武装して抵抗するやもしれませぬ」
ハルネは全身に寒気を感じていた。
踏み越えてはならない一線を踏み越えようとしている。
領主としてのハルネは、ニーデの言葉を肯定していた。しかしそれ以外のハルネは、目の前の老人をおぞましい者と軽蔑していた。
これは倫理だ。
「ハルネ様、アンギム殿の処刑をお命じくだされ」
「……あなた、本気でアンギムがやったとは思ってないでしょう?」
「わしがどう思っているかなどは、この際どうでもよいのです」
「ニーデ。答えて」
「わしはすでに答えました」
「ニーデ。あなたは、領主には民衆の支持が必要だと教えてくれた。だけど、もし領主が真実を捻じ曲げてしまえば、民衆は間違った判断のもとで領主を支持することになる……それは、民衆からの『愛』を詐取しているということよ。……わたしはまだ子供で、頼りないし、我慢が苦手で、戦争の指揮もてきないし、来年の作物の予想もできないし、みんなに馬鹿にされても仕方がないと思ってる。だけどこの上、さらに恥知らずとは言われたくないわ」
「ハルネ様。領主には民衆の支持が必要なれど、国を守れぬ領主に何の意味がありましょうか。領主の第一の目的は強いボスリムを守ることでありますれば、そのための手段を選ぶべきではないと存じます。正しくあろうとするあまり国を損なってはどうします」
「だとしたらわたしたちが無能だからよ」
「……ッ、ハルネ様! すぐにアンギム殿を処刑せねば、奴の身柄を奪い返さんとする不埒者が現れましょう! お命じ下され! 領主として為すべきことを、見失ってはなりませぬ!」
ニーデが手を振ってがなり立てる。
他の家臣たちは誰もニーデを諫めたりしない。
真実は、この場では何の力もなかった。
「……わかったわ。でも朝に捕らえて昼にすぐ処刑するというのも体面が悪いわ。ちゃんとした手続きをしたという、せめて体裁は整えないと。このようなときだからこそ」
ニーデにいつも言われている言葉をそっくり返した。
家臣がニーデに耳打ちして、ニーデたちが小声で短くやり取りをした。
ニーデがハルネに頭を下げた。
「分かりました。それでは、事を進めるのに、どれだけの時が必要だとお考えで?」
「少なくとも明日までは」
ハルネが断言すると、家臣たちもそれ以上は黙って、領主の決定に恭しく頭を垂れた。
……くそじじいめ。
ハルネは内心で毒づいた。
最悪なことに、ボスリムでもっともハルネに近しい家臣は、このくそじじいとその一派なのである。
ハルネは自室に戻るや否や、レプティスを連れてくるように兵士に命じた。
しばらくしてレプティスが館にやってきた。今朝から敵軍に動きがあり、レプティスはずっと前線に張り付いていたという。「あまり長居はできませぬ」とレプティスは最初に断った。
レプティスを、大広間ではなくハルネの私室に通して、他の人間は誰も入れずに扉を閉めた。
「アンギムが兵士を買収したというのは本当?」
念のため質問すると、レプティスは言葉を詰まらせた。
「……白状した兵士はニーデ殿の『保護下』にあり、詳しい事情はわたしにも分かりません」
「レプティスはそれを信じてるの?」
ハルネはレプティスの立場を探るように質問した。
「……ニーデ殿は、そうおっしゃっていますね」
レプティスは言葉を選んで言った。
「アンギムが今どこにいるかは、だいたいの見当はついてるの」
ニーデは都市防衛隊ではなく私兵を使ってアンギムを拘束している。ニーデはボスリムで大きな権益を持っているが、それを差し引いても、私兵を動かして誰の目にもつかない場所というのはそれほど多くはない。
しかしレプティスは申し訳なさそうに答えた。
「だとしても、我々がそこに踏み込めば、すぐに戦闘になります」
「わたしも戦いを望んでいるわけじゃないわ。あくまで、都市防衛隊から圧力をかけて――」
「それにニーデ殿は……自供した兵士の罪は免責すると、わたしに約束しました」
ニーデはすでにレプティスに手を回していたのか。いくら老臣とはいえ都市防衛隊と正面から対決する気概はないらしい。
「その自供、本当にその兵士の意思でやったと思う? ニーデがそうするよう強制したに決まってる。それなのにどうしてニーデをかばうの!?」
「……我々が動けば、ボスリムを二分する内戦になるかもしれません。わたしは都市防衛隊の能力を疑ってはいませんが、王国とニーデ殿の両方を相手することは難しいと考えています」
そのとき、部屋の扉が激しくノックされた。二人は会話を止めた。
「何事?」
「ハルネ様! アンギム殿の解放を求める者たちが館に押し寄せております!」
扉越しに兵士が叫んだ。
ほうら来た、とハルネは思った。
ハルネはレプティスにはここで待機するように命じた。都市防衛隊の隊長と会っていたことがアンギム派の家臣に知られればどんな暴発をするか分からない。
ハルネは部屋を出て、来訪者たちの元へと向かった。
表に出ると、門番たちに押しとどめられていた家臣たちがハルネを見てざわついた。口々に領主の名前を叫ぶ。彼らを押しとどめるのも限界が近かった門番たちは、ほっとした顔でハルネの脇に下がった。
「何事!」
ハルネが声を出すと、その数倍の量の答えが返ってきた。アンギムの名前を呼ぶ声と、「ニーデの専横を許すな!」という声が同じくらいあった。
「一同、静まれ!」
ハルネがそう叫んでも、家臣たちは要求をやめない。
何を言ってもハルネの声は家臣たちにかき消される。
「アンギムはわたしが拘束を命じました!」そう言うと、興奮した家臣たちもさすがに黙った。「それはアンギム殿に対する訴えがあったからだけど、これはあくまで詮議が終わるまでの措置です! わたしは明々白々な証拠なしにアンギム殿を処罰することはしません! 領主の名誉に賭けて、そして父の名に賭けて、ここに約束します!」
ハルネが部屋に戻ると、レプティスはぎょっとした表情を見せた。
「大丈夫ですか?」
「何が?」
ハルネはぶっきらぼうに答えて椅子に座った。眉間を押さえる。下手なことを言ってしまったなという後悔と、他にどうしようもなかったという自己弁護が心の中でせめぎ合っていた。
「治安に不安がおありならば、都市防衛隊を出動させますが」
「無用です。外敵の相手だけでも大変なんだから」
「……都市防衛隊はいかなるときも領主に忠誠を誓います。どうかそのことをお忘れなく」
さて、その言葉をどこまで信じていいだろうか。
レプティス隊長の忠誠心には、様々な「但し書き」が付いているように思えた。
「アンギムのことはとりあえずおいておきます。話を戻すと……ええと、仮に、見張りが買収されていないとして――つまり見張りが確かに見張っていたとしたら、犯人はどうやって使者を殺したと思う?」
「わたしには分かりかねます」
「仮説でもいいから。理想は犯人を突き止めて真相を証明すること。それならいくらニーデでもアンギムの処刑は強行できないわ。それが無理でも、せめて他の可能性を示せれば、処刑を延期できるかも。見張りが犯人に買収されていたというニーデの仮説に勝てる仮説が必要なの」
厳密に言えば、刺客などという第三者を仮定せずとも、見張りの兵士自身が手を下したという論理的な可能性はあった。
ただし、それを主張したところで、ニーデは「アンギムの差し金だ」と主張するだろうし、今度はその兵士を口封じのために処刑しかねない。
それに、その仮説をレプティスに伝えることで、ハルネにとって数少ない「敵ではない家臣」を失いたくなかった。
冷や汗が出てきて、目が眩むのを、レプティスに悟られないようにするのに苦労した。
「それで。あなたは、ニーデが言っていることを、どう思ってるの?」
レプティスの目がわずかに泳いだ。それは、忠誠心と保身の間で揺らいでいるのかもしれなかった。
「ハルネ様は、我々がどのように『監視』を行うかご存じでしょうか?」
「さあ、分からないけど。これまで聞いた話だと、二人一組で、交代しながら夜通し見張るということでしょう?」
「使者殿の泊まっていた建物がどういう場所に建っているかはご存じですか?」
「ええ。実物を見てきたから」
「大雑把に言えば、平行に伸びる道と崖の間に建物がある、という位置関係です」レプティスは律儀に説明した。「こういう場合、建物の両側が見えるように、兵士二人を道の上下に配置します。これなら、どちらかの兵士が敵の奇襲を受けても、もう一方の兵士が異変に気付いて、敵に対処するなり、援軍を呼ぶなりできます」
「つまり、どちらかの兵士がアンギムに買収されて刺客を通したなら、もう一方の兵士が気づいたはずだということね? だったら、両方の兵士が買収されていたという可能性は?」
「それならば、二人の兵士が口裏を合わせて、もっと適当な嘘をつけたでしょう。たとえば、敵に襲われて、応戦している間に使者殿を殺された、とか」
「なるほど」
「それに、護衛の兵士は、使者殿が来たので急遽私が選んだのです。アンギム殿が兵士を買収するとしたら、いつ兵士に接触したのでしょう」
「そんな機会はなかった、と。でも、じゃあ、名乗り出た兵士は?」
「使者殿が死んだ後であれば、監視の任務はもうないわけですから、アンギム殿でもニーデ殿でも、交渉する時間の余裕はあるわけです」
レプティスは言外に、事件後であれば、兵士が買収されて嘘の自供をする可能性を認めた。
ハルネはそれ以上の追求は控えた。
「じゃあ、真犯人はどうやって建物に入ったのかしら?」
「……唯一可能性があるとすれば、それは海からの出入りです」
「でも、本当にあの崖からボスリムに入れるなら、アリアスタがとっくにそうしてるんじゃない?」
「いえ、崖の下側から登るのは不可能ですが、誰かが崖の上側からロープを垂らせば可能です」
「その『ロープを垂らす人間』を崖の上に送り込むのが不可能なんじゃなくて?」
「いえ、それができる者が一人だけいました。使者殿です」
「ああ……けど、あり得るの? どうして被害者が自分からそんなことを?」
「ハルネ様が仮説でもいいというのでわたしはそれを示したまで」
「いいわ。続けて」
「使者殿はあの夜、見張りから隠れて密かに家を出ると、海側の塀まで行き、崖の下にロープを垂らします。侵入者はそのロープで崖の上まで登ります。そして二人は密かに建物に戻る。そこで侵入者は使者殿を殺し、時間差で火事が起きるような――たとえば蝋燭と油を使った仕掛けを施し、来た道を戻って崖の下に降りたのです。崖の下へは船着き場から泳いで行ける距離ですし、夜なら人目につく心配もありません。あとはロープをどう回収するかという問題がありますが、崖を降りるときにいくらでも仕掛けのしようがありましょう」
「それは……確かに可能とは言えそうだけど……じゃあ使者はなぜそんなことを」
「分かりかねます。あるいは使者殿はアリアスタの偽物で、間者を手引きする役目を負っていたのが、もののはずみで殺されてしまったのかもしれません」
「それで犯人が建物に火をつけた? ……消えた荷物は? それはどう説明するの?」
「侵入者の正体を示す都合の悪い何かがあったので海に捨てたのでは」
「今の話、裏付ける証拠は何かある? すぐに探して。どんな屁理屈でもいいから、アンギム以外の犯人の可能性を証明して」
承知しました、とレプティスが返事をしたそのとき、再び扉が激しく叩かれた。
「ハルネ様!」
「今度は何!?」
用事を伝えに来た兵士が、領主の不機嫌に怯えながら答えた。
「……使者殿の死体は、納骨堂に置いていたのですが」
ボスリムの死者は、城塞都市の外に埋葬されるのが通例となっている。かつては都市内部にある納骨堂に埋葬されていたのだが、ボスリムに城壁が作られた時代にはすでに手狭となり使われなくなっていた。
敵軍に包囲にされている今、都市の外まで死者を埋葬しに行くことはできないため、この時期に出た死者は一時的に納骨堂に安置していた。使者の焼死体も同様に納骨堂に置かれていた。
「それは知ってるけど。それの何が問題なの?」
「消えました」
「ん?」
「ですから、死体が消えました」
わけが分からず、ハルネがレプティスの方を見ると、彼は迷惑そうに顔を伏せた。
ハルネの体に冷たい汗が噴き出した。
ハルネはレプティスを伴って納骨堂へ向かった。納骨堂を管理人しているゲナル老人は、ハルネを前にすると面目なさげに顔を伏せた。とはいえ、納骨堂はすでに使われていない施設であったし、常に見張りをしていなかったとて責められるものではないだろう、とハルネは思った。
ゲナル老人の話によれば、朝方に掃除のために来たところ、扉の鍵が壊されていることに気づいた。すぐに都市防衛隊に知らせて中を検めたが、焼き焦げた使者の死体だけが納骨堂から消えていたという。
「レプティス。これ、どう思う?」
「使者殿の死体に何か意味があるのでしょうか。象徴的な……たとえば王国軍や同盟軍に対して何らかの取引を有利にするとか」
レプティスの推測も要領を得ない。ハルネにしても、どういう目的があったのか見当もつかなかった。それに欠損死体とはいえ人目につかずに持ち出すというのは簡単ではないだろう。
ハルネは意識して呼吸を深くした。冷や汗はまだ大丈夫だ。
ハルネが黙っていると、レプティスが続けて言った。
「意味はともかく、重要なのは、これをやった犯人がこの街のどこかにいるということです。すぐに手配して見つけ出します。それができれば、アンギム殿の無実の証にもなりましょう」
「……分かった。急いで」
レプティスは一礼して早足でその場を辞した。
ハルネはしばらく納骨堂に残って考え事をしていたが、やがて外へ出ようとすると、
「あのぅ……領主様、それでわしは、どのような罰を受ければよろしいでしょうか」
ゲナル老人が恐る恐る伺いを立てたので、
「扉にはすぐに新しい鍵をつけるように」
とだけ言いつけた。
ハルネは館に戻って軽く昼食を済ませると、それから日課の「見世物」に出た。
そんなことをしている場合ではないとも思うが、今はレプティスが死体泥棒を捕まえるのを期待するしかなく、ただ無為に館でやきもきしていても仕方がない――と、昼食のスープを飲み終わるまでの時間で気分を切り替えたのだった。食事の終わりごろにはすっかり気分も晴れて、昼食の終わりにはデザートも要求したハルネであった。
着飾って馬に乗り、共をつけて街を進む。
心の中は事件のことでいっぱいだったが、街を「巡回」するのに心の機微など不要だった。
領主である自分の最大の仕事は考えたり指示を出すことよりもまず、この街に存在することなのだ――。と、益体も無いことが頭の中をぐるぐると回っていた。ただまっすぐに前を向いていれば、領民はそれを見て、勝手に崇拝したり軽蔑したりするのだ。
大通りを進んでいるとき、建物の脇から急に何かが飛び出した。
追いかけっこをしていた子供だった。
子供の姿はハルネの馬の足元に隠れた。
声を上げる暇もなく、ハルネはとっさに手綱を引っ張り上げた。馬が驚いて前脚を持ち上げる。馬の頭越しに、驚いた子供が尻もちをつくのが見えた。
興奮した馬が暴れて前脚を振り下ろそうとした――
そのとき、群衆の中から一人が飛び出してくると、子供を抱きかかえてあっという間に馬から離れた。
やや遅れて、通りにいた人々たちから悲鳴と、安堵した歓声が上がった。
ハルネは荒ぶる馬を何とか落ち着かせて、子供を助けた人物を見た。
バンダナで頭を包んでいた美男子だった。赤茶けた古びたコートを羽織っている。雰囲気から見ると船乗りか商人だろう。男は抱えていた子供を地面に下ろすとハルネに対して跪いた。遅れて子供が泣き出すと、母親らしき女が駆け寄ってきて、子供を跪かせた。
「勇気ある行動、ありがとう! 助かったぞ!」
「へへ、もったいねえことでございます」
男の声はもごもごしていて、言葉の訛りも酷かった。
供回りが子供の母親を叱るのはほどほどに止めて、ハルネたちは巡回を再開しようと馬を動かした。
……そのとき、ハルネの鼻を、記憶にある例の異国の香りがかすめた。ハルネは馬を停止して振り返ったが、男の背中が群衆に飲み込まれたところだった。
「そこの男!」
慌ててハルネが叫ぶと、群衆がわっと割れたが、あの男の姿はどこにもなくなっていた。
ハルネは取って返して館に戻り、すぐにレプティスを呼び出した。
しかしレプティスが参上するよりも早く、呼んでもいないニーデが先に到着した。
「何……? 何の用……?」
ハルネは警戒心を隠さずにニーデに質した。
「ハルネ様。捕らえていたアンギムが、アンギムの家中の者たちに奪われました……。奴ら、武器を手に立てこもっております……これは反乱にございます! 今は奴らの屋敷を、わしらの家人が囲んでおりますが――」
恐れていたことが、起きてしまった。
元々の火種を作ったニーデに対する怒りを抑えながら、ハルネは命じた。
「……ともかく、今はアンギムを刺激するべきじゃない。市内での武力衝突だけは絶対に避けて。ともかく包囲を解いて、話し合いの場を――」
「まさか! 包囲を解けば、アンギムはこの館まで攻め込んできますぞ! そもそも、ハルネ様がアンギムの処刑を延期なさったことがこのような事態を招いたのです。これ以上、奴に手心を加えるようなことがあれば、事態はさらに良くない方へ進みましょう」
「ではニーデはこの事態を如何とするのです」
「都市防衛隊に、アンギムへの攻撃をお命じください」
「馬鹿なことを!」
それはつまり、領主の名をもって、アンギムを粛清するというこを意味する。今はまだ、ニーデとアンギムの私闘ということになっているが。そのどちらかに領主が公的な形で肩入れをすれば、もうボスリムの内戦は鎮火できない炎に燃え上がる。
「……それはできないわ」
「ハルネ様! ご再考を!」
「くどい! 都市防衛隊を動かすつもりはないわ!」
ニーデが無言の圧力をハルネに向けていた。
ハルネはねばつく汗が背中に噴き出した。
謎を前にした肉体の反射的反応ではない。ハルネの精神のニーデに対する畏れだった。
それでもニーデは引かなかった。反らさなかったし、動かなかった。
「ニーデ。話は分かりました。下がりなさい」
ゆっくりと、ニーデに命じた。
ニーデはじっと主の顔を見上げて、静かに館から退去した。
ハルネが召喚したレプティスは、まだ来ない。やがて、今は都市の治安維持のために動けないという、そっけない返答が伝令を通してもたらされた。
ハルネが館で何もできずにいたころ、アンギムの一団はその日の夕方にはニーデらの包囲を突破、市内を嵐のように進むと、そのまま都市の城壁までたどり着いた。
本来、外敵から内部の都市を守るために城壁に張り付いていた都市防衛隊は、予想外に内側からやってきたニーデの一団に不意を突かれ、それに呼応して外からアリアスタ軍が殺到して、強固な防御を築いていた都市防衛隊はあっという間に撤退に追いやられた。
アリアスタ軍と城壁越しに合流を果たしたアンギムの一団はそこに留まり、翌々日には彼らを城壁の内側に招き入れた。
こうして、難攻不落と言われたボスリムの城塞都市は、歴史上初めて外敵の侵入を許すことになった。
城壁が破られたことを聞いたハルネは、すぐさま降伏の使者を送った。
こうして、百年の独立を守ってきたボスリムは、ハルネの代であっけなく失陥した。
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