土蜘蛛 (7)
その村までの道のりはゆるく穏やかだったが、先ほどと同じように、村を囲うように所々でふわふわと蜘蛛糸が舞っていた。見つけるたびに言問が切る。
いつの間にか鳴神が見つけ、言問が切るの分担が出来、先ほどまでより行軍の速度が上がる。
そして、村がはっきりと見える位置まで来た辺りで、サッと言問が足を止めた。
「……いかんな、来るぞ。鳴神、吾の後ろに」
ザッと舞った白の形代が言問の前に壁を作ると同時、真白い壁にドザザザッと鋭い音を立てて、黒い針の雨が降り注ぐ。
「……チッ」
形代の紙の白が一枚貫かれ、蜘蛛針が一本、言問の頬を抉った。
すぐさま銀の霊符で叩き折り、もう一枚同じ霊符を出すと白い壁に力を込めて押し当てる。すると、白の壁は発光し、金の新しい壁となって立ちはだかる。
蜘蛛針は壁に触れるや溶け落ち、もうそれ以上壁を抜けることはなかった。
「言問……!」
悲鳴のように息をのんだ鳴神をチラリとみて落ち着かせるよう言問は笑ったが、先ほどの針傷から伝うように一筋、血があふれ出た。
「大事ない。しかし、大した力量よ。伯母上の欠片で、簡易とはいえ吾が守を抜き、俺に血を流させるとは。だが、毒はないようだ。塗ってあるかと思うたが。 ……そんな顔をするな、鳴神」
「言問……お前になにかあらば俺は……!」
後ろから掻き抱くよう、強く回る鳴神の太い腕を落ち着かせるよう優しげに撫で、振り返ると、その泣きそうな伴侶の唇に、先ほどの傷から流れる血を一掬い塗りつける。
何をせずとも派手やかな戦装束の鳴神に、その
「案ずるな、これくらい傷にもならぬ。……それよりもせっかくだ、舐めておけ。俺の血は強すぎて普段は毒だが、今のお前になら薬になろう。体の熱が収まるぞ」
そういいながら言問は、鳴神のやわらかい唇にそのまま血のついた指を含ませる。
従順に
鳴神がもう一度言問の顔を見やっても、もうそこには先ほどの傷はなかった。
美しく、つるりとした白い肌があるばかり。
人であり人でなし、魂は神の如し。
己が幼い頃、言問がうそぶくように呟いた言葉を今更に思い出す。
かの人は出会った頃の青年姿をいまだ保って、今や昼日中は姿を変えねばならず、人としても当時の名は使えない。
変わらぬ姿は確かに人でなしと言えるのかも知れなかった。
「
己が伴侶の表情を間近でつぶさに見取って、言問が寂しげに笑う。
「いや、俺は
鳴神は、言問の手を己が腹に押し当てた。
そこには鳴神が願い続け断られ続け、仕方なしと、とうとう押し負けた言問が手づから刻んだ妹背の誓いがある。
「吾はいまだにどうしてお前がそう決心してくれたか不思議でならぬ」
笑う顔のまま穏やかに愛し子に口づけ、そっと体を離し符を整えた。
その姿は、目くらましの昼日中の姿ではなく、本来の言問の姿だ。
同時に鳴神も背の大太刀を抜き放った。
「壁を解く。土蜘蛛がくるぞ」
「
消えた壁から鳴神の足で十歩の距離を開け、双方が対峙する。
土蜘蛛側は、単衣に緋袴、淡い緑の唐衣を羽織った、年の頃は成人の儀を終えたばかりらしき、黒く長い髪に緑目の小娘が一人、その後ろ、支える様にしてそれより少し年かさの、青い衣の側控えらしき娘が一人。
「まずは名乗れ」
最初に口を開いたのは土蜘蛛だった。
開けた空に響いたは確かに少女の声だったが、背には溢れんばかりの気迫を負っている。
「……そうか。お前も天子の末か。通りで術の増幅が得意なわけだ。……まあ、それはどうでもいい。宝珠の欠片、返して貰おうか。アレはお前らのおもちゃではないぞ」
娘の顔を見た言問が、言を無視して要求だけ叩きつけるよう、本来の姿で睨みつける。
「……! なぜ知っている、お前は誰だ!」
「お前になど名乗る名はない。どこの豪族か知らんが祖の墓を暴くなど、加護を食われて呪われても仕方なし。 返せば、お前らが住むべき土地を教えてやる。返さぬならば、女だろうがすべて倒し取り上げるのみ。 選べ」
怯えたように声高になる娘の声と反対に、言問の声は静かでよく響き、しかし地の底を這うように低かった。構えた霊符からゆらと金色の気配が立ち上る。
「か、」
「姫様」
娘が喋ろうとしたとき、後ろの側使えの娘が口をきいた。
「お返ししましょう。この方はおそらく人ではありませぬ。神なる宝珠を人の身で使うは、やはり無理があったのです」
「ハヤツ……?」
言問も無言で古い礼を返してから、宝珠を拾い上げた。
「確かに受け取った。ではこちらも約を守ろう。紀伊国に古い血の一族がある。これをもってかの地を訪ねよ。必ず受け入れてくれるゆえ」
言問の手のひらほどの白木の板にはびっしりと言問の字で書きつけがある。
しっかり見れば、行先と相手の名、これを渡すものを歓待するようにの一文が見て取れた。
それをさっきと同じ手順で地に置くと、さっきの娘が同じ手順で受け取った。
しずしずと渡された白木の札を、宝珠の代わり手に入れた緑目の娘はハラハラと涙を流す。
それを側使えの娘が後ろから抱きしめて慰めているのを見て取って、優美な一礼を残して、言問は鳴神を連れ、その場を去った。
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