大江山 (5)

ザっと鳴神なるかみの髪がほどけ、日に照らされた朱まじりの金色の髪が翻る。

合わせて、鳴神を白く固い形代かたしろの山が包んだのも一瞬だった。

左に右に、ヒラヒラと形代が宙に舞う。

ザンと山を切るようだった大ぶりな一太刀が弾かれて、対峙していた男が一気に間を離す。


言問こととい!」


周りを囲う白に気づくや、鳴神の吠えるような怒号が響いた。


「そんなに吠えずとも聞こえている」


宙を待っていた形代の一つが弾け、金色の光の陣と共に言問の姿が現れ出でた。

ふわりと地に足がつくや否や、言問は間合いも気にせず、優雅に毅然と男に歩み寄る。


「久しいな、磐井いわい。いや、今は酒呑しゅてんと呼べばよいか?」


「…………! もしや……っ」


ざっと顔色を白くした男は、崩れた片髷も気にせずその場で跪坐きざした後、叩頭こうとうぬかづいた。


「おおきみのみこ様……! 未だ現世をさ迷うておられましたか……!」


「さ迷うてはおらぬ。今はヤマトの喉元で行く末を見ておるところよ。これは手勢てぜいだ」


すっかり形代に覆われ、真白の山のようになった鳴神を指して言う。


「なんと危うい所に! ……しかし、御身を守る剣はたしかに身に着けておられた様子、少し安堵いたしました。あの者の先ほどの筋ならば、はるか昔の戦火の時こそ、御子様の傍にあらばよかったろうにと、悔しくも思われますが……」


同じく、形代の山と化した鳴神を一瞥した男は、遠い昔を憂う目をしてわずかに顔を伏せる。

それを見て、言問は仕方なさげに明るく笑った。


「さて、あの頃にこやつがおっても、抱えて逃げる他なかったろうよ。それほどあの女の策は深く、卑劣であった。 ……今の世は波なくたいらかだ、あやつの力ももう薄い。喉元にトラを飼おうが窮奇きゅうきを飼おうが気付かぬよ、あれらは」


「しかし、平穏であってもこうして我らの拠点を潰しに来ようとする勘は、なかなか侮れませぬ。 ……もしや、この度は我らのきゅうをお救いに?」


しんきゅうを見過ごすわけがなかろう。……しかし、なぜ科野しなのの地を出た?あそこには我らが親族と、お前が自身をもって作った最良の結界があろうに」


「それをもってしても弟君を守り切れませんでした……」


「……あやつの巫術ふじゅつをもって十重二十重とえはたえに囲まれてしまえば仕方あるまい。弟はわれの言いつけ通りに巫術も血も残していた。問題ない。……今世こんせいでは見かけたか?」


「いいえ……お見掛けしましたらば、必ずや今世こそはお守り申し上げます」


「まずは吾に伝えよ。これを」


言問はその場で小指の先をかむと血で書いた呪の入った形代を作り、男へと下げ渡した。

恭しく押し頂いた男は、そのまま大事に懐へと仕舞いこむ。


郎党ろうとうを連れ一度科野しなのに帰り、立て直せ。それと、見目の差でも人は異和に気づくものだ、お前たちの衣と住処も当世とうぜいふうに習うように。その点についてはお前のすえがよく知るだろう。……もうじきあやつらの頭の首がすげ変わろう。いずれ国司の任が下るように計らう」


「はっ」


「元々われらの地だ。乱世なら取る所だが、平らかなれば穏便に頂こう」


「わが君の仰せのままに。では、今度はこれにて……お会いできてまこと嬉しゅうございました」


男は再び全身の礼をもって深々と叩頭する。

憂いに満ちていた先ほどまでとは違い、男の体にはいきいきと精気が満ちていた。


「ああ、またいずれかで機会もあろう。……さて、我が手勢も開放してやらなくてはな」


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