鳴神と言問 (2)

子供のひどい汚れも気にせず、自分の屋敷へと連れ帰った言問は、形代に湯殿と粥の用意をさせ、手づから骨と皮のような華奢な体を洗い、髪をすすいだ。

どれだけ汚れているのか、三度湯浴みさせてもまだ濁る湯に苦戦しながら、もう一度撫で洗いしようとする男に、これまで大人しかった子供が止めろと言うふうに、言問の手を叩く。


「ああ、嫌だったか。すまんな、これだけ洗えれば十分だろう。メシも用意してある、それを食ったらお前は少し眠った方がいい」


「……ん、めし、たべる」


「おお、少しは言葉も分かるのだな。今、水気を拭ってやるゆえ、少し待て。分かるか、待てだ」


湯殿から出した途端、走りだしそうな小さな体を捕まえて、手早く体を拭くと、とりあえず己の手持ちの単衣を着せかけた。

当然、丈が余って引きずるようになるが、ないよりはマシだ。

ズルズルと引きずる単衣も面白いのか、はしゃいだ声を上げながら、拾った童は言問に導かれるまま、跳ねるように寝室へと入っていった。






「しかし、シルシの子だろうに、親に捨てられるとは……。今の世はどうなっておるのだろうな」


粥を腹いっぱい食べ、満腹になったらしい子供がやわらかな布団でぐっすりと眠るのを傍らで見守りながら、言問は呟く。

シルシを持つものは親による愛情を一杯に受けて育つことができる加護を持つはずだった。だが、この子供にはそのような加護の気配はない。


思えば、シルシの子にしては少しちぐはぐな子供ではある。

体も小さく骨と皮の様だが、生き残っていたということは、それなりに体が丈夫なのだろう。ひどく汚れていた割には、肌も臓腑も傷めていることはなさそうだった。

そして何より、シルシの子ならば、この年にもなればそろそろ記憶が目覚めだす頃だが、見た限りそのような気配はない。


気になった言問は、霊符を出し呪を唱えると、己が目の上にかざした。

シルシの子ならば、生まれ変わりの術を掛けた痕跡がどこかに残る。

言問の一族は丹田の回りに刻むことが多いが、あの女が仕掛けただろう天子の一族に生まれるシルシの子は、胸に刻まれているらしい。


すやすやと寝付いた子供の単衣の胸をはだけて腹までを確認すると、胸にあった名残の痕跡は、言問が思わずぐっと息をのむ程でたらめになっていた。


「天子の末であるのは間違いないが、これでは元の名もどこの国の誰やも解らぬな……生まれ直したのが奇跡のようなものだ。確かにこれほどひどい術ならば、反転して親の憎しみも受けるだろうよ。……ん?」


何もかもをでたらめに繋ぎ合わせたような術式の真ん中に見えた名に、言問は思わず目を見開く。

そこに書かれていた名は、言問の真名だった。

名も記憶も術者も国も、ほとんど削り落とされた術式の中、それだけが堂々と残されていた。







「言問! おかえり!」


御所からの戻り、牛車を車寄せに止めさせて急ぎ家へと入ると、どたたた、と走り寄る足音がして、元気一杯の子供が勢いはそのまま胸に飛び込んできた。とっさに踏ん張って受け止めた言問が頭を撫でると、それはそれは嬉しそうに笑う。


今や子供は、拾った時あれほど小さく華奢だったと思えぬ程すくすくと育ち、背も伸び、体躯にも恵まれた。

拾った頃は純粋な黄金のような、稲穂のような髪色だったため、稲妻から取って「鳴神」と名付けたが、最近では髪色に所々朱の色が混じり、瞳は黒に近い紺だったものが少しずつ薄くなり、今では蒼天のような美しい青になっている。


「これ鳴神、礼はきちんと教えただろうに、お前は本当にきかぬ子だ。良く学んだならば、貰ってきた椿餅つばいもちを分けてやろうと思っていたが、聞けぬようでは鳴神の分も俺が食べてしまうぞ?」


「や、いや、ちゃんとする! おかえりなさいませ、とと……言問殿」


「そうだ、俺はお前の親ではない。よしよし、よく出来たなあ。礼もキレイに出来ている、鳴神は覚えの良い子だ」


叱られた上、土産の存在まで示された鳴神は、大慌てで背を伸ばすと、言問手づから仕込んだ礼儀作法をして見せる。

その仕草をつぶさに厳しく見てから、大仰なくらいに褒める言問の様子は、親でないと言いつつ完全な子煩悩のそれだった。




言問は鳴神を拾ってすぐに、その系譜を調べた。

二代前の天子と天子の血を継ぐ由緒正しい家の姫から生まれた、正当な天子の濃い血を持つ子供。

術の作用で捨てられなければ、容姿がこれほど異端でなければ、天子とは言わずとも貴族の家で大事に育てられていただろう。


そして、無事に育ったからには、生きていることを知った御所側が何らかの手を伸ばしてくる可能性がある。

それ故に言問は礼儀作法、言葉遣い、読み書き、詩歌の作り方まで、貴族社会で必要な事は丁寧に厳しく教え込んでいる。

未だに詩歌や花の愛で方など風流に関するものにはさっぱり興味はないが、本人のやる気がある時は自然と美しい所作が出るようになってきた。





書斎に座らせ、鳴神の書いたものを見分しながら、貰ってきた椿餅を皿に盛りつける。

すぐに手を出して美味そうに頬張る鳴神を優しげな眼で見た言問は、豊頬の子供から少年へと変わりつつある伸び盛りの姿を感慨深く眺めていた。


「……あと数年もすれば、お前も成人の儀だな。いやはや、子が大きくなるのは早いものだ。御所に上げるならばお前用の家も用意してやらなくてはな」


「家などいらぬ。俺はずっと言問の側におるのだ。……親元はいつか巣立つものだが、親でなければ、ずっと一緒に居られるのだろう?」


キョトンとした顔で見上げた鳴神は、どこで聞いてきたのか、当たり前のようにそう言って言問の袖を掴む。未だ親離れできぬ童よな、と思いながらも、ついつい甘やかしてしまう言問のせいでもあるのだろう。餅をのどに詰まらせぬよう茶を出してやりながら、どう言ったものか、と思案した。


「俺は一生お前の傍に居るわけにはいかぬぞ。お前もいつかは妻を娶ることになるだろう。高貴な姫とはいかぬだろうが、貴族の娘を貰って子を作ることはできるだろうよ。その時が楽しみだ」


「……いや、嫌だ!言問はずっと俺の側におるのだ!妻などいらぬ、言問がいい!」


「ああ、泣くな、鳴神。俺の言いざまが悪かった、お前を無理にどこぞへやってしまうわけではないからな」


ぶわりと目に涙が盛り上がったかと思うと、ほたほたと零すようにして泣きだした子供に、困り果てた言問は、鳴神が泣き止むまで膝の上に抱き寄せてあやし続けた。




思えば、この時がきっかけだったのだろう。

鳴神が明確に言問との別れを意識し、傍に張り付くようになったのは。

深い恋慕の情を抱くようになり、熱のこもった視線を言問に送るようになったのは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る