言問と鳴神 (4)

「陰陽寮にまで来るなと言わなかったか?」


自室の板戸を閉めるなり、抱えていた巻物をどっと投げ出すように乱雑に机に放り、装束の裾をからげながら床板に荒く胡座で座る。

その様子を対面に座りつぶさに見ていた鳴神なるかみは、変わらず実を齧りながらゆったりと身を脇息きょうそくに預けて笑った。


「そういうな」


さっきもいだ実を袂からもう一つ出し、そのまま言問ことといへとゆるい弧を描いて放る。


「今日のお召は御大将おんたいしょうからの指示だ。大江に登れと」


パッと手のひらのうちで受け止めた実を同じく口にしながら、言問は声に出さず目で続きを促す。


「山にはびこる鬼どもを退治してこいとの命を受けた。首領しゅりょうの首か腕か、倒してあかしを取って来いと」


さきほど鳴神が無邪気にもいでいた実は杏であった。

杏は本来は薬種やくしゅではあるが、実には特に毒はない。

甘酸っぱく爽やかで瑞々しい果肉の味は、確かに鳴神なるかみ好みの味ではある。

それはそれとして、毒と薬の違いくらいは教え込まねばならんな、と考えていた言問の思考は、続く声にピタリと止まった。


「証とは血なまぐさいな。それにお前ひとりでか。酷なことを」


通常の者ならば、暗に死んで来いというのと同じだ。

同じ血を分けても容姿が奇異なら疎むのか、と言問は憤然とする思いだったが、当の鳴神は平然としている。

実際、鳴神にかかればその鬼が大群であろうと苦もなく片付けてしまえるだろう。


「なんの、俺一人で不足があらいでかよ。それにお前もいる」


「俺を数に含めるな。今は忙しい」


見ればわかるだろうとばかりに、机の上を指さす。

先ほどの巻物だけでなく、古い竹簡ちくかんのたぐいまでもが山積みに乗せられていた。



言問ことといは表向きは占術せんじゅつの研究を専門とする、占部せんぶに属する陰陽師だ。

ここに集う情報のほとんどは既に得た技術ばかりだが、言問が知り得なかったものなどもあり、御所に蔵された書物には目を通しておくべき情報がいくつもある。

特に隣国から渡来とらいの書物は貴重で、部屋に積んであるものは渡来ものが特に多かった。今日、記録所から持ち出した巻物類も渡来ものだ。


「お前が来なくてはつまらん。後ろを任せるやつがいないと思う存分に暴れられん」


食い終わった杏の種を持て余す童のような鳴神に、言問いが懐からスッと帖紙たとうがみを抜き出し渡す。

鳴神が吐き出したその種こそが本来の薬種で、外皮を割り、中の白い実を乾燥させ砕いて使うものだ。

言問は受け取った帖紙に同じく種を静かに出して、机の上に乗せた。

息を一つ吐いて、鳴神よろしく脇息に優雅にもたれて笑う。


「世につたう「鬼子おにごの鳴神」がなにを弱気な事をいう。俺がおらずとも、剣も弓も一振り一矢で何人を吹き飛ばすことか。噂では赤鬼、天狗に異形の青だったか? あやかしの類だというのもいたな」


あげつらった途端にふくれた殺気と共に目前に巨躯が迫るのを、パッと打ち広げた扇子で言問はやんわりと防ぐ。


「まったく、お前はいつもそうよな。気短く、口しく、情に身を任す。だが、お前の殺気は」


パッと咲いて散る花のようで美しい。


パチリと外した扇子の代わり、鳴神の太い首にするりと言問の手が回る。

間髪入れず唇でその口をふさぎ、痩躯そうくと思えぬ力で巨躯の肩を押す。

装束の隙間からすると忍び込まされた細く固い手にやわやわと胸乳むなぢを撫でられて、どうしたものか鳴神の腰から力が抜けた。


ぐったりと床にす鳴神に目を細めて身を離すと、さっきまでの色はなく、すると手を抜き衣を改める。

先と変わらず端然と胡座に戻る言問にハッと詰めていた息を吐いて、鳴神もゆっくりと身を起こした。

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