大江山 (4)

その山は低山ながら見晴らしがよく、方角と運が良ければ天橋立あまのはしだてを含む海も見えた。

今日はあいにく雲海うんかいに沈んでいるが、酒呑しゅてんの目には、ありありとその光景が映し出せる。

一族郎党引き連れて東から下って来たこの山で、この手頃な岩屋を見つけた時、岩屋の持ち主だったサルの群れを術を用いて手懐けた時、都の様子を下見に行って無事帰った時、確かに見事に晴れ渡る空と、海と、天橋立がくっきりと見えたのを覚えている。

はるけき空の下、二度と帰れぬ故郷の海と似た、穏やかな色だった。


統領様とうりょうさま


配下の声に甘い感傷から引き戻され、振り返ると麓や都で情報収集を任せていた一族の男が、跪坐きざでかしこまっている。


「麓に潜らせていた目と耳から、都の者と思われる集団が向かっているとの声を得ました」


「巫術は」


「すでに用いましたが効きませぬ。普通、どんなに術に強くとも供の一人くらいには効果が出るものですが」


「……ならば、我が怨敵おんてきの直系の血の者だ。間違いなくいくさになる、備えよ。女子供は逃し、半分の男はりにつけ。半分は我と残れ。……急げ、気取けどられるなよ」


「はっ!」


今度の戦は守る者なく、ただ生きるか死ぬかの殲滅戦せんめつせんになるのだろう。

生き残れたとしても、また同じように繰り返し、同じ手の者を都から送り込んでくるのだろう。

我々が真に滅びるまで。

遥かな昔を思い出し、酒呑しゅてんと今は呼ばれる男はうれいた目を雲海へ向けた。








里で形代かたしろが日常品と都の貴重品を交換している間、鳴神は被衣かずきをまとって、木の下で周囲の様子を見ていた。


「……言問こととい


『……どうした?』


かすかな声で言問に呼び掛けると、鳴神なるかみの頭の中にあるじの優しい声がする。

この被衣は言問のまじないが刻んであり、被っている者の気配が薄まるのと同時、声も足音も外には聞こえなくなる優れ物だ。




「たぶん、見張りがいる。視線が二つ。 俺にじゃなく、形代の方へ」


『ふむ。 そろそろ仕掛けて来るやも知れんな。形代の方はもしかしたら残らぬかもしれんが、問題ないか』


「大丈夫だ、一人で行ける」


『まあ、お前のもりは備えてあるから心配はないが。 ……俺の推測が正しければ、お前の血の匂いで居所いどころが割れるやもしれん。いざとなったら被衣は捨てろ、呪の所だけ破っておけ』


「わかった。 ……やはり形代についてくるな、あやつら」


都人みやこびとでもしたのか、交換に応じた村の者に都風みやこふうに朗らかに礼を言った形代らが、こちらには近寄らず、まっすぐに山の方へと向かう。

その後をそっとついていく気配をゆっくりと追いながら、鳴神もひっそりと山へ分け入っていった。



そして、山道を順当に進んでいた形代が道半ばでふつと崩れたのを、都の屋敷の自室で言問は確認した。


「ふむ、ある程度は出来る奴らよな。まあ燃えなければ、死体として見えよう。問題は……」


鳴神の方は天性の勘の良さと用心で、まだ鬼どもには気取られず、順調に山道を登っていた。ただし、その先、開けた山頂にはどうやら鬼の巣窟がある。

被衣だけでは、たぶん鬼の統領とうりょうの目までは誤魔化せまい。


昔人むかしびと……やはりあやつかもしれんな。顔くらいは出してやるか」


ふうと息を一つ、作っておいたじんに掛け、言問はまた鳴神の気配を追い始めた。








鳴神がようやく山頂の開けた空へと出会った頃、どこからともなく、その剣は襲ってきた。

とっさに被衣を投げ出し、背中に負った大太刀おおたちをザンと抜き放つ。

最初に受けた一撃で、被衣は呪の部分どころか支えのかさごといくつもに断ち切れていた。


「お前が大江の鬼か」


周囲のぐるりを弓や剣を持った男たちが囲んで切っ先をこちらに向けているというのに、鳴神は鮮やかに笑って、火花のような殺気を奥にいる物静かな男に向けた。

先ほどの太刀筋たちすじはそちらからだということを、より強く面白い敵はそちらだということを、鳴神は本能で感じ取っている。


「お前は天子のすえであろう。我らの巫術ふじゅつが効かぬのはあの血だけだからな。……お前も可哀想な身だ。あの眷族けんぞくの得意な、一族から出す人身御供ひとみごくうよ。行って敵を倒せればよし、倒せず共倒ともだおれてもまたよし、切られて首だけ返されてもそれでよし。……哀れよな」


会話をするようでいて、物静かな男の指仕草ゆびしぐさで、取巻いた男たちが鳴神に切っ先を向けつつも、サッと引いていく。

しかし、鳴神としても、統領らしき男とだけ対峙出来るのは好都合だった。

つまらぬ弱いものを弾き飛ばし切り殺すよりも、より強く強大なものと戦い、切り殺した方がよほど楽しい。


「確かにお前の言う通りだ。俺は天子の末であるし、天子の目論見もまたその通りだろう。だが、俺は心まであやつらに従っているわけではない。俺の主は別にいる」


鳴神が大太刀を独特の形に構えると、同じく昔人むかしびとなりまげをした静かな男も、手の鉄剣を独自に構える。


山頂を緩やかな風が吹く。

のどかな日差しも軽やかな小鳥のさえずりもないものとして、走った殺気は同時だった。


そして鳴神の垂髪すいはつをまとめていた紙の元結もとゆいと、男の髷の片方が弾け飛んだのも同時だった。

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