#2


映画というものは時に長時間残留する。

創作物の中でも特に、いやそれは個人によるが。

いずれにせよ創作物の中でも多くの人が携わるものなのは間違いない。


何かしらの目標や目的を「全員」で達成するというのは

社会がうんだ綺麗事であり、無論容易なものではない。

人間の思考は人によって異なるし、

モチベーションやその個人が働く理由も異なる。

創作物をつくるためという志を持つものもいれば、

ゲームに課金するためにしょうがなく労働している者もいるだろう。

だからこそ協力というものは難しいのだ。

だからこそ仲間というものは少ないのだ。


この世には悪というものは存在しないのかもしれないとふと思う。

それぞれの正義が相反するものなだけだと思うのだ。

結婚を正義にする考えもあれば、

独身を正義にする考えもある。

どちらか一方にはどちらか一方が悪に見える。

しかしよく考えれば絶対的正義など存在しえない。

この考えを基にすると宗教の唯一神と私は争うことになるのかもしれない。

あぁ、私は神を冒涜するつもりは毛頭ないし、

そのような争いをするのは誰かが信じる神もおそらく望んでいないだろう。

しかし不思議か、人間はそれを神への冒涜を謳う。

あなたが神ではないのに。

あなたの思考が絶対に正しいものではないのに。

何らかのチーム競技ではよくあることだ。

Aチームが対戦相手のBチームに何らかの損害を出した場合、

AチームのファンはBチームに何らかの抗議を申し出るだろう。

ファンはそのチームメンバーでもなければ、おそらく株主でもないだろうに。


まぁ、私はそれらの争いごとに今のところは関心はない。

誰かが誰かを馬鹿にするとき、其奴も誰かに馬鹿にされると、

いわば因果応報というものをなんとなく信じているから。

だとしたらこのヘンテコな文に対するクレームのどこかに存在するのだろうが。


そう、つまり何らかの作品に登場する所謂正義が異なる者。

一般的には悪役と呼ばれる者にも考えはあるのだろう。勿論、JOJOの話ではない。


人生に休暇なんてないのかもしれない。

私はきっと明日も明後日も呼吸に忙しくしているだろう。

誰かに会い、誰かと別れる。それを一日と呼び、繰り返す故毎日と呼び。

あなたも用事が入って行った常連ではないお店の店員の名前を覚えていないだろう?

え?何?覚えている?ならそれはそれでいいんじゃないか?


反論することは自身を防衛する代償に相手に歯向かう行為だ。

私の意見に賛成しろとは言わない。まぁそんなの杞憂だが。

ともかく、あぁもういい。



と私が考えていたらどう思うのだろう。


夢オチ?間抜け野郎?


呼び名は自由につけれるがそれは名札じゃない。


因果応報とかスピリチュアルだと思うのも結構だが、

それを信じるか信じないかの自由があなた側にあるのに

私の方に権利がないのは可笑しいと思わないのかね。


今更かもしれないがね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

# 凜鷹 @ritoca

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る