第13話:楓李のお気に入り

 「お前もそうだったのか?」


 楓李に聞かれて、瑠菜は少しうつむいた。


 「……どうだろうね。」

 「……どうだろうねって、なんだよ。」


 部屋から出ていく瑠菜の後ろ姿を見ながら楓李はつぶやいたがもうその声は瑠菜には届いていなかった。


 「瑠菜、もう食べるのやめろ。」

 「いる?いるなら言ってくれればあげるよ。」


 お菓子を大事そうに抱きかかえて戻ってきた瑠菜に対して楓李は一言言った。

それでも瑠菜は口にお菓子を運ぶ手を止めない。


 「なぁ、お前歩き方おかしくね?腰どうかしたか?」

 「だ、誰のせいでしょうね!」


 瑠菜はびくりと体を跳ね上がらせながら楓李の手から逃げた。


 「……手加減してくれないから……。」

 「あ、ごめん。」


 楓李はそういわれてようやく気付いた。


 「ひっ!」

 「マッサージ、しておかねぇと明日も仕事だし。サクラにもその歩き方はさすがに違和感持たれるぞ。」


 ベッドの上にうつ伏せで寝かされて瑠菜は最初何をされるのかと思ったが、楓李のその言葉を聞いてされるがままになった。

 基本的に楓李はマッサージが得意だ。

きぃちゃんやコムからのお墨付きのマッサージは本当に体の不調を治してくれる。

瑠菜の体のことをよくわかっているのもあり、瑠菜はいつもこうやってマッサージを受けていた。


 「瑠菜、彼氏とはもう別れたのか?つーか、彼氏とは何もしなかったのか?」

 「えぇ、別れたわよ。一回も何もしないで。」

 「……そうか。」


 瑠菜は少し切れ気味に答えた。


 「っていうか、私のスマホ知らない?一週間前から見当たらないんだけど。」

 「あぁ、わりぃ。拾ったまま渡すの忘れてた。」

 「なくても仕事上は困らないけど、早く返してね。」


 瑠菜はそういってスマホを受け取った。

中を確認することもなくポケットの中に入れるのを見届けてから楓李はもう終わりといって、マッサージを切り上げた。


 「え?あ、ありがとう。」

 「少し、外に出てくる……。」

 「え?……やだ……。」


 瑠菜は寂しそうな表情をした。


 「……すぐ帰る。」


 楓李の服の袖をつかんで、止める瑠菜を軽くなだめて楓李は外へと出た。






 楓李が外へ出ると、サクラの姿があった。


 「どうした?」

 「それはこっちのセリフです。何かありましたか?」


 サクラは楓李の様子を見てそう言った。


 「瑠菜さんはどうしたんですか?いつも一緒にいますよね?」

 「部屋に置いてきた。外の空気が吸いたくてな。」

 「瑠菜さんだったら駄々をこねてでもついてきそうですけど。」

 「まぁな。」


 楓李はサクラの元気そうな様子を見て瑠菜が言ったとおりだと思った。


(何もしなくてもよかったかもしれないな。)


 サクラは空を眺めたまま何も言わなかった。いや、楓李に対して言うような言葉などサクラには思いつかなかったのだ。


 「サクラ、たばこ大丈夫か?」

 「私は吸わないですけど。楓李兄さんはタバコ吸うんですか?」

 「瑠菜には言うなよ?」

 「臭いでばれますよ。あの人犬みたいに鼻が利くときありますから。」

 「風呂入ってから帰るから大丈夫。」


 楓李がタバコに火をつける姿を見てサクラはカッコいいとも思ったが、同時にこういう大人は嫌だなとも思った。

それはサクラが今までに出会った人の中でタバコを吸う人は悪い人だと無意識に判断しているせいだろう。


 「楓李兄さんは、恋で悩んだことありますか?」

 「何?まだ悩んでんのか?瑠菜からいいアドバイスもらわなかったのか?」

 「もらいました!でも、……。」


 サクラはだんだん声が小さくなり、最終的にごにょごにょと話していた。

それを横目に見た楓李は、ため息をついてサクラのほうを見ずに言った。


 「ない、……って言ったらうそになるな。」

 「えっ?あんなにモテて、相手に困らなさそうなのにですか?」

 「本命から相手にされねぇと意味ねぇだろ?」


 楓李がそう言うと、サクラはまた首をかしげた。

サクラは楓李が瑠菜から相手にされてないようには見えない。


 「別に相手がいるんですか?瑠菜さん以外の本命が。」

 「バカか。瑠菜から俺が相手にされてる分けねぇだろ?少なくとも瑠菜の本命は俺じゃねぇよ。」

 「そうですか?」

 「あぁ。」


 楓李が下を向くと、サクラはこれ以上踏み込んではいけない気がした。


 「あ、ごめんなさい。」

 「お前だけに言っとくから、瑠菜には言うなよ?」

 「え?」

 「瑠菜のスマホを盗んで元カレや男との連絡先消した。いや、サイテーなのはわかってる。さっきスマホも返した。」


 楓李はそこまで話してから、ふとサクラのほうを見た。

あまりにも反応がなく静かだったので少し不安になったのだ。


 「……サクラ、何か言ってくれ。いや、罵倒したいならしろ。それくらいのことをしたのもわかってる。」

 「あ、ごめんなさい。まさかすぎて。……楓李兄さんでも恋がらみで悩むんですね。」

 「悩んでんじゃねぇけど。いやだろ?こんな彼氏。」

 「いやって、……えっと、……あ。」

 「本当のこと言ってくれればいいよ。」

 「……いやです。」

 「だよな。」


 サクラは悩みながらも本当の気持ちを言った。

楓李も少し笑いながらも、そうだよなと言っている。


 「なんでやったんですか?」

 「……もうすぐ、七月だろ?俺の誕生日。瑠菜のことだから、誕生日のお祝いしたいとか言って付き合っていても付き合ってなくても祝ってくれるとは思う。でも、俺はたぶん、誕生日の日は一日家にいない。寂しい思いもさせるだろうし、俺は誕生日までは付き合わないつもりだ。」

 「じゃあ、どうして消したんですか?遊ばせていた方がよかったんじゃないですか?」


 楓李はサクラに聞かれてそれもそうだと笑った後に首を横に二回ふった。


 「お前が来たからだな。」

 「私のせいですか?」

 「いや、お前が来て、瑠菜の仕事が本調子になったから、というのが正解だな。瑠菜は忙しい中、そいつとあっていたりメッセージのやり取りをしてた。瑠菜が嫌そうにスマホ見てるのを何度も見てた。それがこの間、喧嘩してたんだよ。そいつと。」

 「え?気づきませんでした、っていうか彼氏いたんですか?瑠菜さん。知らなかった。」

 「喧嘩の途中で呼ばれて、スマホを置いて行ったのを見てつい、とったんだ。男の連絡先消したのはもろついでだな。なぁ?バカだろ?サイテーだろ?」

 「それだったら、嫌ではないです。私のためだったら、受け入れます。」


 サクラが言ったその言葉はただの感想だが、楓李は瑠菜本人に言われた気がした。


 「瑠菜さんにもそのことを話せば、きっと許してくれますよ!」

 「……そうか。一年後に話してみるのもいいかもな。」


 楓李がそう言うと、サクラはブーブーと文句を言い始めた。


(瑠菜の弟子になってそんなに経ってないのにここまで似るか。いや、ずっと瑠菜の真似していたからか。考え方といい、どことなく似てるような。)


 楓李はサクラを見ていてそう思った。


 「楓李様……。楓李様!ここにいらっしゃいましたか。」

 「ん?どうした?龍。」

 「あー、そっちの方がカッコいいですが、僕は龍子です、りゅうし!」


 楓李の名を大声で呼びながら一人の男の子が走り寄ってきた。

楓李に似て、正義心の強そうな子だった。


 「だったな、龍子。で、なんだ?」

 「今日はやけにやさしいですね。そちらの方のおかげですか?」

 「いいのか?そんな風に言って。こいつ、お前と同い年で瑠菜の弟子だぞ。」

 「る、瑠菜様の!え?あ、あの……よろしくお伝えくださ、……。」


 龍子と呼ばれたサクラと同い年に見えなくもない男の子は、サクラが瑠菜の弟子だと知って背中を九十度に曲げて勢い良くお辞儀をした。

 サクラが見る限り楓李とは仲がよさそうだ。

弟子の中でもお気に入りという存在なのだろう。


 「あ、あの……よろしくお願いします。」


 サクラは自分の顔が赤くなっていないか心配になりながらも龍子にされたように頭を下げた。


 「あ、あれ?どうかしましたか?」


 サクラは龍子にそう言われた瞬間、目線を龍子からそらした。

 龍子はそれを見て心配になりサクラに声をかけるが、サクラは無視して走り去ろうとした。

しかし、楓李がいたことで何も言わないのは失礼だと思ったのでぺこりと頭を下げた。


 「だ、大丈夫です。なんでもありません。もう、部屋に戻ります。」

 「え?」

 「おぉ、気をつけろよ。」


 サクラが逃げるように家の中に入っていくのを見て龍子は意味が分からなかった。


 「僕、もしかして瑠菜様に怒られます?」

 「さぁな。」


 不安そうに楓李を見上げる龍子を見て、楓李はにやりと笑ってからそういった。

 そっけなく言われた龍子はもっと不安になった。


 「で?何の報告に来たんだ?」

 「あ、弟子が今週のうちに四人やめました。もう少し優しくなってはいかがですか?それから僕の仕事は終わったので、次の仕事ください。」

 「お前って、一言多いよな?」

 「そうですか?」


 楓李は怒りを抑えるようにタバコを灰皿の中に投げつけて龍子をにらんだ。

しかし、龍子はわざとらしく首をかしげてにっこりと笑った。


 「俺には、お前がいてくれれば別にいい。弟子は減ろうが増えようが俺には関係ねぇ。」

 「ありがたい言葉のようですが、僕の仕事を増やそうとしてますか?」

 「いや、お前次第だな。次の仕事をお前が受ければ今の数分の一の仕事量まで減る。」

 「断りようがないでしょう?」

 「俺と行動することが増えるがいいか?」

 「ありがたいくらいです。」


 楓李は龍子の顔色を窺うように聞いた。

それに対して龍子は会話ができるだけでもうれしいというように笑顔で答える。

楓李は弟子と必要以上に会話をしないため、それだけでも特別感があるのだろう。


 「お前、明日空いてるか?」

 「はい。仕事も終わったので。」


 龍子はまとめた資料などの仕事をした証拠を楓李に渡した。


 「じゃ、プールに行くぞ。」

 「仕事ですか?プライベートですか?」

 「半分仕事。別に遊んでもいいぞ。あとさっきのやつも来る。」

 「了解です。」


 龍子はサクラが来ると聞いて少し不安もあったが師匠である楓李の誘いだからという理由で受け入れた。

龍子は楓李の個人的なファンでもあるのだろう。


 「龍子、サクラを守れよ?」

 「サクラ?」


 サクラの名前を教えてもらっていない龍子は、楓李から突然出た瑠菜以外の女っぽい名前に少し驚いた。


 「さっきの瑠菜の弟子だ。瑠菜はあいつのためならどんな方法を使ってでも守ろうとするだろうし。自分の身を削るだろう。その前にできるだけお前が守れ。いいな?」

 「はい。」


 龍子はそれだけ言って家のほうへと帰っていく楓李の後ろ姿を見送ってから歩き出した。


(信頼されてんのか?僕がいなくなったら、楓李様は一人になるんだろうな。)


 龍子は他の弟子よりも楓李から声をかけられることが輪をかけて多かった。

仕事を任せられたり、弟子やその下で手伝いをする子をまとめるように言われたりしていた。

その中で、たくさんの楓李の悪口を聞いた。

龍子はそれが嫌だった。

一応、楓李は龍子にとって尊敬している師匠だ。


 逆に、楓李が龍子に仕事を任せるのは、楓李から見て他よりも丁寧で努力を欠かさない龍子を見ていたからだ。

龍子からすればそれは当たり前のことだ。


最初は自分だけ無駄に仕事を任されているようで、自分から辞めるのを待たれているように思えて怖かった。

楓李は、口数は少ないしにらむこともあったので気持ちがわからなかったのだ。

 龍子が楓李に心を開いたのは、楓李をずっと見ていて笑ったり、褒めたりと優しい師匠だということがわかってからだった。

 龍子は他の弟子たちにも楓李のそんな姿を見せたいと思っていたが、こんな楓李の姿を見れるのは自分だけでもいいと思った。


 「明日、大丈夫かな?」


 龍子からすれば初めての楓李とのお出かけだ。







 楓李はお風呂に入って、部屋に戻ってから忘れていたことに気が付いた。


 「だった、こいつが寝てんだった。」


 楓李は自分のベッドで寝ている瑠菜を起こそうかと迷ったがやめた。


 「寝るか。」







 「かえ、かえ。」

 「ん?」


 楓李が周りを見ると、そこは病院の一室だった。


 「もう!ちゃんと聞いてる?」


 楓李が横を向くとぷんぷんと怒っている男の子が寝間着を着てベッドの上に座っている。


 男の子の名前はこはくだ。


(夢か……。)

 「なんだ?」


 楓李はすぐにそう思って目の前のこはくに聞いた。

 色の薄い髪の毛がキラキラと光っていて、白くなった肌はどこから見ても病人だ。


 「だーかーら、瑠菜ちゃんと会ってあげなよ!」

(あぁ、最後の日か……。)


 こはくが死ぬ二、三日前に言われた言葉。

 楓李とこはくの最後の会話だ。


(寂しがってるし、僕はもう長くないし。)

 「瑠菜ちゃん寂しがってるし、僕はもう長くないし。」

(あ、そうだ。僕の遺言聞いてよ!)

 「あ、そうだ。ねぇ、僕の遺言聞いてよ。」

 「遺言って、まだ死ぬとは決まってねぇだろ?」

 「まぁまぁ、ちゃんと聞いてよ。」


 楓李はこはくの次の言葉を頭の中で思い出した。

 一年前、楓李は日本一周旅行の真っ最中だった。

こはくの容態が悪くなるたびに帰ってきて瑠菜からは逃げるような生活を送っていた。 結局、瑠菜と会ったのはこはくが死んですぐと今年の一月で、瑠菜と話したのはこはくが死んだ半年後だった。


 「一つ目は、かえとあきは瑠菜ちゃんをしっかり守ること。瑠菜は見ておかないと、他人のために車に突っ込むくらいは簡単にするから。僕の所に連れてきちゃだめだよ?」


 こはくは指で数えながらニコニコと話し始める。ここだけ聞くと遺言だとは思わないくらい明るい。


 「二つ目は、僕をこれまで看病してくれた大人たち。大好き、ありがとう。」

 「はいはい。」

 「三つ目は瑠菜ちゃんに。僕を好きでいてくれてありがとう。最後の三か月間は楽しかった。瑠菜ちゃんは体を張らずに誰かを助けてほしい。僕が生きられなかった分たくさん生きてね。」


 楓李はこはくの言葉を、瑠菜に伝えた時に瑠菜が泣いていたことを思い出した。


 「あっ、でもかえはかえがやりたいことをやらないとね。あきらめずにやり遂げなよ。かえはすぐに我慢するんだから。別に、やり遂げてからでも瑠菜ちゃんは守れるし。雪紀さんやコムさんもいるんだし。」

 「なんでお前がそれを言うんだよ。つーか、瑠菜への遺言は自分で言え。」


 楓李がそう言うと、こはくは少しうつむいた。

 その前まで笑顔だったのが嘘のような、悲しそうな顔だった。


 「瑠菜ちゃんは聞いてくれないだろうし。僕が死ぬ前に呼ぶつもりではいるけど、たぶん来られないよ。新しい学校、大変なんだってね。」

 「高校だろ?まぁ、そりゃそうだろうな。」

 「これから先、僕がいなくなった後に、コムさんもいなくなってしまう気がするんだ。すぐじゃないけど、一年以内。その時、瑠菜を支えられるのはかえしかいないんだよ。」


 あの時のこはくは自分のいない未来を見ていた。

楓李や瑠菜があの時には思ってもいなかった、コムが行方不明になることさえも予言していた。

それを聞いていて、楓李はコムをほおっておいた。

 こはくの言葉はすべて覚えている。

あの時のこはくは、死なないはずがなかったのだ。

真剣に聞いていたのを今でも覚えている。


 「かえ、瑠菜ちゃんをいじめちゃだめだよ?優しくしてあげなよ。素直にならないと。」








(朝っぱらからあいつのことを思い出すとか、目覚め悪いな。)


 楓李はそう思いながら寝返りを打った。


 「おはよう。かえ。」


 寝返りをした楓李の目の前には瑠菜の顔があり、目があった瞬間に恥ずかしそうに微笑みながら瑠菜はそういった。


 「おはよ。起きてんだったら先に自分の部屋戻るなり、下に行くなりしろよ。」

 「水飲んで戻ってきたの。また寝ようと思って。」

 「二度寝は自分の部屋でしろ。」

 「んー。かえ、大好き。」

 「朝からくっつくな。」


 瑠菜はギューッと楓李に抱き着いてもう一度寝ようとした。

 それを楓李は座らせて起こすと、着替えるように言ってから自分も準備をしに行った。

 今日から、龍子を含めた四人でまたプールの下着泥棒を捕まえるための、準備をする。

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