言問と鳴神 (2)


鳴神なるかみは御所に務める武士もののふである。

武士とは武官ぶかんの一種で、主に御所の見回りから貴族の警護、治安の維持までそれぞれに官位かんいくらいを与えられ、侍大将さむらいだいしょうを頂点として統括されている。

といっても、鳴神は無位無官むいむかんの身の上で、御所における天子の寝所である、夜御殿よるのおとどの守護をつかさどる侍大将さむらいだいしょうの子飼いと言っていい。

ただし、その血筋は高貴で、先のいずれかの天子のご落胤らくいんという噂さえあった。

もし噂が本当ならば、本来の血筋上では無位無官はあり得ないのだ。

その垂髪すいはつあかまじりの金、くっきりと青い眼差しに、伝説の鬼のような巨躯きょくさえ持っていなければ。


鳴神を一目見れば、通常は女房童にょうぼうわらべはもちろん、公達きんだちどころか、仲間の武士でさえ用事がなければ近づこうとはしない。

しかし、本人は歯牙に掛けるどころか、一切の噂を気にせず自適に、気ままに過ごしていた。


御所に勤めるといっても侍大将のおめしがなければ、屋敷から一歩も出ない日も数多い。

今日は主上しゅじょうのお召と言伝があり、渋々と御所にある昼の御座ひるのおましまで出てきたところだ。

鳴神は上司の侍大将にはよく懐いていて、呼びかける時は「御大将おんたいしょう」と呼んでいた。

習ったとおりに跪礼きれいをし、御簾みすの向こうの主上と御簾前で静かにこちらを見据える御大将の様子を伺う。


「……鳴神、ただいま御前にまかりこしました」


これだけは覚えよ、と育ての親に言い聞かされたままの口上を述べる。

重々しく頷いた御大将は、一度御簾を見上げてから改めて鳴神の方へ向き直った。


「うむ、今度は主上たっての命でな。お前には、昨今さっこん都を荒らすと噂の大江おおえの鬼どもを退治せよとのご指示だ」


「……はっ、大江の鬼……ですか?」


基本が人々にまじわらない鳴神は、必然的に噂話には疎い。

なんなら大江がどこに当たるかも知らず、思わず顔を上げた鳴神に、御大将は噛んで含めるよう丁寧な説明をした。


「都から北西にある大江山に鬼の首領しゅりょうが住んでいるという噂がある。時折集団で人に化け現れ出でては、民草たみぐさを脅し、食い物や衣を奪って引き上げていくらしい。とうとう都の公達にも被害が出てな……。乗っていた牛車は倒壊し、当の公達と牛飼い、先導の童まで爪か牙かで裂かれ殺されていた。惨いものよ」


「は……。その山に行けば、鬼の里などがある、という事でしょうか」


「いや、山頂に岩屋があるという話だ。そこを拠点に動いていると、地の猟師に確認させた。鬼気ききに当てられたか、戻るや否や狂死してしまったが」


「なるほど……。我が血なら鬼気に当てられぬと」


御大将が重々しく頷く。


「それもある。だが、一騎当千の膂力りょりょくを買ってのご使命だ。猟師の話ではくだんの鬼は酒好きで、ふもとからも良く酒を貢がせるらしい。それゆえ酒呑しゅてんと呼ばれていると。上手く使えば、お前の仕事も楽になろう。励めよ」


「はっ」


再びおもてを伏せた時、御簾越しにひそひそとか細い声がし、御大将が答える。


「主上よりの命だ、討伐した鬼の首か腕かを持ち帰れと」


「かしこまりました」


鳴神は体躯に似合わぬしずしずとした動きで、ゆっくりと御前を去った。

御大将は直属の上司であり、打ち合いの相手などもしてくれる、鳴神にとっては楽しい相手ではあるが、ああいう場はどうも重苦しくなり肩がこる。


「さて、今日の用は済んだ。朝餉あさげもろくに食えなんだことだし、あるじの顔でも見ながら菓子を貰おう」


天子の御座所から離れれば離れるほど、心も軽くなる。

弾むような足取りで、御所を北へと進む鳴神の姿も声も気にするものはもういなかった。

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