大江山 (6)

するりと鬼が去るのを見送り、パンと手を打ったと同時に鳴神なるかみを包んでいた紙の鎧が消え去った。

とたんに弾き出された鳴神が、殺気はそのまま言問ことといの傍まで詰め寄ってくる。


「言問!俺が楽しく遊んでいたのを邪魔するとはいい度胸だな!」


「まあ、そういうな。旧知の仲でな、お前に切らせるわけにはいかなんだ。ただお前には他に切ってもらわねばならんものがある」


「なんだ?」


とたんに機嫌よくなった鳴神に、言問は愛い奴と背を撫で上げて、山頂を仰ぎ見る。

生える樹木もまばらなそこには、鳴神ほどの身の丈をし、牙を剥きだしたオオザルの集団がいた。

酒呑童子の伝えの半分はこのサルが担っていたのだろう。

既に酒呑の術は消え失せて、野生が残るばかりの凶暴な野獣に戻っている。


「オオザル?俺に猿を切れというか」


「待て待て、怒るな。あかしを持って行かねばならんのだろう? これならば後腐れがない」


「サルの腕では納得しまいよ」


「俺の術で人に見せる。問題はない。それにこの先必要になるのだ」


なんにとは聞きはしまい。

ヒトとしてというより鳴神の主としての言問に、つ、と背を押されて言われるままに何匹か切った。

死体の残骸を形代に運ばせ、その場に転がすと、瞬く間にヒトと変わらぬ姿となる。


「骨になるまでは人のままだ。腐りはするがな。……ほら、この辺がよかろう」


手際よく、そのいくつかをどこからか取り出し裂いた麻布で包むと、形代に呪を刻んでふっと息を吹き込む。

するとむくむくと膨らんだ形代は、印象に残らぬ浅い顔立ちの供回りらしい小男になった。


「つまらぬ」


ザッと刀の血糊を払い、言問いから手渡された麻布の端で刀を拭ってキンと背中の鞘に収める。

鳴神としては散々に大暴れし、暴れたがる自身の血を収めるのと同時、言問にも褒められたかった。

言問の頼みを聞けたのは嬉しいが、鬼とも大して戦えず暴れたりない。


「お前は本当に戦が好きだな」


小男に布包みを渡し、ふてくされる鳴神の金色の髪が山風に吹き晒されて翻るのに、言問は目を細めた。

朱まじりの金の髪は残照ざんしょうを浴びてきらきらしく輝き、その目の青玉せいぎょくはいっそ濃く暗く、黒みを帯びて照り光る。

鋼のようによく練られたたくましい体からは、敵さえおれば、今は持て余している殺気が鋭く華やかに放たれるのだろう。


「ほんに、お前はうるわしい」


思わずと言問が漏らした声に、日が向こうの山に落ちるのを眺めていた鳴神がふと笑う。


「俺をうるわしというは主くらいだ。月夜星夜の明かりで見るまことの主の姿こそ、俺には美しい」


夜闇の下の言問は本来の姿を現し、痩躯はそのままにカチリと音のしそうな硬質の美貌のおのこになる。

ヒヤリと冷たく鋭い刃のような鋼色はがねいろまじりの黒髪に、白く固い細面、切れ上がったまなじり、白いまぶたの下には、濡れた闇色の目がある。

凶兆とされる闇に食われた日輪のように黒目の縁が金で囲われていることは、きっと己しか知らぬ秘め事で、それを見るたび鳴神の腹の底が疼いた。

白皙の美貌をねやで、庭で、屋敷で、外で、何度陶然と見つめたことか。

痩躯そうくの割に力強く、己の鍛えた重い体さえも軽々と動かし運ぶのも好ましい。

昼日中、目立たぬようにと隠すぼんやりとした風貌さえも好きで、結局は心底から惚れているのだ。


どこぞの局の隅に生まれ落ちるなり打ち捨てられ、泥まみれ垢まみれで逃げ出した道の端、死んだ犬の死体の横で拾われたその時から。

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