第6章

神と彼女13

 バイクに揺られて20分。


 人通りのある適当な駅の駐輪場にバイクを停め、瑠璃と郁弥はヘルメットを脱いだ。


 ヘルメットからふわりと甘い匂いがする。

 先輩――郁弥の恋人用のヘルメットなのだろう。


 瑠璃はヘルメットをバイクのハンドルにかけて嘆息した。


「なんだよ、瑠璃? もう腹が減ったのか?」


「違うよ! 郁弥の彼女さんが羨ましいなー、って思ってさ」


「おいおい、こんなところで告白かよ。大胆にもほどがあるぞ」


「ばっ、馬っ鹿じゃないのっ! そういう意味で言ったんじゃないってばっ! このっ、自惚れんなっ!」


 瑠璃は人目も憚らず郁弥をぽかぽか殴った。

 容赦ない猛攻に、郁弥はたじろぐばかりだ。


「じょ、冗談だって。じゃあ、どういう意味で言ったんだよ?」


「もう、たちの悪い冗談だなー。しょっちゅう町に遊びに行けて羨ましいなー、って意味で言ったの。郁弥、彼女さんとデートでよく町に行くんでしょ?」


「まあな。将来、瑠璃は町で暮らしたいんだったな。なんでだ?」


 そう尋ねられて、瑠璃はばつが悪くなった。

 ちらしの束を胸に抱えて歩き出した。


「なんだよ、教えてくれねぇのかよ。気になるじゃねぇか」


「……別にいいじゃん。とにかく、瑠璃は町で暮らしたいの。郁弥には関係ないでしょ」


「関係ないことねぇって。俺たち、友達だろ。友達の将来のことは知っておきたいんだよ」


 郁弥が肩を掴んだ。

 瑠璃は立ち止まり、唇を尖らせた。


 友達――何故かこの言葉が気に入らなかった。

 郁弥との関係があっさり片付いてしまったようで不満だった。

 瑠璃にとってこの言葉は相応しくなかった。


「瑠璃、思ったんだけどさ……瑠璃と礼佳って、親友じゃん? 記憶喪失になってからは紫月とずっと一緒にいるけど、恋に協力するのも親友の役目じゃん? もし礼佳と紫月が恋人同士になったら、瑠璃たちとの関係はどうなるのかな?」


「なんだよ、それ。変わらねぇだろ。友情ってのはそう簡単には断ち切れねぇもんだ」


「そういうことじゃなくてさ。友達と親友と恋人の境界線ってなんなのかな、って」


「なんか哲学的な疑問だな。瑠璃らしくない」


「失礼な! 瑠璃もたまには真面目なことも言うんですぅー!」


 瑠璃は歩みを再開した。

 が、後ろから足音がついてくることはなかった。

 不審に思って振り返ると、郁弥は柄にもなく真顔で立ち尽くしていた。


 瑠璃は黙って待った。

 問題の答えはいつも人任せにしている彼女だが、この答えだけはずっと模索し続けてきた。

 それでも答えは出なかった。


 郁弥なら答えてくれるかもしれない、という期待が彼女の胸を高鳴らせた。


 30秒。

 瑠璃が何年も考え続けて出せなかった答えを、郁弥はたったの30秒で見出した。


 いや、それは真実の答えではなかったのかもしれない。


 が、それはれっきとした答えであった。

 少なくとも、彼女にとってそれはちゃんとした答えであった。


「――境界線なんてないんじゃねぇか?」


 これが郁弥の答えだった。


 言われてみればそうかもしれない、と瑠璃は思った。


「俺たちがいい例だ。あの村に生まれた5人が偶然出会って、いつの間にか友達になってた。瑠璃と礼佳は親密になって、いつの間にか親友になってた。紫月と礼佳は異性として親密になって、いつの間にか好きになってた。あの2人が恋人同士になるのは、いつの間にかが積み重なった結果だ。境界線があったとしても、それは曖昧なんじゃねぇの?」


 郁弥の答えは心の中にすっと入ってきた。

 長年の憑き物が落ちたように即座に納得できた。


 瑠璃は清々しさの余韻に浸りながら何度も頷いた。


「いつの間にか、か。そっかそっか。ふふふっ……あはははははっ!」


 奇異の視線も顧みることなく、瑠璃は心行くまで笑った。

 少し離れた場所に立っている郁弥は眉一つ動かさずに黙っていた。


 笑うのに満足すると、瑠璃は乱れた呼吸を整えた。


 しかし、しばらくするとまた笑いが込み上げてきた。

 瑠璃は笑いをこらえるのに必死だった。

 それに対して、郁弥はむっとした表情で彼女を睨みつけた。


「俺、何かおかしいことを言ったか?」


「いやぁ、ごめんごめん。なんかずっと考えてたことがあっさり解決されておかしくなっちゃって。でも、すっきりしたなー。ありがと。っていうか、郁弥って、意外と馬鹿じゃなかったんだね! 瑠璃、びっくりしちゃった!」


「俺もたまにはまともなことを言うんだよ。ああ、そうだ、聞きそびれてた。話を戻すが、なんで瑠璃は町で暮らしたいんだ?」


 瑠璃はぽかんとした。

 それから、またもやたがが外れたように笑い出した。

 今となってはもはやどうでもいい問いだった。


「別に大した理由じゃないよ。ただ村から出たいだけ。昔からの夢なんだ。ああ、村が嫌いってわけじゃないよ! むしろ、大好きだし! でも、村での生活にはもう飽きちゃった。ただそれだけだよ」


「ふーん、なんか瑠璃らしいな」


「ほら、瑠璃は単純だから!」


 曇っていた胸中が晴れやかになった。


 瑠璃の胸中ではあるものが光り輝いていた。

 それは希望だった。


「よし! 気を取り直してちらし配りを始めますか!」

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