第8章

神と彼女18

「それで? こんな時間に話ってなんだよ、郁弥?」


 郁弥と慶吾は月光に淡く照らされた畦道を散歩していた。


 郁弥に駆り出されて現在に至る。

 わざわざ家まで訪問してきて話があるということだったので、慶吾は仕方なく上着を羽織って外に出たというわけだ。


「明日の秋祭りのことで話したいことがあってな。どうせ疑ってるんだろうけどさ、結構重要な話なんだぜ?」


「どうかな。郁弥の重要な話は大方そうでもないからさ」


「おいおい、ひでぇな。もっと友達を信用してくれてもいいんじゃねぇの?」


「はははっ、冗談だよ」


「それならいいけどよ。じゃあ、本題に入るぜ。明日の秋祭りは5人では行動しない。これがどういうことだかわかるよな?」


 紫月と礼佳のことだと思った。

 無論、郁弥に言われずとも2人には協力するつもりだった。


「何を言い出すかと思えばそんなことか。わかってるよ。紫月と礼佳をデートさせて、俺たちは3人で屋台を回るんだろ」


 ところが、郁弥は「ちっ、ちっ、ちっ」と舌を鳴らして含み笑いをした。


「何もわかってねぇな。紫月と礼佳をデートさせるのは合ってるが、3人では行動しねぇよ」


「どういうことだ?」


「慶吾と瑠璃もデートするってことだよ」


「なっ……!」


 郁弥の冗談めいた発言に、慶吾は不覚にも動揺してしまった。

 大抵のことには驚かない自信があったが、こればかりは反射的に過剰な反応をしてしまった。


 郁弥はけたけた笑い、慶吾の肩を小突いた。


「慶吾、お前ってさ、冷静なようで意外とわかりやすいところがあるよな」


「……うるさいな。でも、どうして俺が瑠璃とデートするんだよ? 郁弥は……ああ、そういうことか。先輩とデートってことか」


「誤魔化すなよ。瑠璃のことが好きなのはわかってんだぜ?」


「…………」


 やっぱりばれてたか。

 郁弥は恋愛に関しては勘が鋭いからな。

 いつかばれやしないかと心配していたんだ。

 残念ながら杞憂に終わってくれることはなかったか。


 しかし、好きな人がばれるのは恥ずかしいものだな。

 羞恥で耳まで熱い。

 紫月も同じような思いをしたんだろうか。

 少し悪いことをしたな。


 慶吾は瑠璃とのデートを想像してみることにした。


 瑠璃とデートするなんて想像もしたことがなかった。

 彼女とはただの友達で、ずっと友達のままなんだろうな、と思い続けてきた。

 自分の気持ちに嘘をついて、前に踏み出せないことを正当化し続けてきた。

 彼女の魅力から目を背けて逃げ続けてきた。


 もし瑠璃とデートできるとしたら、それはとても幸せなことだ。

 瑠璃と2人きりで屋台を練り歩いて、食べ物をたくさん買って食べて、金魚すくいとか射的とかで遊んで。

 さぞ楽しいだろうな。

 でも、これはただの妄想に過ぎない。


 慶吾は自らを鼻で嘲笑した。


「確かに、俺は瑠璃のことが好きだ。でも、瑠璃の眼中に俺はいない」


「そうかもな。でも、だからといって諦めるのは男としてどうなんだ? そんなんじゃ誰も幸せにできねぇし、自分も幸せになれねぇぞ」


「じゃあ、どうしたらいいんだよ? 瑠璃が好きなのは……多分、郁弥だ。郁弥も本当はわかってるんだろ?」


「……ああ。瑠璃は単純だからな。けど、俺は先輩が好きだ。先輩を一途に好きでいるって決めてんだ、浮気はしたくない。瑠璃には友達として幸せになってほしいんだ。慶吾なら瑠璃を幸せにできる。親友が言うんだから間違いないって」


「俺たち、いつから親友になったんだよ」


「いいじゃねぇか。友達も親友も大して変わんねぇよ。たとえ恋人同士になってもな。慶吾、瑠璃を幸せにしてやってくれ」


「郁弥って、瑠璃のお父さんだったのか?」


「はははっ、言われてみれば娘の結婚を許した親父みてぇだな。でもさ、こんなこと、慶吾にしか頼めねぇって。友達には幸せになってほしいんだ。俺は慶吾を信用してる。だからよ、勇気を出して一歩前に進んでみようぜ。俺が背中を押してやるからさ。おらっ」


 郁弥はさっと素早く後ろに回り込み、どんと力強く背中を押した。

 慶吾は乾いた笑いと共に灰色の息を吐き出した。


 背中を押されたくらいで勇気が出るのなら、とっくに瑠璃に告白できているだろう。

 告白することで今まで築き上げてきた瑠璃との関係が崩壊して、ただの瓦礫の山になってしまうかもしれない。

 友達であることさえも瓦礫になってしまいそうで、とてもではないが告白する勇気なんて湧きそうもない。


 慶吾はぼんやりと青白く輝く郁弥を羨望の眼差しで見つめた。


「いいよなぁ、郁弥は。告白する勇気があってさ。しかも、年上に告白するなんてなかなかできることじゃない。はぁ、郁弥が羨ましいよ」


「俺だって先輩に告白する時は何度も怖じ気付いた。告白しなくてもいいんじゃねぇかな、って開き直って諦めようとした。けど、結局は諦められなかった。早く告白しねぇと先輩がどんどん離れていっちまうように思えてさ。瑠璃はまだ手が届くところにいる。早くしねぇと瑠璃も離れていっちまうぞ。後悔先に立たずだぜ」


「でも、やっぱり……俺は怖いんだよ。瑠璃に嫌われるのが怖い。瑠璃に嫌われるくらいならこのままでいい、なんて思ってしまう自分がいる。はぁ、駄目だな、俺は。俺は弱いな」


 郁弥は立ち止まった。

 それに合わせて慶吾も少し遅れて足を止めた。


「人間なんて皆自分を弱いって思う生き物だろ。俺だって自分が強いなんて思ったことはない。でもな、人間には強くならなきゃいけない時ってのがあるんだよ。慶吾、それは今だ。後悔しても手遅れなんだよ。礼佳はそれを教えてくれた。だから、明日の秋祭りがある。せっかくのチャンスだぜ。ただ一言好きだって伝えればいい。もしかしたら、たったそれだけで人生が変わるかもしれないだろ」


 郁弥がやけにかっこよく思えた。

 いや、密かに憧れていた彼はいつもかっこよかった。


 陰ながら俺たちを支えてくれる郁弥をいつもかっこいいと思っていた。

 郁弥は友達思いで、馬鹿なようで実は頭が切れて、5人の中でも先陣を切って物事に取り組む。

 郁弥が追い越していくのを、俺はただ指を咥えて見ていた。


 でも、このままじゃ駄目だ。

 郁弥を追い越さないと瑠璃は振り向いてくれない。


 慶吾は拳を握りしめて月を見上げた。


「郁弥はいつの間にか俺よりずっと先にいたんだな。ありがとな、郁弥。おかげで勇気が湧いてきたよ。郁弥を追い越す勇気がさ」


「おう、そうこなくちゃな。もし神様がいるのなら、瑠璃と結んでくれるって。紫月と礼佳もな。俺たち、あの神社のために一生懸命頑張ったんだぜ? 神様にはそれくらいしてもらわねぇとな」


「はははっ、そうだな。俺も神様を信じてみるよ」


 今夜は満月だった。

 空を仰いで月光にはっきりと照らし出された郁弥の表情には、満悦と後悔が入り混じっていた。


 わかりやすいのはどっちだよ――慶吾は内心で独りごちた。

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