秘密と彼女2

 人ごみの中から躍り出ると、礼佳は紅を引いた唇を三日月の形に歪めた。


「待たせてごめんね。神代さん、着物なんて持ってたっけ?」


「今日、帰ってきてから着物屋で買ったのだ。着付けは着物屋の婦人がしてくれた。ふふふっ、どうだ? 似合っているか?」


 礼佳はその場でくるりと一回転した。


 下駄がからりと身軽な足音を立てる。

 かんざしの装飾が婀娜に揺れる。


「うん、似合ってるよ。とても綺麗だね」


 記憶喪失の神代さんと出会う前の僕なら、きっと恥ずかしがってこんな台詞は言えなかった。

 この1週間で僕も少しは成長できたってことかな。


「おおっ! 礼佳、大人っぽーい! すっごく似合ってるよ!」


 わずかに遅れてきたのは、黄色を基調とした銀杏柄の着物を着た瑠璃。

 さすがに高校生の証である赤いネクタイは結んでいない。


「饗庭さんも着物で来たんだ。可愛いと思うよ」


「ありがと。でも、なんで瑠璃は綺麗じゃなくて可愛いなのっ?」


「あっ、聞いてたんだ……ごめん」


「もうー……っていうか、紫月はなんで着物じゃないの? 甚平があったでしょ!」


「さすがにもう肌寒いよ。夜なんか冷えるし、甚平じゃ風邪を引いちゃうかなって思って」


「むぅー、瑠璃だって肌寒いのを我慢して着てるんですぅー! 足元とか結構冷えるよね、礼佳!」


「まあな。下駄は風通しがいいし、足袋も薄いからな」


「紫月は秋用の甚平を買いなさい!」


 間もなくして、慶吾と郁弥がやって来た。

 瑠璃は2人も私服であることにむくれた。


「ちょっとー、男子たちは今日をなんだと思ってるのー! 秋祭りだよ! 秋祭りといえば着物でしょ! 甚平を着て出直してきなさい!」


「えー、さすがにもう肌寒いって。俺、夏用のしか持ってないし。それにしても、今日の瑠璃は綺麗だな」


「おっ、ありがと。って、そうじゃなくて! 慶吾も紫月と同じ理由で私服なの? 慶吾なら着てくると思ってたのにな! それはいいとして、問題は郁弥だよね! 秋祭りに虎柄のスカジャンって、ただのヤンキーじゃん!」


「ヤンキーじゃねぇよ。なんつーの、これは甚平の代わりっていうかさ。虎ってなんか秋っぽくね?」


「はぁ? 意味わかんないんですけど! 郁弥って、やっぱり馬鹿なの?」


「ああ? ちびに言われたくねぇよ」


「あっ、禁句! 禁句言ったら屋台の食べ物1つおごりなんだから!」


「そんなルールいつ決めたんだよ」


「今!」


 5人がいつものやり取りを繰り広げている間にも、数え切れないくらい多くの参拝者たちが鳥居の下をくぐっていった。


 町の雑踏がこの村にも入り込んできていた。


「よし、じゃあ、俺たちも楽しむとしますか。紫月と礼佳はデートで離脱するとして――」


「えっ!」


 紫月は礼佳とデートすることが前提とされていたことに仰天したが、彼女はただ目をぱちくりさせるばかりだった。

 デートの意味がわからなかったのだろう。


「デートとはなんだ?」


「まあ、簡単に説明したら2人きりで過ごすってことだ。礼佳、今日は紫月と2人きりで過ごせよ」


「私はもちろん構わないが……紫月はどうだ?」


「いいに決まってんだろ。なあ、紫月?」


「う、うん。じゃあ、皆は3人で回るの?」


「いや、俺も先輩とデートだ」


「えー、郁弥まで抜けちゃうのー? ちぇー、郁弥にいっぱいおごらせようと思ってたのに」


「瑠璃も慶吾とデートな。食べ物なら慶吾におごってもらえよ。今月の小遣いはほとんど使ってねぇはずだから、慶吾は金持ちだぞ」


「余計なこと言うなよ。小遣いが全部なくなるだろ」


「はははっ、瑠璃ならやりかねないな。でも、この村で使う金なんてたかが知れてるだろ。1年に1回しかないんだし、秋祭りで使い果たしてもいいじゃねぇか。じゃあ、俺はもう行くぜ。デートを楽しめよ」


 郁弥はしてやったりと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべて人ごみの中に消えていった。


 取り残された4人は気まずくなって黙り込んだ。


 やがて慶吾の「じゃあ、行こうか」という一声が重苦しい空気を打開し、4人は2組になって別れた。


 まさか神代さんとデートすることになるとはね。

てっきり5人で行動するものだと思っていた。


 まあ、今になって思えば、これは秋祭りの開催が決まった時点で3人に仕組まれていたことだったのかもしれない。

 皆、僕の恋を応援してくれているから。

 ちょっと露骨すぎるけど。


「えっと……とりあえず、境内に上ろうか」


「ああ。しかし、ものすごい数だな。昨日までの静けさがまるで嘘のようだ」


「そうだね。村の外で宣伝した甲斐があったよ。これで神社を復興できたかな?」


「恐らくな。神が信仰されているかどうかは別として、これだけの参拝者が集まれば来年も秋祭りは催されるだろう。そのうち神も力を取り戻すはずだ。紫月、ありがとう」


「お礼を言うのは僕の方だよ。これできっと神様もお母さんの病気を治してくれるよ。本当にありがとう」


 礼佳は心なしか悲しそうな表情ではにかんでいた。

 彼女は脆く儚い彼岸花のようだった。


 鬱蒼と生い茂った森の下に形成された影の水たまりがぱっと明るくなる。

 人ごみから小さな歓声が上がる。

 赤灯籠の中の蝋燭に一斉に火がつけられたのだ。


 まだ外は明るかったが、ほの暗い石段にはちょうどいいくらいだった。

 輝かしい火はノスタルジックな雰囲気を醸し出しており、少し涙腺が緩んでしまった。


 石段に足をかけると、ジャケットの裾を礼佳に掴まれた。


「紫月、1つ頼みがあるのだが」


「うん、何?」


「手を貸してもらえないだろうか? 下駄では少々石段が上りづらくてな」


「もちろんいいよ」


 紫月は手を差し出した。

 礼佳はその手を掴み、からからと緩慢な足音を立てながら石段を上った。

 手を貸しているというよりは、手を繋いでいるような形だった。


 色付き出した日光。

 ぼんやりと燃える風前の灯火。


 幻想的な光景に、夢の中に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥る。


 だが、紫月にとってこの状況は夢と表現しても過言ではなかった。

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