第26話 結末
1941年12月10日明朝シンガポール
オーストラリア陸軍の第118師団曹長であるギアリング・バフォメットは水平線の彼方から徐々に大きくなる艦影を見つめた。一昨日、東洋艦隊主力艦が出航するのを市民は歓喜して見送っていた。あの時、俺は勝利を確信していた。戦艦、空母が十隻もあるのだ。いくらなんでもあのジャップに負けることはないだろう。固唾をのんで軍民問わず皆が見つめる水平線から少しづつ大きくなる艦影の輪郭がはっきりし、細部が分かってくる。空母だ。それも一隻だけ。他の艦はどうしたのだ?。護衛には駆逐艦数隻しか見えない。
「...っ!」
思わず今見えているのが夢だと願いたくなった。空母をよく見るとあちらこちらに黒ずみがあり、金属が熱で溶けた跡がある。飛行甲板に機影は無く、上空は陸軍機が固めている。そしてなにより空母は傾斜していた。東洋艦隊の栄光はもはや過去のものだった。続いてやってきた戦艦は甲板に大きな孔を穿たれ、砲塔は歪み、砲身は根元から曲がっている。船体のあちこちにある焼けただれた艤装がその被害の大きさを物語っていた。艦形からしてネルソン級戦艦だろう。この日、巡洋艦と駆逐艦以外、戻ってきた艦艇はいなかった。
日本軍呼称『マレー沖海戦』は英軍の撤退で終了した。陸軍の第二十五軍先遣兵団が上陸して半日後には第二十五軍直属の第五師団、第十八師団がマレー沖海戦のさ中、コタバル、シンゴラ、パタニに海軍の旧式駆逐艦、巡洋艦10隻以上の支援を受け上陸した。これは軽巡洋艦川内率いる第3水雷戦隊で、これらの艦は対空火器が貧弱のため本隊の空母直掩ではなく船団護衛に投入されたのだが司令官の橋本信太郎少将の判断で陸軍の支援にあたった。上層部に確認なしでのこの行動には批判もあるものの現地で上陸を敢行した近衛師団の後に小沢のマレーの鯱とならんでマレーの虎と呼ばれることになる西村琢磨司令はこのことに大変謝礼をしており『海軍の支援砲撃は大変心頼もしかった』とのことから橋本に処罰は特になかった。実際睦月型駆逐艦の12㎝砲は陸軍の火砲で言えば砲兵隊が装備する重砲に相当する大きさであり30門以上のそれらの砲撃は海岸線にあったトーチカを根こそぎ粉砕し、機関銃陣地を吹き飛ばし、歩兵を薙ぎ払う威力は馬鹿にならなかった。川内の搭載する九五式水偵による着弾修正は上陸する陸軍部隊に砲弾が誤着することも防ぎ、目標への精度も高かった。また、高橋にはその場の全権がまかせられており、いちいち上に確認するのは大幅な作戦遅延に繋がるのでこれは正当な判断である。後日南遣艦隊の無傷の空母2隻も艦載機、搭乗員を補充した後マレー作戦に参加した。第二艦隊隷下の空母5隻中、十勝型空母3隻は本来の所属である井上司令官の第四航空艦隊に戻り、新たに就役した同型艦2隻と共に蘭印作戦に従事した。
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