第4部 秘密と彼女

第1章

秘密と彼女1

 待ちに待った、というほど待ってはいないが、ついに秋祭り当日。


 紫月、礼佳、慶吾、郁弥、瑠璃は早朝から先生の軽トラに乗って村の外でちらしを配った。

 多めにコピーしておいたちらしは無事全てなくなった。


 宣伝は十分。

 町のファミレスで昼食を取った後、5人は村に帰って屋台の設営を手伝った。

 子供たちや村の住民も協力し、拝殿と本殿の掃除も行われた。

 神社は見違えるくらい綺麗になった。

 準備は万端。

 あとは秋祭りを迎えるだけとなった。


 夕方、神社に集まる約束をして、5人はひとまず家に帰った。


 秋祭りが始まるまでまだ時間はあったが、いても立ってもいられなくなって紫月は病院に行った。


 病院の受付で昨夜の看護師に礼を言い、母の病室を目指して廊下を進む。

 秋祭りということで、病院の中も秋らしい飾りつけがされている。

 看護師の細かな気遣いには感服させられる。


 折り紙や色紙で作られたもみじ、紅葉した落ち葉、薩摩芋、栗。

 花瓶に挿されているのは、柿の枝、銀杏の枝、すすき。

 掲示板には礼佳が描いた秋祭りのちらしも貼られている。


 病院の中の秋に心を和ませつつ、母の病室のドアを開く。

 一転、さっと血の気が引く。


 紫月はドアの前で呆然と立ち尽くした。


「お母さん……」


 母は眠っていた。

 昨日と違うのは、口元が大きな酸素マスクで覆われていることだ。


 母の体調が芳しくなければ、呼吸を楽にするために酸素マスクがつけられることがあった。

 つまり、病状が悪化したということだろう。


 死んだように眠る母。

 母は昨日よりも死んでいた。

 もはや生きているのかも怪しかった。


 枕元の彼岸花は枯れ果ててばらばらになっていた。

 日に日に死んでいくそれは、まるで母の死を示唆しているかのようだった。


 窓際を見ると、昨夜置いていった茶碗があった。

 茶碗は空だ。

 母は栗ご飯を食べていた。


 母に近付き、紫月は痩せ細った肩を揺らした。


「お母さん」


 母はうっすらと瞼を開いた。


「紫月……栗ご飯、美味しかったよ……昨日もお見舞いに来てくれたのね……起こしてくれたらよかったのに……」


 母は微かに口を動かしてぼそぼそとしゃべった。

 声が酸素マスクに籠って聞き取りづらかったが、なんとなく内容は把握できた。


「昨日は神代さんと一緒にお見舞いに来たんだよ。でも、夜になっちゃったから起こさずに帰ったんだ。そうそう、今日は秋祭りだよ。なんとか村長を説得して、村の外でもちらしを配って宣伝したんだ。きっとたくさん人が集まるよ」


「病院でも噂になっているわ……看護師さんたちも嬉しそうだったよ……お見舞いのこと、礼佳ちゃんにお礼を言っておいてね……」


「うん。お母さん、酸素マスクをつけなきゃいけないくらい体調が悪いの?」


「少しね……だけど、こうしてまだ紫月と話せるんだから平気よ……じきによくなるから……」


 それから少し母と話をしたが、内容はほとんど頭に入ってこなかった。

 聞き取りにくかったということもあるが、酸素マスクが気になって会話に集中できなかった。


 病院を出る頃にはちょうどいい時間になっていた。

 このまま神社に向かえば四人と合流できるだろう。


 いつもはがらがらの畦道が混雑している。

 家族連れやちらほらと煌びやかな着物を身にまとった女がいる。

 どれもこの村の住民ではない。

 秋祭りの宣伝に惹かれてこの村を訪れた参拝者たちだ。

 どうやら宣伝は大成功だったようだ。


 神社へと続く人ごみの流れに乗って、紫月は神社の鳥居の前まで来ていた。


 鳥居の前には、追加の屋台が道の両端にそれぞれ4軒ずつ立てられていた。

 現在、さらに追加で屋台が組み上げられていた。

 作業中のおじさんに尋ねると、予想を遥かに上回る参拝者の数に対応するため、神社の前でも屋台を開こうということになったのだという。


「紫月、こっちだ」


 透き通った声に呼ばれて、紫月はその方向に視線を移した。


 赤色を基調としたもみじ柄の絢爛たる着物。

 それを艶めかしく引き締めるのは、赤い市松模様の帯。


 かんざしの装飾が枝垂れ柳のようにたゆたう。

 射干玉のごときたおやかな黒髪は丁寧に結い上げられている。

 足元は白い足袋に覆われており、その上には赤漆の下駄を履いている。

 端整な顔には控えめな化粧が施されている。


 紫月の視界には雅やかな少女が映っていた。

 彼は幽玄で精巧な美しさに見惚れていた。

 視線を逸らすことも瞬きをすることもできなかった。


「神代さん」


 紫月は人ごみの間を小走りでかいくぐった。

 鳥居の下のもみじから焦点を外すことなく、ひたすら人間の波をかきわけて進んだ。

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