土蜘蛛 (6)
本来、彼女は姫として大事に育てられ、天子の末である父の保護の元、家の係累か父の見出した将来有望な若君に嫁ぎ、穏やかな暮らしをしているはずだった。
時の天子の横暴に天子の血をもつ父が立ち上がり、「新王」として、代替わりの乱を起こした罪で一族が滅せられなければ。
そして、生まれたばかりの彼女を乳母が何とか抱え逃げ落ち、最後の力で、この豪族の長に預けなければ。
今や、彼女を預かった豪族もヤマトに追われ、残ったのは女ばかり数十人。
だが、彼女は決して絶望はしていなかった。
たまたま、彼女は
とはいえ、彼女に伝わったのは全てではなく、たった一つの身を守る術ではあったが。
「姫様」
「ハヤツよ、
「はい、姫……いえ、統領様。 悪い知らせです、
「ただの武士など、いくら送られても妾の土地には立ち入れんぞ。散々追い返したのだ、都の天子も諦めればよいものを」
「いえ、今回はいつも通りではありませぬ。……髪糸を断たれましたゆえ」
「なんと! こうしてはおられぬ、土壕の内に木槍は組んだか?」
「すでに」
グッと唇をかんだ彼女は、すぐに毅然と顔を上げた。
「仕方あるまい、母様と従妹姫、伯母上様は供を付けて海側へ。あちらには抜け道がある。何かあらばすぐ落ちのびよと伝えておくれ。妾は父様に代わり、ここで指揮をとる。使い手は妾しかおらぬからな。そして、女たちの髪をここへ。……すまぬ」
「ご立派になられました、本当に。ハヤツはいつまでもおそばに」
「ああ、最後まで」
側使え兼親友の片手を強く握り、反対の手で淡く光る碧玉のカケラを握り込むと、彼女はその薄緑色の目をパチリと開いた。
「……言問、何か変だ」
目的の村跡まで一里まで来た辺りで、鳴神は言問に声を掛けた。
最後尾から油断なく目を配っていた言問は、急ぎ鳴神の隣へ駆け寄る。
「どうした」
「これを見ろ。宙に黒い……蜘蛛糸? か、これは……。これが幾重も浮かんでいる」
「これは……」
見るなり顔を曇らせた言問は、鳴神を後ろに下がらせ、形代の武者を一体、そのまま薄く淡く浮かぶ蜘蛛糸の群れに踏み入るように歩ませた。
足を踏み入れた形代を感知するや、蜘蛛糸はきらりと薄緑に光って、形代を切り刻んだ。ハラハラと散っていく紙片をちらと見て、言問は頷く。
「間違いない。今度の相手、お前は相性が悪い。……しかし、お前の目は良いな。普通の者にはこの糸は見えまいよ」
「俺と相性が悪い、とはなんだ」
いきなり相性の悪さを断言された鳴神は、少しふてくされたような声音で主へ尋ねた。
「そうだな……いい機会かもしれん。これだけは教えておくか」
チラリと蜘蛛糸に変化がないのを横目でみてから、言問はそこらに落ちていた手頃な枝を手に取った。地を軽く
形代が出した
「鳴神、お前は天子の末だな」
「おう。それは主がよく知っているだろうに」
「俺の所属の
「五行?」
「教えてはあるぞ、お前が覚えておらぬだけだ。 このヤマトはな、渡来の知識をふんだんに張り巡らせてある。その一つが俺の属する陰陽だ。その伝えの一つにあるが、五行。 青、赤、白、黒、中心に黄色を置く。この黄色が黄帝にあたる。渡来元の昔の王だ。 それをそのまま使っているゆえ、ヤマトの王である天子の色は黄、属する性は土、つまりお前の髪色だ。お前は色が薄いゆえ、どちらかといえば見事な
カ、カ、カと土を枝で掻いて、図にして説明するも、鳴神の表情がいまだにキョトンとしているのを見て取って、言問は一つため息をついた。
「……まあいい。お前の色は黄で、性は土とだけ覚えておけ。……これなら覚えられるか?」
「土とはなんだ」
キョトンとしつつも一応は頭に入ったか、鳴神が無邪気に聞く。
「そこの説明は帰ってからみっちりしてやる。ともかく、今の蜘蛛糸を見たがあれは伯母上の術、ということは青の
地を這うような声で言問が怨嗟を吐き、髪の奥に隠した黒目の縁が金に光った。
一方、伴侶と言われた鳴神は一気に顔を赤に染めた。
「主よ、
「…………っ、鳴神よ。今の一言は何より俺に効いたぞ。疾く終わらせて、すぐにでも睦まねば気が済まぬ」
「おう、俺も同じよ。……しかし、どうするのだ?」
「こうする」
と言って言問が取りだしたのは
正確には
とたん、ゴッと起きた金の光の風に斬り払われて、蜘蛛糸はハラハラと溶けていった。その溶けかけの蜘蛛糸の欠片を指でつまみ、言問は一度目を閉じた。開く。
「むう……」
霊符を衣の内へ仕舞いながら、考え込む言問に鳴神が軽く肩を寄せた。
「いつ見ても
「それは俺の力の一端が
「……厄介になりそうか?」
少しばかり陰る表情はたぶん鳴神の
都を離れて3日ほど、まださほど影響はないとはいえ、重い荷と装束でただでさえ熱気のこもる体に負荷をかけるのは、言問も本意ではない。
「厄介ではあるが早々に方を付けるぞ。すぐに村跡へ向かう」
今度は言問が先陣を切って歩き出した。
残った形代の武者が追う。その後ろを、鳴神は小さく頷いて歩き始めた。
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