第4章
秘密と彼女8
紫月と礼佳は照明でライトアップされたもみじの木の下にいた。
たこ焼きに味を占めた礼佳にもう1つそれを買ってやり、舞台の前に敷かれたレジャーシートの上で神楽を鑑賞した。
神楽が終わると餅撒きが始まり、2人は圧死させんばかりの勢いで押し寄せてくる人だかりから逃れた。
そして、現在に至るというわけだ。
「ひどい目に遭ったね……神代さん、怪我はない?」
「平気だ。しかし、もう夜だというのになかなか活気が衰えないな。よくここまで長続きしたものだ」
「そうだね。きっと神様も楽しんでくれているよ」
「ああ、そうだろうな」
夜になり風が冷たくなってきたが、神社の境内は殷賑を極めている。
紫月と礼佳としてはこれが一夜限りのものではないことを願うばかりだ。
餅撒きが終わってきりがよくなったため、屋台で土産を買って帰る参拝者がまばらに現れ始めた。
家族連れも子供たちも皆笑顔だった。
境内の熱と共に汗が引いていく。
売り切れの旗を掲げている屋台もある。
もうすぐ秋祭りが終わる。
今日という1日が終わる。
特別な1日が終わる。
終わりと始まりは同時に訪れる。
昼が終われば夜が始まり、夜が終われば昼が始まる。
それと同じように、楽しいことが終われば悲しいような寂しいような気持ちになる。
それは、家に帰った途端に襲われる虚無感と似ている。
終わりと始まりは表裏一体。
ちょうどコインのように。
今、紫月と礼佳はコインの横に立たされていた。
終わりを前にして、何かが始まるのを待っていた。
林檎飴を舐める礼佳の瞳の中には、不可視の何かが秘められていた。
彼女の瞳には終わりと始まりの現象が顕著に表れていた。
どうしてそんなことがわかるんだろう、と疑問に思ったが、よく考えてみたら至極簡単なことだった。
礼佳とは以心伝心だからだ。
彼女が記憶を失う前は心が通じ合っていたが、記憶を失ってからは彼女の心を不明瞭にしか捉えることができなくなった。
が、今では靄も解消されて再び心が通じ合うようになっていた。
恐らく彼女の記憶が戻ってきたからであろう。
以心伝心のおかげで、紫月には礼佳の心をありありと感じ取ることができた。
そして、彼女が秘めている悲しみの理由を自ずと求めていた。
神代さんは僕に何かを隠している。
なんとなくそんな気がする。
いや、確信している自分がいる。
神代さんを悲しませるものは一体なんだろう。
僕には想像もつかない。
以心伝心をもってしても、礼佳の心の中にあるどす黒い塊が何かはわからない。
ひょっとしたらそれは孤独に対する不安だったのかもしれないし、両親を亡くした悲哀だったのかもしれないし、秋祭りと今日が終わるという寂寥だったのかもしれない。
だが、紫月にはそれがひどく怖ろしいもののように思えてならなかった。
心に激痛をもたらすものであるような気がしてならなかった。
「紫月、今日はありがとう」
礼佳が言い放ったのは、紫月の思考とは裏腹な言葉であった。
心のどこかでさよならでも告げられるのではないかと思っていた。
「今日は楽しかった。紫月とデートできて……幸せだった」
「僕もだよ。僕も神代さんとデートできて幸せだったよ。よかったらまた……デートしよう」
しかし、礼佳は伏し目がちになった。
彼岸花の雄しべと雌しべのごとく萎れるまつ毛。
母の枕元で枯れた彼岸花。
どうなったのか今となっては知り得ない礼佳の病室の彼岸花。
記憶喪失になった時、礼佳は窓際の花瓶に挿された赤い花の名前を知らなかった。
昨夜、彼女が口にしたのは知っているはずのない花の名前だった。
そして、彼女は心が痛いと言って涙を流した。
礼佳にとって彼岸花は特別だった。
彼岸花は彼女が最後に見た花だった。
「紫月、もう……デートはできない。今日でお別れだ」
衝撃的な言葉だったが、紫月はまだ驚かなかった。
この言葉の裏に怖ろしい何かが潜んでいるような気がしたからだ。
紫月は決してふられたわけではなかった。
別れを告げたのも礼佳の意志ではなかった。
「紫月、話がある。信じられない話かもしれないが、どうか最後まで聞いてほしい。これから私が話すことは全て嘘偽りのない真実だ。紫月にだけは秘密を打ち明けたい。心の準備はいいか?」
紫月はごくりと固唾を飲んだ。
秘密――それは何か重大な意味を孕んでいた。
紫月の中の神代礼佳を破壊しかねないものがあった。
祭り囃子が止み、ぞろぞろと参拝者たちが石段を下りていく。
少しずつではあるが、騒然たる境内が幽寂を取り戻しつつある。
甘酸っぱい夢から覚めてセンチメンタルに蝕まれていくように。
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