第7章
死と彼女8
鳥居の前に辿り着くと、筋肉痛の身体が悲鳴を上げた。
肺が大量の空気を欲したが、呼吸は追いついていなかった。
この石段を上れば神代さんがいる。
立ち止まっていられない。
後悔する前にできなかったことを――神代さんとの約束を果たすんだ。
今度こそ神代さんに好きだって伝えるんだ。
紫月は鉛のような身体を引きずって石段を上っていく。
重い膝を上げるたび、疲労が歩調を遅めていく。
呼吸は楽になってきたが、心臓は相変わらず脈動している。
石段を上り切り、紫月は落ち葉の上に両膝をついた。
「神代さん……」
礼佳はいなかった。
それでも構わなかった。
神代さんはここにいるんだ。
僕の声は神代さんに届く。
神代さん、告白するよ。
紫月は立ち上がり、ふらつきながら約束の場所へと歩みを進めた。
そして、1人もみじの木を見上げた。
「神代さん、君にずっと伝えたかったことがあるんだ。僕に勇気があれば君が死ぬ前に伝えられたかもしれない。僕は後悔しているよ。君が死んでからやっと告白できるなんてね。ごめん、やっぱり僕は弱い人間なんだよ」
さあ、告白しよう。
遅すぎたけどいいんだ。
意味がなくたっていいんだ。
神代さんに届けばそれでいいんだ。
君にこの気持ちを受け取ってほしい。
「神代さん、僕は君のことが――」
「紫月!」
危うく言ってしまうところだった。
紫月は前歯でぎゅっと唇を噛んだ。
神様は僕にもう一度チャンスを与えてくれた。
今なら後悔したことをやり直せる。
紫月はすぐには振り向かなかった。
しばらく歓天喜地の余韻に浸ってから大切な人の方に向き直った。
「神代さん、来てくれたんだ」
「彼岸花のおかげで約束を思い出したのだ。紫月、約束を果たしに来たぞ」
「うん。僕もだよ」
2人は腕を真っ直ぐ伸ばした。
指先が触れ合うと、それは軟体動物のように絡み合って1つに繋がれた。
2人でもみじの木を見上げる。
もみじの木は彼らを祝福するように空から赤い紙吹雪を降らせている。
紫月は咳払いして喉の調子を整えた。
「神代さん、告白したいことがあるんだ」
「聞かせてくれ。心の準備はできている」
上目遣いの礼佳から思わず視線を逸らしてしまいそうになったが、紫月は熱を帯びた手を握りしめてなんとかこらえた。
彼は褐色の双眸の虜になった。
「神代さん、僕は君のことが好きだった。ううん、好きだ」
やっと言えた。
生きている君に好きだって言えた。
「ずっと好きだった。でも、言い出せなかった。神代さんが死んでも言えなかった。僕が弱いせいだ。神代さんがいなくなって後悔していた。もう二度とチャンスはないと思っていた。神代さんのいない日常なんてあり得ない。だから、今伝えたいんだ。僕と……付き合ってください」
神様は僕の願いを叶えてくれた。
神代さんは神様として最後の願いを叶えてくれた。
今度は人間として僕の願いを叶えてほしい。
礼佳は首を縦にも横にも振らなかった。
彼女はただ笑っているような泣いているような複雑な表情をしていた。
「紫月、私も告白したいことがある」
「うん、心の準備はできているよ」
「紫月、私はお前のことが好きだった。いや、好きだ」
正真正銘、礼佳の言葉。
正真正銘、彼女の気持ち。
今、死んでしまった彼女の心の中を知ることができた。
「神の座を下ろされた私を優しく支えてくれたのは紫月だった。私は紫月に惹かれていった。神としてでもなく人間としてでもなく、1人の私として紫月のことを好きになっていった。死んでしまった礼佳も紫月のことが好きだったよ。退院したらここでこうして思いの丈を打ち明けるつもりだった。紫月、私の恋人になってくれ」
紫月は返事をしなかった。
その代わりに、キスで答えた。
2人は抱き合った。
そして、泣き合った。
そして、笑い合った。
2人で一緒にいるだけで幸せだった。
ここには彼らの人生があった。
紫月と礼佳は手を繋いだまま落ち葉の上に仰向けに寝そべった。
落ち葉のベッドはなかなか快適で、目を閉じたら眠ってしまいそうだった。
太陽に透かして見上げるもみじの葉がより赤々と燃える。
強風が吹いたわけでもないのに、もみじの木が意志を持っているかのように身体を震わせる。
神様が悪戯をしたのかな、と紫月は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます